全国からモーターサイクルやサイドカーの愛好者365名と、
名車、希少車、珍車など224台もの愛車が集合
雨上がりの好天に恵まれた10月4〜5日、群馬県北軽井沢グラウンドで恒例の「浅間ミーティング」が華々しく開催された。広々した草原が広がる会場には、全国からモーターサイクル(以下MCと略)やサイドカーを熱烈に愛好する365名ものクラブ員と、名車、希少車、珍車など224台もの愛車たちが大集結し、年に二度の再会に旧交を温め合う姿があった。

この催しが1975(昭和50)年の第1回開催から毎年春と秋の2回ずつ連綿と開催され続けて今回で半世紀、何と100回の節目を迎えられたのは、日本の自動車文化史の際立つ慶事であり祝福せぬ者はなかろう。

そもそもこの催しの土台となる「浅間ミーティングクラブ」設立の経緯には多くの恩人たちの存在があった。
日本の高度成長下で、戦後1950年代からの国内二輪産業の揺籃期を担ったMCたちが次々廃棄され姿を消すのを憂慮した著作家・中沖満が音頭を取り、星野嘉苗、宮崎透、摺本好作、秋元紀一ほか三十数名のライダー有志たちが半世紀前の1975年初頭に結集。大久保力らの助言も受け、自分たちの手で歴史的なMCを長く動態保存し保存展示のできる「二輪車博物館」を建設するべく同士を募って設立されたのだ。
そして展示館建設に向け趣旨に賛同し集まった多くのクラブ会員たちから積立を行い、毎年一人3000円の積立を開始して、十年で3000万円資金が集まった。その資金を元に1989(平成元)年5月、戦後初の本格的な二輪車レース「浅間高原レース」開催の地、長野原町の協力も得て町営浅間園内の小高い丘上に素晴らしい規模を誇る二輪車展示館「浅間記念館」を竣工させる快挙を達成。
完成した記念館の管理運営は長野原町に委託し、展示車輌の提供は浅間ミーティングクラブが担当。同記念館には定期的にクラブ会員が歴史を物語る愛車を交代で搬入し交流も深め、浅間レースの歴史を物語る資料も展示して多くの来館者たちも楽しませた。
その後、2020年に長野原町営観光施設、浅間園内の中核施設・浅間火山博物館の閉館に伴い、残念ながら初代浅間記念館も閉館される。だが2021(令和4)年に規模を縮小し、浅間牧場内施設を借りて「浅間記念館」を移設新規開館し現在に至っている。
浅間ミーティングはこの「記念館」が核となり、半世紀の間クラブ員たちの熱意で開催され続けてきたのだ。
「浅間記念館」の実現に尽力した恩人たちの多くは他界したが、好天下の第100回ミーティングで和気あいあいとMC談義に興ずる今の会員たちを、雲の上から見下ろしていたことだろう。5日14時の閉会挨拶が終わるのを待っていたかのように小雨が舞い始めたのは、恩人たちの感涙だったかもしれない。
(文中敬称略)


report&photo●松尾孝昭 まとめ●モーサイ編集部
特定非営利活動法人 浅間ミーティングクラブ
http://www.asama1975.org










































