時代も味方した、’90年代の象徴。
1990〜1993 KAWASAKI ZZ-R1100。
’90年代の代表選手は何と言ってもこの機種だろう。“世界最速”でいて、他を圧する操安性と汎用性。
その人気とカリスマ性を生み出した背景を、ブームの火付け役たちに尋ねた。
文●松田大樹 写真●真弓悟史
※本記事は別冊Motorcyclist2011年9月号に掲載されていたものを再編集しています。
伝説は1本の電話から
「ZZ-Rの登場時? 実はまったく関心がなかったんですよ」
そう語るのはモーターサイクルドクター須田の代表・須田高正さん。
言うまでもなく、ZZ-R1100による最高速アタックで国内初の実測300km/hを達成した、日本におけるZZ-Rブームの立役者だ。
この挑戦がなければ、ZZ-R1100の“世界最速”というイメージは、今ほど強烈ではなかったに違いない。
よく語られることだが、ZZ-R1100は登場時、まったく注目されなかった。
それは当時の須田さんも同じで、前モデルのZX-10の発展版程度にしか考えていなかったという。
しかしそこに、ジャーナリストの宮崎敬一郎さんから1本の電話が入る。
「敬一郎がね、興奮した様子で言うんですよ。『ZZ-Rはスゴいぞ! 絶対に買っていじってみるべきだ!!』って」
宮崎さんは、日本のジャーナリストでは最も初期にZZ-R1100に触れたひとりだ。
その宮崎さんも試乗前は、ZX-10がツアラー的なバイクだったことから“ZZ-Rも大したことはないだろう”と考えていた。
「比較用に当時最強だったスズキGSX-R1100を持って行ったんだけど、『ZZ-Rがかませ犬になっちゃうんじゃない?』なんて冗談を言っていたくらい。それが、いざ試乗を始めてみたら、和田稔(当時MC誌でテストを担当していた国際A級ライダー)が乗るGSX-Rが全くついて来れない。どんな場面でも圧倒的にZZ-Rが速く、かつ乗りやすかったんだ」
その興奮も冷めやらぬ数週間後。
谷田部(当時の日本自動車研究所・高速周回路)で行なわれたモーターサイクリストの最高速トライで、宮崎さんはショップから借用したZZR1100を駆り、当時の市販車最速となる290.5km/hをたたき出す。
ライバル車は270km/h台、170psを誇るヨシムラ・ボンネビルですら290km/h強だった時代だ。
「ZZ-Rなら、ノーマルの最高にバランスの取れた状態を作ってやれば確実に300km/hが出せると思った。そして、それができるのは当時、ノーマルエンジンのファインチューニングで出力を向上させる“IPTOS”チューンで実績を持っていたドクター須田だと考えた」
届きそうで届かない300という数字。それに限りなく近づけるマシンの出現。夢を現実にできるチューナーの存在。そして、それらの可能性にいち早く気付いたライダー……。
「ZZ-R1100のすごさを、メディアはもっと伝えないといけない。そしてオレも日本人初の“実測300km/h男”になりたかったんだ」
すべてのタイミングがピタリと合致した瞬間、ZZ-Rの伝説は動き出した。