1921年創設のイタリアンメーカー「ベネリ」とは? 〜日本車よりも早く高回転化・多気筒化に挑んだ名門の歴史〜

ネリを創設した6兄弟。左から、トニーノ、フランチェスコ、ジョバンニ、ジュゼッペ、フィリッポ、ドメニコ。なおジュゼッペは第二次世界大戦後にベネリを離れ、独自のメーカーとしてモトビを創設
黎明期のベネリでテストライダー兼レーシングライダーを務めたのは、末弟のトニーノ。ベネリに数々の栄冠をもたらした彼は、1937年に自動車事故でこの世を去ることとなった
1932年のモンツァGP175ccクラスで、トップ争いをする2台のベネリ製DOHCシングル。♯24はトニーノ・ベネリで、♯14は後にビアンキやジレラ、フェラーリで活躍するドリーノ・セラフィーニ
ベネリのDOHC単気筒を駆って、1939年のマン島TTライトウェイトクラスを制したのは、イギリス人のテッド・メラーズ。なお同年のセニアクラス:500ccはドイツのBMW、ジュニアクラス:350ccはイギリスのベロセットが優勝
第二次大戦後のベネリでワークスライダーを務めたのは、イタリア人のダリオ・アンブロジーニ。1949年が初開催となった世界GPの250ccクラスでは、モトグッツィに敗れて2位となったものの、1950年には4戦中3勝を挙げてシリーズタイトルを獲得
1950年代に開催され、大人気を獲得した公道レースのモト・ジロ・デ・イタリア。その第1回目となる1953年に総合優勝を飾ったのは、125ccのベネリ・レオンチーノだった。ライダーは後にイタルジェットを創設するレオポルド・タルタリーニ
レース仕様にモディファイされた2ストロークのレオンチーノ。当時のイタリアでは、同一車両でツーリスモ/スポルトを製作するのが一般的で、ベネリを含めたスポーツ指向のメーカーは、レースを前提としたF3/MSDS仕様も販売していた
1957年のモト・ジロ・デ・イタリアに、ベネリは5台のワークスマシンを投入。125ccクラスを制したのは♯58レナート・フェラーリで、2/3位にもベネリが入賞
250cc空冷並列4気筒レーサーを勝利に導くライダーとして、1963年にはタルクィニオ・プロヴィーニがベネリに加入。イタリア選手権では3度の王座を獲得したが、モンディアルとMVアグスタで世界チャンピオンになった彼の腕を持ってしても、世界GPでホンダやヤマハを倒すことはできなかった
日本のワークス勢が世界GPから撤退した1969年、250ccクラスでベネリに久しぶりの栄冠をもたらしたのは、後にケニー・ロバーツやエディー・ローソンのメカニックを務める、オーストラリア人のケル・キャラザース
1960年代末に公開され、1971年から市販が始まったトルネード650。登場時の欧米での評価は決して悪くなかったものの、同時代にデビューした他の大排気量車と比べると、インパクトは希薄だった。OHV2バルブ並列2気筒の最高出力は52hp/7500rpmで、乾燥重量は210kg
ホンダCBXやカワサキZ1300より数年早い1973年に登場した量産初の並列6気筒車、750セイ
750セイのエンジン構成はホンダCBフォア系とよく似ていたけれど、背面ジェネレーターや駆動系などにはベネリの独自性が感じられた。最高出力は71hp/7500rpmで、乾燥重量は220kg
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