初夏の信州へ思いを馳せ、僅かな梅雨の合間を見出して、すぐさまシートへ跨がった。
大自然はもちろんだが、彼の地の人々が刻み込んできた文化にも触れてみたいと思い立った旅。
どんな出会いが待ち受けているのだろうか。
report●生田 賢 photo●岩崎竜太/生田 賢
※本記事はMotorcyclist2019年9月号に掲載されていたものを再編集しています。
美々(びび)しい山々との出会いを胸に
関東甲信地方が記録的な日照時間不足となった7月某日、翌日の天気予報で偶然にも晴れマークを見付けた私は、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)として信州行きの準備を始めていた。
翌朝早くに東京都内を抜け出して、まず向かったのは長野県松本市。
宿泊は市内を選択、ルートも把握してある。
ツーリングも含め、旅の宿泊地にはほとんどを近隣の都市部から選んできた。理由は〝人の営みを感じたい〟からだ。
全くの未開の原野を行くならともかく、道がある以上、必ず人の手が入っている。そんな自然と共生する人たちの生活に触れるには、人が多く集まる場所に出会いの可能性が高いと見るのは定法だろう。
穂高連峰を一望できる安房峠や、国宝松本城を有するという、まさに大自然と町文化の融合をバランス良く成立させている都市として、今回の滞在先に松本市を選んだのは、私としてはごく自然の成り行きだった。
ところが、である。
中央自動車道と併走するように伸びる厚い曇は、ひと昔前の小排気量四輪車でエアコンを作動させると出力が落ち込むように、私の弾む心を鬱々(うつうつ)とさせた。
時折雨粒も落ちてくる中、予報を信じたことを少し後悔しながら、岡谷JCTから長野自動車道へと入ると、何とか岡谷トンネルの先で澄み渡った碧空(へきくう)に出会うことができたのだ。
松本ICから市内を経て国道158号を西進する。
別名野麦街道とも呼ばれるこのルート、かの野麦峠へと続く重要な交易路で、能登地方の物資が運び込まれて人々の暮らしを支えていた。
梓川(あずさがわ)のほとりに佇み、標高2051mの黒沢山を見上げながら当時の往来に思いを馳せる。
梓川上流には昭和中期に建設された稲核(いねこき)、水殿(みどの)、奈川渡(ながわと)の三ダムが、158号沿いに次々と姿を現す。
現代文明に欠かせない電力の供給を担っているわけだ。
この野麦街道、昔は物資、今は電力供給、そしていずれにも人の往来を支えてきたという、さながら時代を超えたハイブリッド街道とも呼べるのではないだろうか。
奈川渡ダムが作り出した人造湖の梓湖を左に、上高地口を右に見て進むと、いよいよ第一目的地の安房峠へ向かう158号旧道に突入だ。
いろは坂とも言われるほどの難所にクルマの往来はほとんどなく、鬱蒼(うっそう)と茂る木々に日だまりも途切れがちだ。
カーブの番号を示す青ゴケをまとった標識が、まるで私の走りを睥睨(へいげい)する峠の番人に思える。
10号カーブで立ち止まると、小鳥のさえずり以外は何も鼓膜を打つものがない、霊妙な静寂が心身を抱きすくめてきた。
何とも言えない緊張状態のまま、ついに峠の駐車場へと乗り入れたそのとき、眼前に横たわるのは、白雲(はくうん)が宙に浮く絵屏風のように穂高連峰の稜線を押し隠している光景だった。
峠は遭逢(そうほう)のメッカ
穂高連峰は元より、岐阜県高山市側にも厚い雲がかかっていて、乗鞍岳はおろか、個人的に期待していた摩利支天岳にも拝謁(はいえつ)かなわなかった。
撮影中、高山市からクルマで愛犬の散歩に来たという男性から、「どっから来たの? バイクで? 自然はいいでしょう。何より空気が澄んでるからね」と話し掛けられた。
この後は引き返すことを伝えると残念そうに、「次は飛騨にも寄ってってよね、待ってるからさぁ」と温かく誘ってくれる。
そんな言葉が少しだけ重い気分を吹き飛ばしてくれたのだ。
気分一新、次の目的地である野麦峠を目指す。
旧道の復路はおおむね下り。標識のある16号カーブから順に攻略していく。
往路で走っているから今さら何をと言われるかもしれないが、実のところ行きは撮影で手一杯だったのだ。
12号カーブまではRの大きいコーナーなので慣らし区間。
11号から本格的なヘアピンが襲いかかってくる。
下りは奇数番号(左コーナー)イン側の高低差が割に大きいのと、連日の雨で濡れている部分が多いので、慎重に走って行く。
久しぶりの碧空に誘われた観光客が運転するクルマも増えてきたようだ。
一旦奈川渡ダムまで戻り、岩崎カメラマンと合流。
慎重に走った分残り時間と天候が大いに気になり、引きつった笑顔で束の間の旧交を温めた。
後編はコチラ(順次公開)