史上空前といわれた昭和のバイクブームでは一体どのモデルが売れたのかを、弊社刊行物の「モーターサイクリスト」誌が当時独自に算出していた販売台数を集計して、クラス別の昭和時代販売台数ベストテンを作成。
前回記事では400ccクラスの、前々回記事では250ccクラスの販売台数ベスト10をご紹介した。
そして今回は遂に401cc〜750ccまでの大型二輪車クラスである。
乗るには難関の”限定解除”をクリアしなければならず販売台数は少ないが、ステータス性やメーカーイメージを高める意味で重要なクラスということもあり、各社しのぎを削っての開発競争が繰り広げられたのであった。
それでは早速ランキングを見てみよう。
※注:このランキングはあくまで1989年までの販売台数を当時のモーターサイクリスト誌を参照して独自集計したものです。実際の販売台数とは異なる場合がありますのでご注意ください。
第1位:ホンダ・CB750F/インテグラ 3万8789台

1979 初代
新時代の到来を感じさせるデザインと待望のDOHC4バルブエンジン、低く構えたジュラルミン鍛造セパレートハンドルなど、スポーツ性を全面に押し出した精かんなスタイルで人気を獲得。
1981年には販売台数が1万台超を記録した。
1982年7月にはCBX400Fインテグラに続くフェアリング標準装備車のCB750インテグラも発売。
乾燥重量はスタンダード版から14㎏増しの245㎏となった。
現在も高い人気があり、直近ではホンダが純正部品を再販話題となった。

1982 CB750Fインテグラ
第2位:カワサキ・750RS(Z2)1万6453台

1973 初代
750cc超のバイクの販売を見合わせる自主規制により登場したZ1(903cc)の750cc版で、ボア・ストロークともに縮小している。
バランスの取れた性能を発揮して人気を博し、国内で累計2万台以上を販売。
今年3月にはシリンダーヘッドが再販されるなど今なお高い人気を誇る。
第3位:スズキ・GSX-R750 1万2774台

1985 初代
RG250Γ、GSX-Rに続きアルミフレームを採用、独自の油冷エンジンと相まって乾燥重量179㎏と驚異的な軽さを実現。
初年度の1985年は6067台、翌1987年は2638台を販売してクラストップに。
レースでも活躍して海外でも高い評価を獲得。海外向けは代を重ねて今なお現役。
第4位:スズキ・GSX750S 1万1735台

1982 初代
1981年に発売されたGSX1100Sカタナの国内向けモデル。
そのままの姿では認可が下りなかったことからスクリーンはオプション、耕うん機ハンドルと呼ばれるほどのアップ型ハンドルを採用して販売した。
国外モデルのハンドルを装着したGSX750Sを取り締まる“刀狩り”が行われたのは有名なエピソードだ。
第5位:ホンダ・VF750F 1万777台

1982 初代
直4エンジンに代わるホンダの象徴として登場したV4エンジン車。
アメリカンタイプのVF750マグナ、スタンダードモデルのVF750セイバーに続くスーパースポーツで最高出力72馬力。
第6位:ヤマハ・XS650スペシャル 9091台

1978 初代
ヤマハ初の4スト車、XS1の発展型となるTX650がベース。
アップハンドルや段付きシートなどでアメリカンタイプに仕立てた、日本における第1次アメリカンブームの立役者。
第7位:ヤマハ・XJ750A/E/D 8482台

1980 XJ750A
並列2気筒や3気筒を経て登場したヤマハ初の直4エンジン車。
650の拡大版で軽量コンパクトさが高評価を得た。
ちなみに車名末尾に付くアルファベットは、AがクルーザーでEはスポーツモデル、Dはフルカウル装備車両を意味している。
第8位:ヤマハ・SR500 7790台

1978 初代
エンデューロモデルのXT500をベースとするビッグシングル。
登場の発端は前年の二輪雑誌「モト・ライダー」に掲載されたエイプリルフール企画の大反響からとも言われている。
2000年に生産が終了しているが、中古市場でも今なお人気のモデルである。
第9位:ヤマハ・XV750スペシャル 6989台

1980 初代
1980年に登場した、国内メーカーでは陸王以来となる横置きクランクV2エンジン車。
挟角は振動バランス等を考慮した75度で、駆動方式はシャフトドライブを採用していた。
乾燥重量212㎏。北米向け名称はXV750ビラーゴ。
第10位:ホンダ・CBX750F 6570台

1983 初代
軽量コンパクトな新世代インライン4を採用して83年12月発売。
シフトダウン時の過大なバックトルクを低減するバックトルクリミッターや、オールアルミコムスターホイールを装備していた。
実は“ベストワン”かもしれない?:ホンダ・ドリームCB750フォア
北米で大ヒットし、年間生産台数1500台の計画が月産3000台となる売れ行きで、9年間に60万台以上を生産。
この数字は原付を除く最高記録と言われる。
国内でも昭和で1番売れた大型車かもしれない。
しかし、販売台数のデータが不明だったためランク外となってしまった。
いかがだっただろうか。
昭和の後半に青春を過ごした若者にとって憧れの象徴だった大型クラス。しかし乗るためには超えなければいけない壁が大きく、販売台数は控えめだ。
教習所でも大型免許が取得できるハードルの低い時代になったが、それでも大排気量車は憧れの象徴といえるのではないだろうか。
※本記事はモーターサイクリスト2019年11月号を再編集して掲載しています。