目次
■650ccのホンダ ブロス「プロダクト・1」
脱レーサーレプリカの一手
’80年代には、レーサーレプリカモデルをはじめ数々の高性能車が登場したが、その勢いに間もなく歯止めがかけられた。各排気量クラスの国内販売モデルに、最高出力上限値(自主規制値)が設けられたのだ。
50cc=7.2ps、125cc=22ps、250cc=45ps、400cc=59ps、750㏄=77ps、1000㏄超=100psといった具合で、これが’89年に明文化された(後の’92年には国内販売車の中心的排気量として、250㏄=40ps、400㏄=53psへ変更)。
そしてこの数値、21世紀に入ってからもしばらく継続された。’07年に馬力規制は廃止されたものの、たび重なる加速騒音規制や排出ガス規制の影響もあり、各クラスのモデルはその後もこの範囲内の出力に収まっていたのだ(最新のカワサキZX-25Rでは久びさの45psを誇り、間もなく登場のZX-4Rは上記クラスの数値を超える高性能を誇っているようだが……)。
ただし、すべてのバイクが高性能を目指す必要はない。出力への足枷がかかる前から、’80年代当時の国内4メーカーは常に別の価値観のモデルも模索していた。
例えば、手軽に扱える性能であったり、鼓動を演出したテイスティな走りだったり、クラシカルな個性を持つモデルだったりである。
そして’88年、NSR250R登場でレーサーレプリカブームをリードしたホンダも別の価値観を模索していたが、その一例として登場し個人的に印象深かったのがブロス(BROS)だった。
排気量は650cc(実排気量647cc)のプロダクト・1と、400cc(同398cc)のプロダクト・2の二本立て。限定解除免許(現・大型自動二輪免許)向けと、中型限定免許(現・普通自動二輪免許)向けという当時の定石的なラインアップだったが、画期的に思えたのは、クラシカルな路線ではなく、当時のホンダの最新メカニズムを盛り込みつつ、新たなスタンダードバイクを提案していたこと。
排気量の数字が付かない車名や、車体のフォルムも印象的だったものの、それと同様に目に止まったのが広告やカタログの展開だった。いっときのホンダ販売店には「G感、BROS.」なる謎のコピーのポスターが掲げられたものの、車両の写真は出ていない。
「はて、これはなんの標語、どんな意味?」排気量を特に明示せず、車名も聞き慣れない。その奇抜で断片的な表現は、ティーザー広告の走りとも言えるし、バイクファンに興味を持たせる上で功を奏したのか。
イメージ先行のカタログ表現
当時のカタログを見てみる。やはり最初のページ=表紙には車両写真は登場しない。白地に黒文字で「G感,BROS.」とあるだけ。そして次ページの見開きには斜に構えた西洋人らしき男のバストアップと以下の短い文章が入る。
「男がいた。イメージがあった。
そして生まれた。このチカラ、このフォルム。
かつて誰も体験したことのない、感動の動感。
それがG感。それがブロス。G感、BROS。誕生。」
新しいことをやりたい意図は感じるが、読んでもよくわからない。G感とは? 多分、横Gとか縦Gの表現で使うG=Gravity(重力)をまず意図し、縦横にGを感じられるパワーと軽快さを表現しているように思える。だが次ページに進んでも、答えはない。
カタログの2見開き目、3、4見開き目もイカした西洋人+ブロスのイメージ写真が展開され、片隅にヘミングウェイ作品の小文が引用される。車両の説明が入るのは、やっとカタログの5見開き目からだ。
■5見開き目
「容姿にプライドがある。」と題し、バイクのジャンルを超越したスタイルを正統にして先進と表現。そしてボディの上半身と下半身のイメージの違いに、二面性があると記す。
上はタンクからリヤカウルに至るまで、MCとしてサラブレッドのように滑らかなラインを描いて繊細でもある。一方下半身は、エンジン、フレーム、タイヤなどが闘牛のように太く逞しいイメージにし、上下合わせて美しさと力強さが融合したという。
■6見開き目
「行動に主張がある。」と題し、水冷52度Vツインはアクセルを開けると、ストマックに一発、ズシッとボディーブローを受けたようなトルク感があり、独特の力強い鼓動も伝えるという。そして大胆に太く短くカットされたショットガンマフラー、アルミツインチューブ・ダイヤモンドフレームなどもブロスならではの魅力。
また、同じ見開きの対向面に「背中に迫力がある。」とのタイトルもあり、太さを誇示したリヤタイヤ、それを一本の逞しい腕で支えるプロアーム、独特なデザインのトルネード(大竜巻)ホイールも個性を強調とある。
