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レーサーレプリカブームからネイキッドブームへの変化に伴って
運動性重視のレーサーレプリカから、日常域が楽しめるネイキッドへ。1990年代を迎えた日本のバイク市場は、ガラリと状況が変化した。もっともレーサーレプリカを好むライダーは依然として存在したし、先祖返りしたようなネイキッドには否定的な意見もあったのだが、250/400ccクラスにおけるサーキットや峠道の速さの追求は、1990年代前半でいったんストップしたのだ。
ただし状況が変わっても、レーサーレプリカブームを経た当時の日本では、4スト並列4気筒こそがバイクの王道……?という雰囲気ができあがっていた。そういった事情を踏まえて、1989年以降に生まれたネイキッドは、半数がレーサーレプリカ用の並列4気筒エンジンを転用することになったのである。
中でもその傾向が顕著だったのが250ccクラスだ。一世代前に生まれた空冷エンジンを使用するモデルが少なくなかった400cc以上のネイキッドに対して(カワサキ ゼファー400/750はGPz400/750F、ホンダ CB750はCBX750F、ヤマハ XJR1200はFJ1200のエンジンがベース)、250ccネイキッドはいずれも当時の最新水冷並列4気筒エンジンを搭載。そもそも歴史の浅い250ccマルチの場合は再登板させるエンジンが存在しなかったのである。
1990〜2000年代に販売された250ccネイキッドの中で、長きにわたって人気を獲得したモデルと言ったら、多くの人が思い浮かべるのはホンダ ホーネットとカワサキ バリオス/IIだろう。と言うより、1998年に施行が決定した日本の二輪界初の排出ガス規制をクリアして、2007年まで販売が続いたのは、この2機種だけだったのである。
CBR250RRのエンジンを活用したジェイドとホーネット
1991〜1995年のジェイドを経て、1996年からホンダが発売を開始したホーネットは(エンジンはいずれもCBR250RRがベース)、誤解を恐れずに言うなら異端のモデルだった。その一番の理由は、当時のシャシーに関する常識を覆すスチールモノバックボーンフレームだが、CBR900RRと同サイズの極太タイヤ(180/55ZR17)、アップタイプのマフラーなども、既存の250ccネイキッドの常識に当てはまらない要素。
その斬新なスタイルと乗り味が多くのライダーから高評価を集めた結果として、海外を意識した大排気量版、ホーネット600(1998年)、ホーネット900(2001年)が登場している。
ホンダ ジェイド(1991年)
ホンダ初の4スト250cc並列4気筒ネイキッドとなったジェイド。リヤサスペンションはモノショックだが、往年のCB-Fに通じる雰囲気。エンジンはCBR250RRがベースで、フレームはオーソドックスなスチール製ダブルクレードル。
ホンダ ホーネット(1996年)
1996年に登場したホーネットは、ネイキッドの新しい可能性を示したモデル。フレームは75mm×45mmの角パイプを主材としたモノバックボーンタイプで、リヤ180/55ZR17のタイヤサイズは同時代のCBR900RRと共通。ジェイドベースのエンジンは低中速トルクの増強と高回転域の伸びを重視した変更が施された。
元ネタ「CBR250RR」
CBR250Rの後継モデルとして1990年に発売されたCBR250RR。CBR250R時代から熟成を重ねたエンジンは、レッドゾーン1万9000回転。バルブ駆動はカムギヤトレーンを採用している。ボア・ストロークは48.5mm×33.8mmで、ジェイドやホーネットも同様。
ZXR250のエンジンを活用したバリオス
1991年にデビューしたバリオスの特徴は、すでに400ccクラスで爆発的な人気を獲得していたゼファーの弟分にしなかったこと、そして日常域重視のネイキッドという枠の中で、スポーツ性に関する妥協をほとんどしなかったことだろう。具体的な話をするなら、ZXR250がベースのエンジンはできるだけ本来の資質を活かすことを意識していたし(他機種では残念なデチューン仕様も存在)、フレームはスチール製ダブルクレードルタイプの理想を追求。
もっとも1997年型で登場したバリオスII……リヤサスペンションがリンク式モノショック→ツインショックに変更されたことを考えると、バリオス/IIが人気を獲得した理由はスポーツ性以外のところにあったのかもしれない。
カワサキ バリオス(1991)/バリオスII(1997)
