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「警察官」嫌悪感すら抱いていたその存在に、自分がなるまで
私は約15年間を警察官として勤務し、その内白バイ隊員を10年間務めてきました。警察官と聞くと、正義の味方、真面目な人間がなる職業、または反対に税金ドロボー、社会の犬など、様々な感情を抱く方がいらっしゃると思います。私自身、元々警察官という人達は好きではありませんでした。むしろ、警察官に嫌悪感すら抱いていました。理由はとても単純なもので、公務員で高給取り、税金で楽な仕事をしている、ノルマのために交通取り締まりで高い反則金を取っているという情報や噂を鵜呑みにして勝手に嫌っていたのです。
そんな私が、警察官を志したきっかけについて、最初のご挨拶かたがた書いてみたいと思います。
元々は歯科技工士、入れ歯などを作ってました
私は元々、歯科技工士という仕事をしていました。歯科技工士の専門学校を卒業し、新卒社員として小さな歯科技工所に就職しました。歯科技工士について簡単に説明すると、銀歯や入れ歯を手作業で作る仕事で、主に歯医者さんから依頼のあった制作物を注文通りに作る作業をします。朝から晩まで椅子に座って、黙々と銀歯や入れ歯を作成する。とても地味で根気のいる仕事でした。
元々細かい作業などが好きな自分にはピッタリだと思っていたのですが、出社時間は朝早く、帰宅時間はとても遅い。当時は給料も安く、職場の先輩からは「この会社にいても明るい将来はない」「嫌なら若いうちに早く転職した方が良い」と毎日のように聞かされていました。休みもほぼなく、大好きなバイクに乗れない日々が続き、就職して1年ほど経つころには異業種への転職を考えるようになっていました。
そんなとき、刑事さん現る
私は異業種への転職を真剣に考え出したものの、特別な技術もなく、自分で仕事を立ち上げる勇気もなく、何も行動を起こせない日々に悶々としていました。そんな私の元に、高校時代に部活動のキャプテンでもあった一つ上の先輩から連絡が入りました。この先輩、高校卒業とともに警察官となり、しばらく連絡が取れないと思っていたのですが、突然遊びのお誘いの連絡が来たのです。遊びと言ってもお互い忙しく時間がなかったので、昼食を食べて話すだけというものでしたが、そのほとんどが仕事の話で、先輩は警察官となり早く出世して希望の刑事さんになれたことを誇らしげに話してくれました。
しかも、警察官しか知り得ない世界の話や、漫画やドラマの世界のような事件などの話に私は引き込まれていきました。そんな話の途中、先輩は突然「警察官になれば?」と私に言ってきたのです。確かに私は、転職を真剣に考えてはいたものの、警察官という選択肢はありませんでした。しかし、警察官の仕事内容を聞き、興味が湧いたのも事実でした。先輩と会食した日以降、先輩と頻繁に連絡を取り合うことはなかったものの、私は、様々な公務員試験を受けてみようという気持ちが芽生えてきました。
当時、体力には自信があったので、公務員の仕事の中でも自分の体力を活かせる消防隊や警察官を目指そうと思いました。もちろん警察官になるには、筆記試験を受けなければならず、体力試験もあります。この公務員試験が自分にとっては大きなハードルとなりました。
まったく自信のなかった公務員試験
私は偏差値の高い学校を卒業した訳でもなく、学もありません。公務員試験の問題集を買い漁り、模擬練習をしましたが、私の頭のレベルでは到底合格出来るようなものではありませんでした。そのため、仕事の合間を縫って必死に勉強しました。
勤めていた職場にも早々に退職する旨を伝えていたため、後には引けません。当時(2000年代の後半頃)、公務員試験はとても人気があり倍率も高かったため、学のない私には狭き門と感じられ、滑り止めも含めて、消防、警察、町役場と様々な公務員試験に挑戦しました。その中で一番早く合格発表があったのが警察官試験でした。他の試験でも受かったものはあったのですが、私の趣味であった車やバイクの知識が少しでも仕事に役立ちそうだと思い、警察官になること決めました。
警察官になって好きな車、バイクに関わりたい!
