ヒストリー

意外な有名企業もバイクを作っていた! 時代に負けたバイクメーカー3選

ブリヂストンの「BSモーター」「BSチャンピオン」

タイヤでおなじみのブリヂストン(以下BS)もかつてはバイクを作っていたメーカーのひとつ。戦後気軽な移動手段として自転車ブームが起こり、ブリヂストンも自転車の生産を始めた(なお、自転車製造部門はブリヂストン自転車として、1949年に独立する)。が、当時は知名度が低くほとんど売れず、打開策として、自社/他社問わずボルトオンで取り付け可能な自転車用補助エンジンを販売しようと考えた。

BSモーター31型(39cc)。シリンダーが下向きなのが特徴的だが、これは同機のみならず、BSモーター全般の特徴。

当時BSは中島飛行機から分かれた富士精密工業へ資金援助をしており、同社に自転車エンジンの開発を依頼する。が、同社が多忙を極めていたためその下請けに当たる田中工業に製造要請が下った。そうして1952年に登場した補助エンジンがBSモーターバンビー号(21型、23.3cc)。ただし同機は、操作に難があったり、トラブルが多かったりで、半年程で生産が中断され、半年後に改良型のBSモーター31型(38.5cc)、41型(50cc)がリリースされた。BS自転車の販売店の拡大もあり、同車らは7年で30万台を売り上げるヒットモデルになった。

とある旧車趣味人が所有していたBSモーター41スーパー(50cc)。ハンドルについているアポロ式ウィンカーはオーナーが付けたもの。見た目は完璧に自転車だが、ナンバーを付けずに乗ったら怒られるぞ。

その後スーパーカブC100に端を発するモペッドブームに合わせて、BSチャンピオン1型をリリースする。ただ、ペダル付きのスタイルがイマイチ受けず、販売台数は伸びなかった。1960年よりブリヂストン自転車を「ブリヂストンサイクル工業」と改称しオートバイスタイルのチャンピオン2型(50cc)、及び3型(55cc)を製造し、クラストップの人気となった。

1959年BSチャンピオン1型。初代スカイラインのデザイナー山脇慶西によるスタイリッシュな車体はタンク内臓モノコックフレーム採用したが、進化に乗り遅れて売れず現存車は超希少。ヘッドライト部の豪華な形状のみBSチャンピオン3型に使われ人気を得ていく。2サイクル50cc、2.0ps/5000rpmで55km/h、価格5万5000円。

チャンピオンシリーズのヒットを受け、丸昌自動車(ライラック)やトーハツなど撤退、倒産したメーカーの技術者を迎え入れるなどして50cc、60cc、90cc、180ccのビジネスバイクやスポーツモデルを多数ラインナップしていた。各車とも国内のモトクロスやオンロードレースでは活躍していたものの、ホンダ、スズキ、ヤマハと言った世界GP参戦メーカーの車両のほうが人気だったこともあり、国内市場からは撤退した。
とは言え、バイク事業から完全撤退した訳ではなく、北米へ向けて100cc、175cc、200cc、350cc車を輸出していた。その後1972年に田中工業へ設備を譲り、バイク産業から撤退している。ちなみに、田中工業も「タス」の名前でチビ50やタカ100と言ったモデルを北米で販売していた。

1967年BS350GTO。BS180の国産量産車初、2気筒ロータリーディスクバルブエンジンを2倍にした輸出専用車で国内市場撤退後発表。北米専用でダウンマフラーGTRやアップマフラーGTOなどがありマニア受けし1971年まで生産。日本には近年、逆輸入されているBSマニア垂涎のモデル。2サイクル345cc、37.5ps/7500rpm、6速で170km/h以上を実測、価格695ドル(当時25万円)。

文●小関和夫 編集●モーサイ編集部・高垣

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