往年のZ1/Z2の再現を意識していたゼファーシリーズとは異なり、バリオスは運動性能にこだわったネイキッド。超ショートストローク指向のエンジンとCVKD30キャブレターはZXR250のC型がベースで、ダブルクレードルフレームのメインパイプ径はゼファー750と同じ38mm。初代のリヤサスペンションは路面追従性に優れるリンク式モノショックだったが、バリオスIIではルックス重視でツインショックに変更された。
元ネタ「ZXR250C型」
1989年に発売となったZXR250。250ccレーサーレプリカとしては4メーカーの中で最後発となったカワサキだが、1991年にはフルモデルチェンジを行い、エンジンのボア・ストロークも変更。48.0mm×34.5mm → 49.0mm×33.1mmと、さらにショートストローク化された。バリオスのエンジンはモデルチェンジ後のC型がベース。
GSX-R250Rのエンジンを様々なモデルに活用したスズキ
さて、レーサーレプリカからネイキッドにブームが移行した時代の250ccクラスを振り返るにあたって、まずはホンダとカワサキのロングセラー車から始めてしまったが、4スト250cc並列4気筒車の可能性を探る、幅を広げるという意味で、1989〜1990年代に最も努力したのはスズキである。
と言うのも、同社はまず1989年の時点でGSX-R250Rからカウルをはぎ取っただけ……と言いたくなるコブラを世に送り出していたし、1990年には前年に登場して好評を得た400の手法を踏襲する形で、スチールダイヤモンドフレームにGSX-R250R用エンジンを搭載するイタリアンテイストのネイキッド、バンディット250を発売。
そして1990年には革新的なメットインスポーツツアラーとして、専用設計のスチールダブルクレードルフレームにGSX-R250用エンジンを搭載するアクロス、1991年にはスズキの歴史を語るうえで欠かせない名車の姿を再現したGSX250Sカタナ(雰囲気を本物に近づけるため、吸気系をダウン→サイドドラフト化)がデビュー。さらに1995年には、クラス初にして当時の二輪では貴重な可変バルブタイミング機構を採用した、バンディット250Vが登場しているのだ。
スズキ コブラ(1989年)
フロントブレーキのシングルディスク化や、ライディングポジションの見直しなどが行われているものの、コブラはGSX-R250Rの主要部品をそのまま転用した大胆なネイキッド。なおスズキは1988年に同様の手法でRGV250ガンマのネイキッド仕様、ウルフ250を発売している。
スズキ バンディット250(1989年)
1989年に登場した400の手法を踏襲する形で生まれた、イタリアンテイストのネイキッド。GSX-R250Rがベースのエンジンは低中速重視にセッティング。当初のハンドルはセパレート式のみだったが、1990年にはパイプ仕様を追加。ハーフカウルのリミテッドも後に発売された。
元ネタ「GSX-R250R」
オーソドックスなロードスポーツとしての側面も持っていたGSX-R250から、サーキットでの運動性能を追求して1990年にデビューしたGSX-R250R。エンジンはGSX-R250がベースだが、シリンダーヘッド、ピストン、コンロッド、クランクなど主要部品のほとんどが刷新された。ボア・ストロークは49.0mm×33.0mmで、コブラ、バンディット250、アクロスなども同様。
ヤマハはFZR250Rのエンジンを活用
その一方で、4スト250cc並列4気筒ネイキッドに、あまりノリ気ではなかったのがヤマハである。FZR250Rのエンジンを転用したネイキッドとして、1991年にジールを発売した同社は、以後は1999年に生産が終了するまで、ほとんど改良を行わなかった。
おそらく、1990年代中盤にマジェスティ250とTW200が大ブレイクを果たしたヤマハにとって、250ccネイキッドはそんなに魅力的なジャンルではなかたのだろう。
ヤマハ ジール(1991年)
デザインは海上をジャンプするイルカがモチーフ。ツインスパータイプのフレームはスチール製で、FZR250R用4気筒エンジンは中低速を重視し、大幅に手が入れられていた。
元ネタ「FZR250R」
FZR250の後継として1989年にデビュー。エンジンはFZR250用をベースとしつつも、バルブ、ピストン、コンロッド、クランクシャフト、吸排気系など、多くの部品を新規設計し、より高回転型に。ボア・ストロークは48.0mm×34.5mmで、ジールも同様。
レポート●中村友彦 写真●八重洲出版 編集●上野茂岐
追記2023年8月20日:ホンダ ホーネットのフロントタイヤサイズを120/70ZR17と紹介していましたが、正しくは130/70ZR16で、訂正を行いました。