バイクの絶対性能を指し示す数値として、昔も今も一番分かりやすいのが「最高速」。200km/hの壁は1969年のホンダCB750FOURが超えたとされるが、以降300km/hの壁は数十年間、市販車の前に立ちはだかった。だが……。
report●三上勝久
そして、破られた300km/hの"壁"
1989年、ミスターバイク誌の企画で実施された、佐藤信哉+スズキGSX-R750Rによるドイツでの公道300km/h達成を皮切りに、究極への挑戦が日本のバイク乗りの大きなテーマとなっていった。
今ではスタンダードでも(場所さえあれば)楽に出すことができる300km/h弱というスピードだが、当時はまさに未知の世界。
ロードレース世界選手権用のGPマシンならともかく、公道用の市販バイクでは200km/hを超えるのもやっと、という時代だったのだ。
当時の本誌では「ゼロヨンGP&マックスパワーグランプリ」という企画を実施しており、この企画で様々な高性能マシンが生まれていった。
ミハラスペシャリティによるFJ1200、ワークス・GSX-R、そしてドクターSUDAのファインチューン・ゼファー、ツバサコーポレーション・VMAXターボなど数々のモンスターマシンが生まれたが、その中で本誌とドクターSUDAで取り組んだのが「ボンネビル・プロジェクト」だった。
それは、アメリカ・ユタ州ソルトレイクで開催される「ボンネビル・スピードチャレンジ」に出場し、公道仕様のカワサキZZR1100の最高速記録を達成しようというもの。
目標は200mph(320km/h)。このプロジェクトは谷田部自動車試験場で始まったが、高速周回路ではタイヤのトレッド剥離など未知のトラブルが頻発。
95年に310・35km/hを達成、MPS/Gクラスにて世界記録を更新したものの、その道は平坦なものではなかった。
ZZR1100とブラックバードの間に切り込んだのはハヤブサだった
こうした最高速追求の流れを受け継いで世にリリースされたバイクが、99年に登場したスズキGSX1300Rハヤブサだ。
それまで最速バイクと言われていたホンダCBR1100XXスーパーブラックバードが維持していた300km/hを大きく上回る312km/hを達成して世の度肝を抜き、一躍トレンドセッターとなっていく。
最速王の座を奪還すべくカワサキからもニンジャZX-12Rが登場するが、同時にヨーロッパで最高速規制が始まり、その挑戦は下火になっていく。
2001年には最高速度を300km/h以下に抑えるリミッターが採用されるなど、メーカーによる最高速ブームは鎮静化していったが、バイク乗りのスピードの追求は収まることはなく、16年にはカワサキ ニンジャH2Rがトルコで400km/h! というとてつもない公道最速記録をたたき出してしまった。
日本でも最高速への夢は今でも続いており、13年にはホンダの社員有志によるチームがボンネビルで650ccクラスでの最高速記録(170・828mph)を達成。
やはりスピードは、いつまでたってもライダーの心を刺激してやまないのだ。