ヒストリー

こんな技術もあったのか!? 変革期、進歩過程で淘汰された「昭和に消えたバイク技術」

1970年(昭和45年)辺りから1980年代終わりまでの約20年間で、バイクに関わる技術は飛躍的に進歩。
ディスクブレーキやアルミフレーム、集合管など現在につながる技術が世に生まれ、国産二輪車の性能は劇的に向上していった。

その半面、生み出されながらも淘汰されてしまった技術もまた存在する。
もちろん、消えてしまった技術は全てダメなのでははい。その当時の生産技術や材料、あるいは社会環境が問題だったモノもある。
例えば2ストはエミッションの問題で消えた。でも、技術的にはクリーンで燃費の良い2ストはできていた。ホンダが95年のパリダカに投入し、上位完走したEXP-2のARエンジンがそうだ。でも、社会がもう受け入れないかもしれない(ロータリーも同じ)。

19→18→16→17インチと小径ワイド化・ラジアル化と進化してきたタイヤは、最近のアドベンチャーモデル人気でフロント19インチのオンロードタイヤが堂々復活し、ラジアル化も達成(18インチも)。大径化では78年にホンダが採用したフロント23インチはさすがに消えたが、21インチは健在だ。

CBX、Z1300、ベネリ・セイ750/900、ラベルダレーサー(縦置きV6)などの6気筒(いずれも70年代に登場)はどうか。
昭和が終る頃にホンダは60度V6・750ccの実験車FXXを走らせ、スズキは2005年に並列6気筒のストラトスフィアをショーで見せたが、現存する6気筒はホンダとBMWぐらい。ヤマハの5バルブ(FZ750など)もホンダのオーバルピストンも消えた。

でも、技術に完全な新発明は実は少ない。だから状況変化により、昭和技術の復活もあり得るのだ。

 

昭和に消えた二輪技術

 

フロントタイヤ16インチ化は スズキの“ケニー対策”から誕生

81年の世界GPのワンシーン。逃げるケニーを捉えんとするマモラ、ルッキネリ、クロスビーのスズキRGΓフロント16インチ軍団。

18インチタイヤより小径だから旋回性が上がるとGPマシンで採用されたのが16インチタイヤだった。
ホンダNR500(79年)は車体のコンパクト化から前後に採用したが、スズキはGPでのライバル、K・ロバーツ(ヤマハ)のインを突きクイックに曲がるためにRGB500(80年)のフロントに16インチ(ミシュラン)を投入した。

この流れは市販車にも及び、80年代にはホンダVT250F、VF750F、ヤマハFZ750、スズキRG250Γ、カワサキGPZ900Rなどで採用された。
いずれもバイアスタイヤで巻き込むクセがあり、前後17インチラジアルの登場で80年代中にほぼ姿を消した。

84年、初代のGPZ900R透視図。平成まで販売された名車だが、90年型でAVDSを廃止すると同時にフロントタイヤが17インチ化された。

 

やっぱり違和感があった「アンチダイブ」

●制動で発生するキャリパーのブレーキ力でアンチダイブピストンを作動させ、圧側減衰力を制御するTRAC。4段階の調整ができた。

ブレーキング時のノーズダイブ(フロントフォークの沈み込み)を抑制する機構は83年に、ブレーキトルク応答型のホンダTRAC(VFR750Fなど)と、ブレーキ液圧応答型のスズキANDF(RG250ΓやGSX-Rなど)が登場。
次いでヤマハTCS(FZ400Rなど)、カワサキAVDS(GPZ900Rなど)と続いた。

だがやはりその作動には違和感があり、タイヤ、フォーク内部機構が高性能化することで自然消滅。

細い油圧通路が複雑に絡み合う構造のため、サビや汚れが入り込むと不具合の原因に。その点も淘汰された理由の一因か(図版はANDF)。

 

ロータリーエンジン搭載の大量生産車はスズキRE-5だけ

初期型は茶筒メーターが特徴的な国産唯一のロータリー市販車RE-5。

ロータリーエンジンは四輪のマツダ(RX-7など)で有名だが、量産バイクでは74年に発売したスズキRE-5(497cc水冷1ローター)ぐらいしかモノにならなかった。
ヤマハRZ201(660cc水冷2ローター・72年試作車発表)、カワサキX-99(897cc水冷2ローター・74〜75年開発)、ホンダ(CB125車体・空冷・75年ごろ)などは開発中止。

同じ頃海外ではハーキュレスW2000、バンビーンOCR1000が極小量が生産され、1987年からノートンがロータリー車を市販しレースにも参戦したが、継続されなかった。

2019年、日本で行われたW800の国際試乗会でお目見えした試作車X-99。テストではZ1を上回る87.8馬力(Z1は82馬力)を発揮していたとか。

 

カマキリみたいなダブルプロリンク

1981年に東福寺保雄選手が駆ったRC125M。ノーズダイブが少なく、衝撃吸収性にも優れていたがコストの問題は小さくなかったはず。

テレスコピックフォーク以上の路面追従性を狙って登場したのが1980〜81年のホンダRC125に装着されたダブルプロリンク。通称カマキリサスだ。

同様のリーディングリンクサス(リビ・クアドリラテラルタイプ)は79年のスズキRN500などにも使われていたが、正立フォークより高剛性な倒立フォークの登場で消滅。

 

最高速90km/h超のフルサイズ・ゼロハンスポーツ

(右から・敬称略)片山敬済、清原明彦、上野真一、水谷 勝が鈴鹿サーキットで当時最新のスーパーゼロハンを走らせるという夢のような企画は弊社モーターサイクリスト誌の1983年3月号に掲載された。

中大型車と同じ18インチのフルサイズ・ゼロハンスポーツの戦いは81年から水冷化&モノサス化で一気にへ激化。
ヤマハRZ50、(水冷)、カワサキAR50(空冷)、がデビューし、82年にはホンダMBX50、スズキRG50Γが続いた。

が、83年頃から最高速60km/h自主規制がかかってしまった。

 

ATは楽で速い!? それはDCTに継承

70年代のうちからクラッチ操作レスの大型車EARA CB750Aを世に出したホンダ。その挑戦は現在のDCTにつながっている。

オートマチックミッション=ATを大型バイクに採用したのが77年発売のホンダEARA(エアラ)。
OHCのCB750FOURエンジンにLと☆(スターレンジ)の2速ATホンダマチックを搭載。この他にホークⅡエンジンのCB400T(78年)にもATを使用。
四輪同様のトルクコンバーター付きATはここで途絶えるものの、ホンダはモトクロッサーRC250MA(90〜91年)にもAT(HFT)を使用し、91年に全日本タイトルを獲得。

2008年にはDN-01でHFTを市販化。現行のDCTにAT思想が受け継がれた。

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