ヒストリー

【首都高今むかし】東京オリンピック開催の1964年当時と現在を比べてみた 「速度制限は?料金は?風景は?」

1962年に開通した「首都高」こと首都高速道路。首都圏の交通・物流の要であるのはもちろんだが、東名高速、中央道、東北道、常磐道など、各高速道路へのハブとしても機能しているので、首都圏在住のライダーでなくてもツーリングに行く際など通行したことのある人は多いのではないだろうか。
1964年の東京オリンピックに向け開発が加速したと言われる首都高だが、開通黎明期はどのような道だったのだろうか。バイク雑誌『モーターサイクリスト』の姉妹誌で、1964年に創刊された自動車専門誌『driver』がまさに1964年の首都高の様子を取材していた。『driver1964年6月号』の誌面から、当時の首都高にタイムスリップしてみよう。


まだ首都高を体験した人は少なかったはず

東海道新幹線、東京モノレール、数々の高層ホテル。1964(昭和39)年の東京オリンピック開催に向けて、東京には新しいインフラが次々と出現した。首都高もその一つだ。

正式名は首都高速道路。オリンピック会場や宿泊施設がある都心と、海外から選手や観客を迎える羽田空港の間のアクセス向上を目指し、建設は都心環状線と高速1号羽田・上野線から進められた。

初めて開通したのは、1962(昭和37)12月の京橋-芝浦間(4.5km)。1年後の1963年12月には、本町-京橋(2.2km)、呉服橋-江戸橋JCT(0.6km)、芝浦-鈴ヶ森(6.1km)の各区間が開通している。

「この道路が開通して2年になりますが 死者3名 現在の交通量1日35,000台から考えると安全な近道の役割を果たしています」(『driver1964年6月号』誌面本文より)

タイトルバックの航空写真は、首都高初の分岐部となった前述の江戸橋JCT。呉服橋と反対方面に分岐する6号向島線は、もちろんまだ存在しない。向島まで伸びるのは1971年3月のこと。

名神高速の初開通は1963年7月の栗東-尼崎間。首都高はそれより半年以上早いが、「日本初の高速道路」とは言われない。分類上、首都高は高速道路(高速自動車国道)ではなく、自動車専用道なのだ。「高速1号線 とはいいますが高速の字にとらわれないよう ご注意!! ご注意!!」と記事には書かれている。

1964年当時から制限速度は基本的に同じ

当時のほかの文献を見ても、首都“高速”が実態とかけ離れている点は、すでにユーザーや有識者などから指摘されていた。

「いったん走り出すと快調ですが ガッチリ速度制限されていますので ご用心 パトカーもいますよ」(『driver1964年6月号』誌面文中より)

誌面の羽田線と思しき制限速度標識は、「高速車60 中低速車50」。高速車、つまり普通車やバス、250㏄を超えるバイクなどは60km/h。軽自動車、大型貨物、250㏄以下のバイクといった中速車は50km/h。

中速車の区分は1992(平成4)年に廃止され、高速車に統一されたが、現在の首都高の制限速度は都心環状線が50km/h、1号線をはじめとする放射線は60km/hで、基本的に変わっていない。一方、自動車や舗装路の性能は比較にならない進化を遂げており、それを考えると制限速度の設定は半世紀前のほうがまだ実勢に近かったかもしれない。ちなみに、低速車は原付のことだろうか……? いや、乗れないはずだが。

「この道路は全線両側の縁石にカーブストンを使用 安全をはかっています 車が暴走して この石にタイヤが当たった時 ショックが吸収され 制動を受け 反発がやわらぐので相当の効力を発揮し事故防止に役立っています」(『driver1964年6月号』誌面文中より)

『driver1964年6月号』の誌面は一見、料金所にカーブが多い道路、備えつけの緊急電話、パンクなどで路肩に停める際の作法など、首都高の説明写真が漫然とレイアウトされている。だがキャプション(編集部註:写真に添えられた説明文)を追っていくと、どうやら首都高に乗ってから降りるまでのストーリー仕立てになっていることがわかる。

「お二人の車はパンクしました こんな時はタイヤ交換に差し支えない限り左側に寄せなくては…… 赤旗も用意してありませんね そんな時は恋人も 危険防止の役を買って出る位でなければいけません どんな道路でも事故で一番多いのはタイヤです 赤旗そ常備しておきましょう」(『driver1964年6月号』誌面文中より)

さて当時の首都高を走ってみよう

スタートは、開通区間で都心からもっとも離れた鈴ヶ森の上り線料金所。1台前にはテールがまさに宇宙船みたいな、フォード ギャラクシーのタクシーがいる。料金所は今よりとても簡素だが、写真奥で右手に大きく曲がるランプウェイの眺めは基本的に変わっていない。

「料金所でモタつくのは止めましょう 大きなお金の時は遠くから見せて おつりの用意をさせるべきです 助手がいる時は手伝って貰って スムースに進行しましょう」(『driver1964年6月号』誌面文中より)

