1970年(昭和45年)辺りから1980年代終わりまでの約20年間、バイクに関わる技術(発想・構造・生産技術・材料など)は驚くほど進歩した。
これまでの技術を発展させたものからまったく新しいものまで、さまざまな技術が登場。この時代の技術進歩がなければ現代のバイクが生まれなかったかもしれない。
油圧ディスクブレーキは1969年のホンダCB750FOURのフロントから、無接点点火のCDI(最初に注目されたのは1969年のカワサキ・マッハⅢ。以後2ストやオン・オフモデルに普及)やフルトランジスタ(1970年代終わりまでにはオンロード4気筒を中心に普及)、さらにアルミフレーム、リヤの1本サスなどもこの時代に登場。国内でのキャストホイール採用も1978年からだ。
左右分割した低いクリップオンハンドルは1979年のホンダCB750Fで認可されたに見えたが、1982年の国内仕様カタナ=GSX750Sでは1100Sの低いセパハンは大きなアップハンとされ、スクリーンなし、刀の文字デカールなしと、型式認定の壁を思い知った(小さなカウルはヘッドライトカバーと呼ばれた)。
フルカウルの国内車が晴れて認められたのは1984年のRG250Γからだ。また、前後17インチラジアルタイヤを装着して話題になったのが1988年のGSX-R750(国内初は1983年のヤマハXJ750DⅡ、ただし後輪のみ)。
忘れてはいけないのが、ヨシムラが1972年にバイク用集合管マフラーを発明し、同年に市販したこと。
当時のメーカーはそれを理論的根拠のない改造パーツだと思っていた。批判的な考え方は進歩を止める。でも、必ず技術者やファンの情熱が状況を変えていく。昭和の最後は、そうした20年間だった。
report●石橋知也
現代バイクにつながる 昭和に生まれた技術たち
パワーを安定して出すなら水冷

北米では「ウオーターバッファロー(水牛)」とのニックネームで親しまれたGT750。738cc2スト並列3気筒エンジンは67馬力を発揮した。
国産市販車の水冷化は、スズキの2スト3気筒GT750(1971年)で始まった。4ストではホンダがGL1000(1974年)、GL400/500(1977年)とツアラーに採用し、カワサキは6気筒Z1300(1979年)を水冷化。
そしてヤマハのTZレプリカRZ250/350(1980年)、ホンダのVT250F(1982年)とスポーツモデルでも水冷化が加速した。

水冷システムを得たZ1300の1286cc並列6気筒DOHC2バルブエンジンは120馬力を発生。車重は約300㎏……。
GPから即フィードバックされたアルミフレーム

初代RG250ΓはAL-BOXと呼称されたアルミダブルクレードルフレームを採用。鉄に比べ比重が3分の1のアルミは軽量化に多大なる貢献をした。
国産市販車でアルミフレームを初採用したのは1983年のスズキRG250Γ(2スト)と1984年のGSX-R(4スト)。
さらにスズキは1985年のGSX-R750で大型スポーツ車へも一気に展開。ホンダは1984年のNS250R、ヤマハは1985年のTZR250からだ。

1984年登場の2型では外装変更&ハーべーカラーが追加されると共にフレームも刷新。リブの入ったMR-ALBOXが導入された。
原付スクーターはメットイン化で大ヒット

シートの後端、盛り上がった所とテール周りにヘルメットが入るラゲッジスペースを設定したボクスン(英語の車名はbox’nと表記)。
1986年には原付も含め全てのバイク、全ての道路でヘルメット着用が義務化。
それを受けてシート下にヘルメットも収納できるスペースを最初に装備したのは85年発売のヤマハ・ボクスン。
その後ホンダのタクト フルマーク(1987年型)やスズキ・アドレス(1987年型)などメットインスクーターが続々登場。
各社の頂点は最速最強1000ccクラス

ヤマハ初の4気筒モデルでもあるXS1100(XSイレブンとも呼ばれる)。振動を打ち消し、スムーズであることを徹底して好評を得た。
1972年11月に発売開始された903ccカワサキZ1(900スーパーフォア)を皮切りに、リッターバイク時代が始まる。1978年末までにZ1000(1015cc)、ホンダCBX(1047cc)、CB900F(902cc)、スズキGS1000(997cc)、ヤマハXS1100(1102cc)、カワサキZ1300(1286cc)が出そろった。
過給器モデルが再び隆盛の予感!?

Z1Rターボ……正式車名は「Z1R-TC」は、米国のとあるカワサキディーラーが製作したモデル。2年間で500台ほどが生産された。
最初に有名になったターボモデルは1978年に発売されたカワサキZ1Rターボだが、これはディーラーオプションで、メーカー装着では1981年のホンダCX500ターボが最初。
翌1982年にヤマハXJ650ターボ、スズキXN85、1984年にはカワサキ750ターボと各社が追従した。

ライバルが軒並み80〜90馬力だったのに対し、750ターボは112馬力でかつ出力特性も過激。そのカワサキは今、スーパーチャージャーのH2シリーズで過給器バイクをリード中。
「空飛ぶサス」から始まった1本サス

リヤショックユニットの位置がよく分かるYZM125のストリップ写真。世界に衝撃を与えた「モノショック」は瞬く間に広まった。
リヤショックが1本になったのは1973年3月の全日本モトクロス開幕戦。ヤマハはYZM125/250にカンチレバー式の“モノクロス”を装着し両クラスで優勝。ストローク量と路面追従性は2本サスの比ではなく、YZMだけ高々とジャンプし「空飛ぶサス」と言われた。市販車ではDT250(1977年)で初採用。その後1980年代前半にかけてカワサキのユニトラック、ホンダのプロリンク、スズキのフルフローターといったリンク式が登場し、ロードモデルでも1980年のRZ250/350、1981年のCBX400Fと次々に1本サス化した。

CBX400Fのプロリンク透視図。当時世界初となる中空アルミキャストスイングアームと組み合わされた。