■2025年マン島TTのスーパースポーツTTで優勝したディーン・ハリソン選手(ホンダCBR1000RR-R)の、ユニオンミルズでの走り
マン島TTは、250km/hで走るモトクロス!?
1周60kmの公道を舞台とする唯一無二のレースがマン島TTだ。それゆえ、サーキットレースとは異なるマシンセッティングが必要となる。その要点について、TTのレジェンドライダーであるイアン・ロッカー氏に話を聞いた。
マン島TTなどの公道レースでは、エスケープゾーンがないことの危険性が語られることが多いが、もうひとつ見逃せない点が路面の状態だ。サーキットでは安全性を高めるためにより平滑な舗装が施されているが、マン島TTで使われる『スネーフェルマウンテンコース』は、あくまで一般公道である。もちろん路面の補修は常時行われているが、それは制限速度での走行を想定したものだ。
「路面を補修したところはたしかにきれいになっているけれど、レーシングスピードで走ると、かなりうねっていてマシンが振られる原因になりますね」
そう話すのは、スネーフェルマウンテンコースでのレースを10年経験している山中正之選手だ。山中選手はマン島TTのレースウィーク中、予選や決勝での走行のほかに毎日早朝の下見走行(ただし安全を考慮し、バイクではなくクルマで走っている)を欠かさず行っている。だから路面補修が行われたところはすべて把握しているし、それによる変化もしっかりと確認している。
また、あるライダーは「マン島TTは250km/h以上で走るモトクロスだ」と話す。サーキットで行うロードレースでのマシン挙動は、いわば2次元的であるのに対して、マン島TTでは上下が加わった3次元的なものとなる。それが最も顕著に現れるポイントがジャンプスポットとして有名な「バラフブリッジ」で、多くのライダーは着地で前後サスペンションがフルボトムするほどに高く、そして長く跳ぶ。
バラフブリッジは、そもそもアプローチの上り坂が急だからジャンプしてしまうのはしかたないポイントではあるのだが、路面のちょっとした凹凸や下り坂のアプローチなど、制限速度で通過するならまったく問題のないところでも、250km/hで走るとジャンプやウィリーしてしまう。

もちろん、ラップタイムを短縮するためにはジャンプもウィリーもしないほうがベターだ。しかしマン島TTではどうしても避けられないポイントがいくつもある。それゆえマシンセッティングの中でも、とりわけサスペンションが重要になってくる。

リバウンドはソフト目、リヤプリロードはハード気味がマン島TT対応のサスセッティング
そんなマン島TTの参戦回数136、優勝は10回を数える元TTライダーであり、現在は『Team I.L.R.』の監督を務めるイアン・ロッカー氏に、マン島TTでのサスペンションセッティングについて話を聞いた。
「サスペンションセッティングが難しいのは、スムーズな路面とバンピーな路面が混在しているからです。たとえばラムジー付近(コース中盤)はバンピーだけど、マウンテンは路面がスムーズなのでショートサーキットのようなセッティングが適しているんです」(イアン・ロッカー氏※以下同)

ここでいうショートサーキットとは、1周およそ4~6kmのサーキットのことで、イギリスならシルバーストン、日本なら鈴鹿のような国際サーキットのことだ。
「そのため、サスペンションのセッティングをどうするかはライダーによって違ってきます。また、速いライダーならショートサーキットのセッティングでもラムジーのバンピーな路面に対応できるけど、まずはライダーの身体の大きさ、体重ですね。軽いライダーがハードなセッティングにすると、ギャップなどでマシンの挙動が暴れる原因になってしまう。でも、だからといってソフトにしすぎてもマシンが暴れたときに収束しなくなります」
マン島TTは2週間も続くが、前半が練習と予選、後半が決勝ウィークとなる。ライダーはレースウィークの前半でマシンセッティングの調整と確認をする。前述したように路面状態はスムーズとバンピーが混在しているうえ、路面の補修は毎年行われているため、その場所や配分も異なってくる。それらを見極めてサスペンションを調整していく。
「よりハイパワーの1000ccでは、サスペンションをショートサーキットに近いセッティングにします。傾向としてはハードなセッティングです。そうしないと路面のうねりに負けてしまうからです。といってもショートサーキットではあまり細かいところを詰めていく必要はないのですが、マン島では特にリバウンドに細心の注意を払って調整します。具体的にはリバウンドはややソフトにセッティングします。また、加速時のウィリーを防ぐためにリヤのプリロードをかけます。マン島には数え切れないほどのウィリーやジャンプスポットがありますが、本音を言えばライダーはウィリーもジャンプもしたくないのです(笑)。アゴズリープやクロスビー、バラフブリッジでは前荷重をしてウィリーやジャンプの距離をなるべく短くするように走っています」
昔は、高く跳ぶと着地のたびにドライブチェーンが伸びてしまうので、なおのこと低く短く跳ぶことを心がけていたとロッカー氏は言う。
「特にバラフブリッジはブレーキタイミングが遅れるとどうしてもジャンプが高くなってしまうので注意していたポイントです。TZ350を走らせていた頃は、メタルも弱いしあちこちが緩むしでかなり苦労したものです。でも今はドライブチェーンだけでなく、ほかのパーツも性能が上がったので、そういう不安はなくなっています。その点ではずいぶんと楽になりました」
しかし観客やカメラマンはそうした場面にこそマン島TTらしさを感じるし、だからこそバラフブリッジには、予選から多くの観戦客が集まる。ここでライダーを観察していると、ジャンプの距離は各人によってかなり違うことがわかる。たとえば今年のスーパーバイクTTとシニアTTで勝利したディーン・ハリソン、そのライバルであるピーター・ヒックマン、ベテランのジョン・マクギネスはかなり長い距離を跳ぶが、マン島TT最多勝利数を誇るトップライダーのマイケル・ダンロップはかなりスピードを落としてジャンプを短くし、直後の加速を重視した走り方をしている。


