●ZZ-R1100
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※本記事は別冊Motorcyclist2011年9月号に掲載されていたものを再編集しています。
時代が求めた完成度
当時、突出した動力性能を有していたZZR1100だが、須田さんはエンジン内部には特別な部分はないと語る。
「基本はGPZ900Rと同じですからね。でも、1000cc超の水冷直列4気筒・DOHC4バルブで吸気方式はダウンドラフト。全体的なパッケージは悪くありませんよ」

●GPZ900R
当時のライバルを見ると、135psのホンダCBR1000Fは998cc、145psのヤマハFZR1000は989ccと排気量で劣り、143psのスズキGSX-R1100は1127ccと、排気量はZZ-R1100(1052cc)を上まわるが、ホリゾンタル吸気と空油冷という不利を抱える。
実際にチューニングを進めても、ZZ-Rはトントン拍子にパワーが上がったと須田さん。
「もちろん、チューニングが進めば壊れ出しますが、少なくともGSX-Rよりはパワーを引き出しやすかった。でも、ZZ-R1100の最高速が突出していたのは……これはラムエアですよ。状況によっては10ps近く上乗せできるんですが、これがなかったら、私はZZ-Rを手掛けることはなかったでしょうね」
須田さんは自身でもラムエアを研究したことがあるそうだが、カワサキ製ラムエアシステムのシンプルかつ考え抜かれた、完成度の高い構造には目を見張ったという。
「ノーマルのファインチューン、つまり街乗り仕様のままで300km/hがねらえる。ZZ-R1100はそんなポテンシャルを備えた初めてのバイクでした。それって楽しいじゃないですか。一般のライダーが300km/hバイクを、自分の足として楽しめるんですよ」
宮崎さんもこう証言する。
「当時は未完成というか、速いけれどもピンポイントで、僕らですら操縦が難しいようなバイクも多かった。どうもおかしいぞ……と感じることが増えていた折、抜群に速くて乗りやすい、圧倒的な完成度のZZ-R1100が登場する。『そうそう、これなんだよ。今オレ達が欲しいのは!』って、思わず肩入れしたくなるような雰囲気があったんだ」
そうした完成度の高さを、なぜZZ-R1100は持ちえたのか。
この一因に’92年に迫っていたEC(現EU)統合が考えられる。
当時はECが統合されれば、ドイツやスイスが採用していた2輪車100ps規制が“欧州全土に適用される”という観測が広がっていたのだ。
ZZ-Rは、蓄積してきた最速車のノウハウを注ぎ込める最後の1台になる。’90年というZZ-R1100の登場タイミングが“最後の最速車”というモチベーションを開発陣に抱かせたことは間違いないだろう。
カワサキにそういう想いがあったことは、当時ZZ-R1100を取り上げた本誌の記事に『最後のスーパーバイク』『今後こういったバイクは造れない』といった開発者のコメントがあることからも伺い知れる。
結果、ZZ-R1100は無類の完成度を誇る1台となった。
しかし、その大ヒットには車両の完成度以上に、時代背景や周辺事情といった複合的な要件が、これ以上ないドンピシャのタイミングで合致した印象を受ける。
須田さんは「ウソみたいにいい時代だった」と言う。
日本はバブルのまっただ中で、二輪業界にも活気があり、騒音や排ガスといった規制も今ほどは厳しくなかった最後の時代。
そのすべてを味方に付けて、結果的に時代の象徴となったのがZZ-R1100だったのだ。
“300”が目前だった時代
バランス取りや芯出しなど、ノーマル部品のファインチューンにこだわり、キャブもマフラーもノーマルのドクター須田・ZZ-R1100は、モーターサイクリスト誌’91年3月号で実測301.7㎞/hを記録。
ライダーはもちろん宮崎さんで、「風圧でブレーキレバーが押される」「Gに耐えられず新品タイヤがバーストする」といった逸話はご存じの方も多いだろう。