普段から資料を探すために目を通している、弊社看板雑誌・モーターサイクリストの過去記事。
今回も資料を探そうとペラペラめくっていると……ん? “スーパーカブ 50cc登場”???
……これは! スーパーカブが登場した際の、新車紹介記事じゃないか!!
※このページは1958(昭和33)年のモーターサイクリスト9月号の記事を転載しております。
report●編集部
スリーランホームラン級の衝撃
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さっそく誌面内容をみてみよう。
当時の雰囲気をバリバリと感じる誌面内容であるが、それでも「スーパーカブというスゴいバイクが出たぞ!!」という興奮にもにた熱気が伝わってくる。
なにしろ冒頭文からして、「世界的な高性能車としてのハイライトを浴びて、本田技研の4サイクル単気筒50cc車が登場した」と始まるのだから胸アツである。
その後に続く見出しも「敢てモペツトと呼ばない」(原文ママ)と、今までのバイクとは一線を画するモデルであるという認識だったのが見て取れる。
それにしても、リードの「スリーランホーマーをかつとばした」という文章も、なんだか時代を感じて笑ってしまう。
新機構の自動クラッチに興味津々!?
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次のページでは当時新機構であった自動遠心クラッチとパワーウエイトレシオについて触れられている。
そして見出しに「婦人層の人気も期待できる」とあるように、これまでのモペットとの比較を解説している。
各部の性能にも言及していて、ページ右上には「世界のモペット性能比較表」なる図表が掲載されていた。それだけスーパーカブの性能が抜きん出ていたということなのだろう。
本田宗一郎の熱き思い
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そして次のページでは、当時の本田技研工業社長、本田宗一郎氏へのインタビューが!!
なぜ4サイクルなのか、デザインでどのような点が苦労したのか、性能や販売価格についてなど、本田宗一郎氏の言葉からもこのスーパーカブに対する期待がどれだけ大きかったのかを感じることができる。
さらにはスーパーカブ以前の車両デザインに関しても言及されていて「あれは神社仏閣からヒントを得ているんですよ」と、C70やCB72が現在神社仏閣系デザインと呼ばれる理由まで語られている。
インタビューの最後は、世界各国への輸出予定と月産生産台数について語られている。
「当初(月産)3万台です」
この後1億台ものスーパーカブが世に出ることになろうとは、きっと思いもしなかったろう。このコメントをする本田宗一郎氏は、いったいどのような表情をしていたのだろうか……。そんなことを考えながら読むと、なんとも楽しい気持ちになる記事である。