復活のカワサキ250cc4気筒!
「カワサキが250cc4気筒モデルを開発中だって? 冗談を言っちゃいけないよ」……なんて話をしていたのは半年ほど前のことだろうか。ところがどっこいフタを開けてみると、今年の東京モーターショー2019で発表されたNinja ZX-25Rには、確かに250cc4気筒エンジンが搭載されていた(ZX-25Rの詳細はこちらから)。
高出力が見込める一方で、構成部品が多く生産コストが高くなる4気筒エンジン。250cc車の場合、’08年に生産終了となったホンダのホーネット、カワサキのバリオスⅡ以来の登場で、約10年振りの復活である。同車が発売されれば、ニーハン4発と青春をともにしたナイスミドルや、「250は4気筒じゃなきゃ!」と気筒数マウントを食らって来たヤングライダーにとっても嬉しい車両だろう。
と冗談(?)はさておき、ここではカワサキの250cc4気筒車の歴史を振り返ってみよう。……2車種しかないけれど。
カワサキ初の250㏄4気筒:ZXR250(1989年~)
250㏄4気筒車の市場投入はカワサキが一番遅く、ZXR250が発売されたのは平成に入ってからのこと。先んじて発売された(と言っても1ヵ月程だが)ZXR750の意匠が散りばめられたレーサーレプリカである。
フロントフォークは当時としては珍しい倒立式(フォーク径41mm)で、フレームはアルミ製ダイヤモンド形状のE-BOXフレームを採用。
走行時の風圧を利用して新気を過給状態でエアクリーナーへと取り込むK-RAS(カワサキ・ラム・エアー・システム)もZXR750、ZXR400同様に装備していた。
また、水冷インライン4エンジンは自主規制上限の45ps/1万5000rpm(※1993年以降は規制値が見直され、40psになった)をほこる超高回転型エンジンだった。
なお、同時発売されたSP仕様のZXR250Rは前後にラジアルタイヤを履き(ノーマルはリヤのみラジアル)、キャブの口径を30→32へと拡張。クロスミッションも採用されていて、よりサーキット志向に振ったモデルとなっていた。
しかし、レーサーレプリカブームからネイキッドブームへと変化する時代の波にはあらがえず、ZXR250シリーズは1995年に生産終了となった。
レプリカからネイキッドへ:バリオス(1991年~)/バリオス-Ⅱ(1997年~)
レーサーレプリカ→ネイキッドというトレンドの移り変わりに合わせて投入されたのが、ギリシャ神話に登場する神馬の名を冠するバリオスである。
エンジンの基本設計はZXR250と共通ながら、中低速を重視して吸気側のカムシャフトを変更。ビジュアルを意識して水冷エンジンではあるものの、シリンダーには空冷風のフィンが設けられている。
フレームはボルトオン式のアンダーチューブを持つパイプ製のダブルクレードルフレームを採用。
1997年からはモノサス→2本サスに変わったバリオス-IIが登場。
リヤサスペンション以外にもハンドル&ステップ位置、及びシート形状が変更され、乗車姿勢にも若干の余裕が生まれた。
エンジンにはスロットルポジションセンサーのK-TRICの追加をしたほか、吸気系を中心に小変更が施され、レスポンスも向上している。
そのマイナーチェンジを施しながら販売が続くが、前述のとおり2008年をもって生産を終了している。
【おまけ】国産初のニーハン4発:GS250FW
国産市販モデルで初めて4気筒エンジンを搭載したのが、’83年にスズキが投入したGS250FW。市販250モデルで4気筒化を果たしたのは、1970年代前半に登場したベネリ254(クアトロ)に続いて2例目。ベネリは空冷OHCだったので、FWは世界初の水冷DOHCエンジンを搭載した250cc車になった。
しかし当時のスズキ社内では「音ばっかりで進まない(速くない)のに、なんで(250cc4気筒エンジンを)作っちゃったかね」なんてことがメカニックの間で話題になったとかならなかったとか。
そもそもエンジンの多気筒化は、高回転、高出力化が目的である。が、部品点数が増えることでメカロスも多くなり、特に中小排気量車ではその恩恵に与れない(パワーアップしてもフリクションが増えたためマイナスに作用してしまう)こともある。
カワサキもそれは重々承知しているだろうから、上記のような問題を回避する前提で開発を進めているはず。いったいどのような仕様になるのか、市販版への期待は高まるばかりだ。
まとめ●モーサイ編集部 写真●八重洲出版/カワサキ