また、サイドカバーを排した車体中央には赤いコイルスプリングのリアクッションが存在をアピールするなど、リアスタイルもブロスの個性だという。
■7見開き目
「表情に味がある。」と題し、フロントマスクを親近感のわく顔立ちと表現。レーサーレプリカの近寄りがたさはなく、トラディショナルな雰囲気だという。丸型ハロゲンヘッドライトを中心に、2本の極太フロントフォークがそそり立ち、奥には大型ラジエターが顔をのぞかす。
また足もとは豊かな制動力の大径フローティングディスクを採用しつつ、わざとシングルにして車体の右側をすっきり美しく見せる。「一見おとなしい顔つきで、パンチのきいた走りを披露するのだから、なかなかのポーカーフェイスと言わざるをえない」とアピール。
同じ見開きの対向面には「全身に機知がある。」と題し、デザインのこだわりと機能性を追求し「むやみに飾り立てず、ライダーの身になって真剣に考えた結果」という装備群を紹介。
シンプルで機能的な大型2眼メーター、ビルトインスイッチ、アジャスタブル機構付きブレーキレバー、サイドを絞り込んだ12Lフューエルタンク、突起のないヒンジタイプのアルミ製フィラーキャップ、自然なライポジが得られるシートデザイン、シート後部に収納式ロープフック内蔵、高性能をカタチにした異形対向4ポットキャリパー、といった具合だ。
前述した装備を見れば、高性能狙いのモデルではないとはいえ、当時のホンダが全く手を抜いていないことが窺える。アルミツインチューブフレームに片持ちのプロアームサス、そしてシングルとはいえフローティングマウントした大径ディスク+異形対向の4ポットキャリパーなど、どれもが当時の先端を行く装備だった。
隠れた要は狭角52度の水冷Vツイン
かようにデザインは斬新で新機構も惜しみなく投入したブロスだが、ホンダの狙いの本流はブロスに搭載されたエンジン、52度の挟み角を持つ水冷4サイクルV型2気筒にあったと思う。
’80年代に入ってからのホンダは、バイクの軽快さスリムさを兼ねつつ、パワーも得やすいV型エンジン指向が強まっていた。90度V型2気筒のVT250F(’82)、90度V型4気筒のVF750シリーズ(’82〜)など、主要排気量にV型エンジンを揃えた当時のホンダは、並列多気筒よりV型を主軸に今後を展開する意欲を強く打ち出しており、そこから生まれたひとつに90度より狭角なVツインがあった。
横置きVツインは、車体幅を単気筒並みにコンパクトにできるメリットがある一方、並列エンジンに比べて前後に各気筒のシリンダーヘッドが張り出すことで、車体長が長めになりやすいと言われる。
特に90度Vツインは角度も広がるため車体レイアウトには工夫が必要となるが、そのデメリット解消するひとつとして、前後気筒の挟み角を小さくしたVツインを模索。
そこから生まれたのがブロス系の52度V、NV750カスタム(水冷)やXLV750R(空冷)に搭載された45度V型ツインだ(それより前の’70年代後半には、ホンダは同社初のVツインとしてGL400/500で縦置きエンジンも展開している)。
52度Vツインは、前後長をコンパクトにしやすい一方、90度Vのメリットである一次、二次振動を打ち消す特性とはならない。同軸クランクピンにある前後気筒の相互運動で一次振動が多少出てしまうのだが、これを打ち消すためにクランクピンを76度位相。こうして前後気筒の爆発間隔を調整することで実質90度Vと同等に一次振動低減を狙うという凝ったことを行なっている。
工夫の凝らされたこの52度V型2気筒・位相クランクエンジン、実はブロスが初ではなく、ロードスポーツのNV400SPとアメリカンのNV400カスタム(’83年登場)に初搭載されたが、さほど芳しい人気は得られなかった。
そこそこ美しくハーレダビッドソンも想起させる造形の横置きVツインなのに(ハーレーは45度空冷Vツインだ)、ドコドコした鼓動やトルク感もなくするっとした回転感だったためだ。
ホンダらしい部分でもあるが、52度Vツインの発生する一次振動を、真面目に位相クランクで打ち消したことで滑らかになりすぎ、結果的に味や粗雑感を薄めてしまったのだ。
そんな市場の評価を踏まえ、ホンダはこの52度Vツインを同軸クランクピンに戻した仕様も後に登場させる。こちらは’88年に登場し、国内でスマッシュヒットを記録したアメリカンのスティード(400/600)に搭載され、その造形と相応に鼓動感のあるエンジンが受け入れられた。
