2019年の鈴鹿8耐は何ともいえない結末となったが、同イベントの人気が最高潮に達していた1980年代は、それはもうすごい熱気だった。
そう、80年代の鈴鹿8時間耐久レースは、バイク乗りにとって"夏の巡礼"とも言える一大イベントだったのである。
レースのことをあまり知らない老若男女までをとりこにしたその魅力の根底には、国内4メーカーの意地をかけた闘争心があった。
※本記事はMotorcyclist2018年1月号に掲載されていたものを再編集しています。
先の見えないドラマに大観衆が酔いしれた真夏の夢舞台「鈴鹿8耐」
本当にここは鈴鹿なのか。
ヘアピンからグランドスタンドに向かう通路は、ラッシュ時の山手線の中のようだった。
トイレや売店に長蛇の列。こんな桁が違うイベントは世界中にも例はない。
公式発表の決勝日観客数が15万人を超えたのがケニー・ロバーツ/平 忠彦がテック21のヤマハFZR750で参戦した85年。
悲運の平がエディ・ローソンと組んで初優勝を果たした90年は、16万人に達した。これはあくまで施設の消防法などに則った最大値で、実数約20万人という話もあった。
これだけ注目されるのだから、8耐は各メーカーの威信をかけた戦いの場に。
ホンダは8耐優勝の価値をGP500世界タイトルと同等としていて、他メーカー関係者も全日本は8耐のための開発というほど。でも、負けたら屈辱の1年間が……。
2ストのヤマハも85年に初のファクトリー体制で臨んだ。マシンは初の4ストファクトリーマシン。そして世界のキング、ケニーと平を乗せた。
この年以外にも各メーカーは、勝つためにGPを含む世界のトップライダーを当たり前のように乗せた。
88年からはカワサキが復帰し国内4メーカーが激突。
スズキは90年から本社チームを送り込むが、それ以前はヨシムラ。
辻本 聡、ケビン・シュワンツなどが油冷機で名勝負を残した(ヨシムラファンが急増した)。
あの熱狂から四半世紀以上が経ち、ここ数年は決勝日の観客数も7万人程度で推移。
2019年の8耐はゴール直前の赤旗中断で物議を醸したが、TECH21カラーで臨んだヤマハの5連覇をカワサキファクトリーチームが阻止。後半は手に汗握る展開が繰り広げられるなど、見どころの多いレースだったと言えるだろう。
さぁ、2020年の鈴鹿8耐はどのようなレースとなるのか? 来夏の熱い戦いが、今から楽しみだ。
なお、カワサキは8耐優勝を記念して、「カワサキプラザネットワーク 8耐優勝 応援ありがとうフェア」を現在実施中だ。
豪華賞品をゲットできるチャンスなので、ぜひ左記URL(https://www.kawasaki-plaza.net/campaign/8tai_thanksfair/)よりアクセスして挑戦してみて欲しい。