編集上の都合で「革新的」に分類したけれど、今回紹介する5機種のエンジンは、いずれも2輪車の歴史に名を残す「名作」である。残念ながらホンダ製2ストの系譜は途絶えてしまったものの、他4車は現在でも後継と言うべきモデルが販売されている。
1982年 ホンダVF/VFRシリーズ
歴史を振り返れば、AJSが1930年代に製作したGPレーサーや、ドゥカティが1960年代中盤に試作したアポロという前例があったけれど、2輪の世界にV型4気筒を根付かせたのはホンダである。
何と言っても1980~90年代の同社は、レースと量産車の両方でV型4気筒を主軸に据えていたのだから。

1935年のプロトタイプ公開時は自然吸気の空冷V4だったものの、1936年から欧州各国のレースに参戦を開始したAJSのファクトリーマシンは、スーパーチャージャー付きの水冷V4だった。1939年型は、最高出力:55bhp、最高速:210km/h。
そんなホンダV4の代表作としては、原点となった1979年型NR500、量産第1号車の1982年型VF750セイバー&マグナ、シリーズ初のカムギアトレインを採採した1984年型VF1000Rを挙げる人がいるかもしれない。

VF750Fセイバー/マグナ用のV4エンジン。シリンダー挟み角は90度。当初のカム駆動はオーソドックスなチェーン+スプロケット式だったものの、後にホンダV4は全車がギアトレイン式になった。
しかし、登場時に最も大きなインパクトを放っていたのは、ワークスマシンRVF750の忠実なレプリカにして、レース用ホモロゲモデルとして開発された1987年型VFR750R(認定型式RC30)だろう。

1987年 VFR750R(748cc、水冷4ストDOHC V型4気筒)
チタンコンロッドやバックトルクリミッター、アルミ製燃料タンク、FRPカウル、クイックリリース式フォークなど、RC30はレースを前提とした機構を随所に採用。価格は当時の一般的なナナハンのほぼ倍となる148万円。日本向けの1000台は瞬く間に完売した。
ただし最もお買い得だったのは、RC30と同様の構成を採用しながら、各部の素材と構成を一般的な仕様に変更することで、RC30の半額以下となる71万9000円で販売された、VFR400R(NC30)という説もある。

1988年 VFR400R(399cc、水冷4ストDOHC V 型4気筒)
前年まではスポーツツアラー的な雰囲気だったVFR400Rは、1988年になると、兄貴分と同様のレーサー然としたスタイルを採用。最高出力は自主規制値上限の59psだが、キットパーツ組み込み時は70ps以上をマーク。乾燥重量はRC30より16kg軽い164kg。
なおNCと言うと、昨今では700/750cc並列2気筒車を思い出す人が多いものの、ホンダは長きに渡って400ccロードスポーツの型式にNCという文字を使用。VFR400Rの型式はNC21→24→30→35で、同時代のCBR400R/RRシリーズはNC23→29だった。
1986年 ホンダNSR250R
本格的なブレイクは電子制御式キャブレターを採用した1988年型からだが、1986年に登場したNSR250Rは、1983年型MVX250Fと1984年型NS250Rで苦戦を強いられたホンダが、量産2ストロードスポーツ界で初めて頂点に立ったモデルにして、以後の2ストレーサーレプリカに多大な影響を与えた名車。

1986年NSR250R(249cc、水冷2ストV型2気筒)
現代の4スト250ccスポーツとは一線を画する乗り味が評価され、昨今では中古車価格が高騰しているNSR250R。ただし、市場で取り引きされている車両は1988年型MC18以降が主力で、写真の初代MC16はタマ数が少なく、人気もいまひとつのようである。
1985年の世界GPを制したRS250RWを規範とする、クランクケースリードバルブ式の水冷2スト90度Vツインは、アルミメッキシリンダーや大口径T型排気ポート、滑らかなアールを描く掃気通路、ラバー製ラビリンスシール、カセット式ミッションなど、同時代のライバル勢とは一線を画するメカニズムを採用していた。

構造的にはV型になるけれど、実際のNSRのシリンダーは<型配置。余談だが、カワサキが1989~1993年の全日本GP250ccクラスで走らせたX-09のシリンダーは、前代未聞の∧型配置だった。
なお1988年以降のヤマハTZRとスズキRG/RGV-Γは、2度のフルモデルチェンジを敢行しているが、NSRのエンジンの基本設計は1999年の最終型まで不変だった。
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