2020年現在の鈴ヶ森料金所。

通行料金は均一で、普通車が100円だった。首都高が初開通した1962年は50円。この1964年8月に鈴ヶ森-空港西間などが開通すると、150円に改定されている。

ちなみに、鈴ヶ森といえば、その昔はすぐ目と鼻の先の第一京浜(国道15号)沿いにニスモ(日産モータースポーツインターナショナル)があり、日産の広報車(メディアが取材に使うクルマ)の貸し出し・返却も担当していた。また、大森駅方面に歩けばいすゞの本社があり、自動車業界の人間にはゆかりのあるエリアだった。そのいすゞも、2022年5月に本社を横浜みなとみらい地区に移転予定。

次の場面は、都心環状線に入って汐留出口の標識がある右カーブ。右手に広がる浜離宮沿いを走る区間だが、鈴ヶ森料金所の写真と同じく、風景は今よりも非常にのどかだ。

「汐留Sカーブから都心にかけて事故が集中しているようです ここからは注意しましょう」(『driver1964年6月号』誌面文中より)

2020年現在の汐留周辺の様子。

違いは大きく2つある。

一つは車線。現在ここは片側3車線で、一番左の車線がこの先の汐留JCTから東京高速道路(いわゆる会社線)に分岐するかたちだが、当時はまだ2車線だ。汐留JCT-新橋間(0.3km)が開通するのはこの2~3カ月後だから、3車線化はその後ということになる。1964年8月にはほかにも神田橋-初台間(9.8km)、呉服橋-神田橋間(0.4km)が開通し、羽田空港と代々木のオリンピック会場が首都高で結ばれた。

もう一つは、言うまでもなく周辺の建物。当時、道路の左手には旧国鉄の汐留貨物駅と操車場があった。汐留貨物駅は1872(明治5)年、新橋-横浜間に日本初の鉄道が開業したことで知られる、あの旧新橋駅である。

その広大な跡地は超高層ビルが林立する汐留シオサイトに変貌したが、再開発が行われる前のバブル期はしばらく何もない更地だった。そのあいだは屋外のイベント会場として利用され、クルマ関係のイベントも催された。2代目トヨタMR2の報道発表会とか、ここじゃなかったっけな~。

最後の場面は、都心環状線の銀座出口手前付近。道路の左右に続く擁壁は、ツタの緑に覆われた現在と違ってまっさらだ。そして、その数年前まで、ここは築地川だった。

「もうすぐ我が家 今日はこれでオシマイかなんていって人生のオシマイを道路の上で迎えないよう ガレージまで真剣にドライブしなさい 出口への矢印を見て旧にハンドルを切らず追い越しの要領で分離線に入りましょう」(『driver1964年6月号』誌面文中より)

2020年現在の銀座出口周辺の様子。

立ち止まっていろいろと考えるときかも?

川は埋め立てられ道路になり、水の流れはクルマの流れへと変わった。環境保全より近代化や経済成長が優先される時代だった。いや、環境の大切さに多くの日本人がまだ気づいていなかったと言ったほうがいいかもしれない。

2度目の東京オリンピック開催が決まった2013年ごろ、ちょうど首都高も1号線や都心環状線は開通から50年が経過し、いよいよ老朽化対策が喫緊の課題になった。オリンピックに向けて大規模なリニューアルが計画されたが、同時に一部から都心環状線の廃止を提案する声があった。

築地川に水の流れを取り戻す。筆者は都心の住人ではないが、都民の一人としていいアイデアだと思った。都心環状線の外側には中央環状線、外環、圏央道ができる。人口の減少とともに、世の中のクルマの数も少しずつ減っていく。それでも都心環状線がまかなってきた交通量が一般道に流れるだろうが、渋滞が多少増えたっていいじゃないか。築地川は夏場の銀座界隈やその周辺に涼風を送り、都市部のヒートアイランド対策に少なからず効果を発揮するだろう。クルマの電動化もいっそう進み、環境への負荷はさらに少なくなる。

2016(平成28)年に始まった1号羽田線の更新事業は順調に進み、2026(令和8)年度に完成予定。かたや、都心環状線の廃止論は結局盛りあがらず、更新事業に伴う新たな計画が持ち上がった。旧築地川の区間にフタをし、その上部空間を建物の敷地や緑地に活用しようというものだ。川ならぬ道路の暗渠化というわけか!?

一方、日本橋エリアでは、地元を中心とした長年の悲願がついに実現することになった。神田橋JCT-江戸橋JCT間の地下化だ。これによって、日本橋を半世紀以上にわたって覆ってきた高架橋は撤去され、かつて築地川が注いだ日本橋川は大きな空を取り戻す。

ただし、わずか約1.2kmを地下化する事業費は3200億円と巨額で、工事の完了予定は2040(令和22)年……。新型コロナによって東京オリンピックは延期になり、世の中もこれまでとは違ったかたちに変化する。都心環状線や空を覆い尽くす超高層ビル群が将来も本当に必要なのか、今一度立ち止まって考えてみてもけっして遅くはない。

レポート●戸田治宏 写真●八重洲出版『driver』より 編集●モーサイ編集部・上野

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