晴れて警察官になり、白バイ隊員を目指すことに

警察官になったの23歳のときです。それからすぐに警察学校に入校し、警察官として必要な法学の勉強や、逮捕術など様々な訓練を受けます。もちろん自宅に帰ることは出来ず、警察学校に併設した寮の中で同時期に入校した者同士で共同生活が行われます。
今はもう少し緩和されてきたようですが、私が入校した時代(2000年代後半頃)は、携帯電話は没収で、外出は制限され、外部との連絡は公衆電話のみ。手紙などの郵便物は教官室へ届くというものでした。もちろん、入校中の住所は警察学校です。そして高校卒業組の高卒期(10カ月)、大学卒業組の大卒期(6カ月)に分けられ、一人前の警察官になるためにそれぞれのカリキュラムを、給料をもらいながら受けていきます。
ところで、私が白バイ警察官を目指した経緯ですが、単純に車やバイクが大好きだったからです。物心ついた時から車に興味を持ち、バイクは高校生のときに憧れるようになりました。そして、警察官になったからには車やバイクに携われる交通課の白バイ警察官以外は考えていませんでした。私自身、白バイ警察官のお家芸である大型バイクでの華麗なUターンに憧れてました。また、白バイ警察官といえば交通取り締まり部隊の最前線。その中でも交通機動隊の白バイ隊員は、交通警察官の中でもプロの集まり。私は交通機動隊の白バイ隊員になるしかないと思っていました。
白バイ隊員を目指した、もうひとつの理由
何より自分の好きなことを活かした仕事が出来ると考え、白バイ隊員を目指したのです。しかし、ほかにも、ちょっと間抜けな志望理由もありました。
警察官という職業は、自家用車等を購入するのに上司などから厳しい審査があります。警察官が借金まみれになることへの危惧もあるからか、預貯金額なども上司に申告する必要があり、車に限らず、大きな買い物をする時は逐一、上司への報告、見積書の提出などを行わなくてはならないのです。審査と言ってもよくわからない基準ですが、車種や排気量、価格等、当時の幹部や上司の好みによって購入出来るか否かが判断されていました。
極端な話、車やバイク好きな上司の下に付けば自分の好きな車やバイクを購入出来るのに対し、それらに全く興味のない上司の下に付けば、車の購入などの大きなハードルとなってしまうのです。私も交番のお巡りさん時代に大型バイクの購入を上司に持ちかけたのですが、大反対を受けてしまいました。
運悪くバイクや車などに全く興味がない上、バイク=悪、みたいな考えの上司だったため、説得するのも容易ではありませんでした。しかし、私が白バイ隊員になる事を熱望していることを伝え、毎勤務ごと頭を下げ何がなんでもバイクを購入することを伝え続けた結果、やっと購入を許してもらえました。もちろん、あまりの私のしつこさに、当時の上司との関係があまり良くなかったことは言うまでもありません(言うことを聞かない部下のレッテルを貼られてしまいました)。
そんな思い出を振り返ってみると、実は私が白バイ警察官を目指した理由は、大型バイクの購入を許してくれない上司を説得するための口実がきっかけだったのかもと思ったりもします。交番のお巡りさん時代にすんなり大型バイクの購入が出来ていたら、白バイ警察官の道を選んでいなかったのかもしれません。かくして私が白バイ隊員になったのは、25歳のときのことでした。

文●睦良田俊彦
睦良田俊彦(むらた・としひこ)1986年北海道生まれ
趣味:クルマ、バイク
歯科技工士を経て警察官となり、約15年間勤務(白バイ隊員歴約10年)。警察学校卒業後は約3年半の交番勤務を経て交通部門へ。白バイ警察官として第一線で交通取締りをメインに活動し、ライダーのための安全講習、交通安全啓発イベント、マラソン大会先導、大統領車列先導など、様々な経験を重ねてきた。
県警主催白バイ大会での優勝経験もあり、白バイ新隊員の育成などにも携わった後、巡査部長の階級で依願退職。現在は退職後の夢でもあったライディングレッスンなど、ライダーのためになる活動が出来る場を作るべくYouTuber「臨時駐車場チャンネル」として活動。バイクイベント等に積極的に参加し、出身の北海道で開催のライディングレッスンで講師も務めている。