最高峰クラスは総距離360km、ライバルよりもコース・路面との戦い
では、サスペンション以外ではどうだろう。マン島TTは1周60kmと長く、スロットル全開で走行する場面も多い。スプリントとも耐久とも違う、マン島独自のエンジンチューニングはあるのだろうか。
「上り坂が多いのでエンジンのトルクがさらに必要ですが、エンジンの改造はレギュレーションで厳格に決められているので改良できる余地はあまりありません。トップチームはわかりませんが、私のチームでは耐久性を高めるようなチューニングはしてなくて、ごく普通のレーシングチューンをしているだけです」
公道レースはヨーロッパで盛んに行われており、マン島TTはその頂点に君臨している。それは1907年から続く歴史もそうだが、1周60kmという長丁場であることも理由のひとつだ。
「私が最も難しいと感じる公道レースは、やはりマン島です。なぜなら一人で走らなければならないからです」

マン島TTは一斉スタートではなく、予選のタイム順におよそ10秒おきに1台ずつスタートする。そのためテールトゥノーズやサイドバイサイドになる場面は少なく、1周60kmのほとんどを独走することになるのだ。スーパーバイクTTやシニアTTの場合、決勝レースは6周だからそれが360kmも続く。
「戦う相手はライダーではなくサーキットです。誰かと競るのではなくコースとの戦いになるのですが、まわりにライダーがいたほうがイージーで走りやすいのです。特にニューカマー(※マン島TT初参戦のライダーのこと)はまわりとペースが合わないので、2時間ずっとひとりで走って集中力を維持しなければなりません。これはかなり困難なことです。私が一番好きなのはアルスターGPが行われるダンドロットサーキット(北アイルランド)ですね。サーキットとは言え公道を閉鎖した1周7.4マイル(約11.9km)で、ヘアピンコーナーはひとつしかなくてコースはスムーズでリズミカルです。新型コロナ禍で中止になってから、アルスターGPは開催されていないのですが、2027年に再開されることが発表されました。でも以前は電柱などをレース時に撤去できるようになっていたのですが、今はそうなっていません。来年どうなるかはまだわかりませんね」
マン島ではスネーフェルマウンテンコースのほかに『ビロウンサーキット』と呼ばれる公道レースコースもあるが、こちらは1周およそ7km弱と短い。たいていの公道レースはこうしたスモールロードサーキットで行われている。

コースを走れば、その過酷さの一旦を実感できる公道レース
中年以上の読者には、サイモン&ガーファンクルが歌っていた『スカボローアフェア』という曲をご存知の方もいるだろう。スカボローはイングランド東部の海辺の町で、ここにある『オリバーズマウント』では主要な公道レースが年に数回行われている。ここのコースは1周約4kmと短いが、小高い丘の頂上付近にあるためアップダウンが激しく、ヘアピンカーブが4つもある。マン島TTのコースを縮小して狭くうねったような公道サーキットとも言われている。
「オリバーズマウントはハードブレーキが多くなるので、フロントサスペンションをハードにセットします。特に4つ目のヘアピンは急激な下り坂のボトムにあるので、フロントサスペンションのセッティングが重要ですね」

ちなみにマン島のマウンテン区間は、平時から速度制限がないため、どれだけスピードを出しても違反切符を切られることはない。筆者も何度か走ったことがあるが、140km/hくらいになるとバイクが容易には傾かなくなる(コーナリングできるほどには車体がバンクしない)ことを初めて知った。オリバーズマウントも走ったが、イアン氏が話していた4つ目のヘアピンは、レーシングスピードでなくともフロントブレーキがフェードするのではないかと思うほどに強くかけないとならない。エスケープゾーンがないことだけでなく、「こんなところでレースするなんてクレイジーすぎる!」という、ごく当たり前の感想を抱いたものだ。
「公道レースは、コース沿いに普通の民家や石垣があったり、それでいてエスケープゾーンがないなど危険があちこちにあります。それらをどう回避して、安全にレースをするか。それを攻略していくのも魅力のひとつです」

日本では馴染みがない公道レースだが、スロットル全開で駆け抜けていくマシンをコース間近で観戦できる迫力は、サーキットでは体験できない迫力だ。機会があったらぜひ、その頂点であるマン島TTを観戦してほしい。
Photo&Report●山下 剛(Yamashita Takeshi)
