またほかにもこの52度水冷Vツインの系統は、長く数多くのモデルに搭載。同軸クランク仕様としてはシャドウ(400/750)シリーズ、短命に終わったロードモデルのVRXロードスター(400)など。
位相クランク仕様はオンオフ系モデルのアフリカツイン(XRV650&750)、トランザルプ(400/600)、欧州向けミドルツアラーのドゥービル(NT700V)、HFTオートマチックトランスミッションを搭載した革新的モデルDN-01などに進化しつつ搭載され、非常に息の長いエンジンとなったが、その詳細は可能なら別の機会に紹介したい。
時代を先取りしたデザイン&フォルム
鮮烈ながらイメージ先行の販促表現で登場したブロス。しかしその実はしっかり新機構を満載し、よく練られ結果的に長寿機となった水冷Vツインを要として、革新と次世代の本流を感じさせる真面目なパッケージングにも思えた。
しかし時流には合わず、登場の’88年から’90年のマイナーチェンジを経て間もなく国内市場から退場。アルミツインスパーフレームに、片持ちプロアーム、綺麗にバフがけされたマフラーほか各部の質感も、バブル絶頂期の勢いそのまま実に贅沢で丁寧な仕上げだ。それなのに爆発ヒットとならなかったのは、いくつか理由があろう。
高性能レプリカブームがまだその後数年間続いてピークパワーへの関心が冷めていなかったほか、本来力点が置かれたはずのプロダクト1の650ccという排気量が、大型バイク=限定解除免許だった当時、多くの国内ライダーには魅力的に映らなかったことだ(大型バイクへの最初の希求として、大パワーやボリューム感が重視されるのは致し方ないことだろう)。
そして、当時の試乗記やオーナーの声を拾うと(別冊モーターサイクリスト’88年9月号)、650エンジンは瞬発力やキレのあるパワーフィールの一方、400はそこまでの刺激がなく滑らかな方向と紹介される。他には、意外にも軽快な見た目からすると、ハンドリングは切れ味が今ひとつで中低速のコーナリングでは路面へのタイヤの追従性、接地感ともに物足りないと書かれている。
エンジンはよく出来て刺激的(650の場合)な一方、見た目ほどのキレがないという評価は、オーバースペックな車体と堅めのサスセッティング、タイヤが太めのバイアスという点に要因がありそうだ。
だが(後の’90年マイナーチェンジで前後タイヤはラジアル化&サイズ変更を実施)、後に同車(650のプロダクト・1)をベースにした改造車が、ジムカーナ競技で常勝マシンとして高く評価されたことを考えると、煮詰め方次第でキレも融通も効くハンドリングになったことは間違いない。
そうして、過渡期の人気トレンド、過渡期のタイヤというハードルをクリアしていたら、ブロスはもっと人気を獲得していたのでは? そう感じさせるのは、今でも色褪せない斬新なネイキッドフォルムと、今では望むべくもない質感の高さが、筆者には魅力的に映るからだ。
■ブロス プロダクト・1 / プロダクト・2主要諸元
※( )内はプロダクト・2
○エンジン 水冷4サイクル52度V型2気筒OHC3バルブ ボア・ストローク79.0×66.0(64.0×62.0)mm 総排気量647(398)cm3 圧縮比9.4(10.0) 燃料供給装置キャブレターVDG3(VDF1) 点火方式フルトランジスタ 始動方式セル
○性能 最高出力55ps/7500rpm(37ps/8500rpm) 最大トルク5.7kgm/6500rpm(3.5kgm/6500rpm)
○変速機 5段リターン 変速比①2.571(3.000)②1.882(2.055)③1.500(1.590)④1.240(1.318)⑤1.074(1.130)
○一次減速比1.763(2.058) 二次減速比2.687(2.750)
○寸法・重量 全長2060 全幅695 全高1050 軸距1430(1425) シート高770(各mm) キャスター27° トレール111mmm タイヤ(F)110/80-17 (R)150/70-17 乾燥重量165(164)kg
○容量 燃料タンク12L オイル2.8L
■発表 1987年12月1日発表
■発売 プロダクト・1 1988年1月9日発売 / プロダクト・2 1月15日発売
■メーカー希望小売価格 プロダクト・1 58万9000 / プロダクト・2 55万9000円 ※価格は’88年当時のもの
レポート●阪本一史 写真&資料●ホンダ