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ベースはCB750Four!新時代のスポーツ車を目指した「ホンダマチック」搭載モデル


1970年代の半ば、今回の主役「ホンダ・エアラ」のベースとなったCB750Aの紹介記事で「アメリカ人はオートマ車しか乗ったことがないからクラッチ操作に不慣れである。だからバイクもオートマにすれば売れる」といった内容の部分を見て笑ったことがある。
……時は巡ってそれから約半世紀後の今日、日本で売られているクルマのAT比率は、当時の、そして今日のアメリカ(北米)に比肩する。そしてクラッチレス&オートマのスポーツバイクも選択できる時代になった現在だが、そんな想像が働かなかったはるか昔、ホンダは早くもクラッチレスに加え、オートマではなくホンダマチックなる機構を搭載した「エアラ」という不思議な車名のモデルを市場に送り出していた。クラッチレススポーツバイクの隆盛を予感させる現在、その元祖的な国産モデルを紹介してみよう。





【余談】AT大国アメリカへ先陣を切ったのは、実はモトグッチだった!

1973年秋の石油ショック、原油価格の高騰がもたらした北米市場の大型二輪ブームは、本来モーターサイクルとは無関係な人々まで巻き込んで広がっていった。オートマチック大国(当時は)のアメリカでは、不慣れなクラッチ操作が必要ないビッグバイクという、それまで予期しなかった需要が当然(突然?)わき上がり、それに真っ先に対応したのが、なんとイタリアのモトグッチ。
1975年に「V1000コンバート」というザックス製トルクコンバーター+2速ギヤボックス装備のモデルをリリースしたのだ。2段ギヤの切り替えにはクラッチを使用するものの、トルクコンバーターによって2速ギヤのいずれでも停止でき、クラッチを使わずに発進が可能だった。なおモドグッチは同車を1982年まで生産した。
ホンダマチック!その実態はオートマチック(自動変速)に非ず


セルモーターを回して始動したエンジン音は、紛れもなくCB750Fourのもの。ただし妙におとなしく、また4本マフラー独特の弾けるようなサウンドもない。「なかなかジェントルだなぁ」と思いながら、“クラッチを握らず”にシフトレバーを1段かき上げてローレンジにインゲージする。ちょっと大きめのクリーピングを感じつつアクセルを開けていくと、じつにスムーズに走り出した。
試乗車のエアラは、1977年にホンダから発売されたオートマチックバイク……などという基本的な説明はマニアにとっては「釈迦に説法」だろう。いずれにしても、このエアラは姉妹車のホークAT(400cc)ともども、スクーターなどを除くと70年代当時の日本で二輪車史上唯一のオートマチックバイクだったのである。
そして勘のいい読者ならすぐに、「エアラはオートマではない!」という鋭い突っ込みを入れてくるだろう。そう、エアラはオートマチック(日本語に直せば“自動変速”)ではないオートマバイクなのである。なぜか?「自動変速」しないからである。エアラのどこを見ても「Automatic」というエンブレムは見当たらないことからも分かろう(カタログには“オートマチック”という表記が、小さくなされているが)。その代わりに、サイドカバーには“HONDA MATIC(ホンダマチック)”というエンブレムが、誇らしげに付けられている。
このホンダマチックなる、文字どおりホンダオリジナルの変速機は、ありていに言えば「流体トルクコンバーターに2段マニュアル変速機を組み合わせたもの」で、四輪車のシビック(1972年発売)に、1973年から搭載されたのが最初。そしてエアラは、このミッションをバイクに流用したものなのだ。
当時四輪ではすでに主流だったオートマチック(主流は、流体トルクコンバーター+3段自動変速機)を、なぜホンダは使わなかったのか? 理由はいくつもあろうが、オートマチックにつきもののBW(ボルグワーナー)社へのパテント料の支払いを本田宗一郎が嫌ったからと一般的に言われている。「ひとと同じ穴は掘らない」といわれるホンダのことだから、それで大きな間違いはないだろう。
さらに考えられるのは、当時1300cc以下の小型車しかなかったホンダにとって、通常のオートマはサイズ、コストなどの点から必ずしもベストではなかったはずだということ。実際、ホンダマチック以前にホンダはN360やH1300といった車に(きっとパテント料を支払って)オートマチックミッションを採用している。それらのミッションも、ミッションメーカーから買ってくることはせず、ちゃんと内製しているところがホンダらしいのだが。
本題に戻ると、ホンダマチックのキモは複雑な油圧回路を必要とする自動変速機構をなくし、変速段数を減らすことにより大幅な低コスト化、小型化を行い、それを補うために流体トルクコンバーターのトルク伝達比を高めたことと言っていい。またそれは、ホンダの考える小型車用イージードライブ機構の決定版だったに違いない。そしてそのメリットをバイクにも生かせないものか? そう考えた技術者がいたとしても不思議はない。
チャンスが到来したのは1973年の秋、第四次中東戦争が引き金となった世界的な原油の不足、価格の高騰だった。これによりガソリンの価格が大幅に上がってしまった。そうした状況下、一部のアメリカ人は(一時的にしろ)フォードやシボレーといったクルマを捨ててバイクに走った。それが1970年代に北米で日本製ビッグバイクが爆発的に売れた理由だ、なんて夢も希望もないことを言うつもりはないが、少なくとも日本製ビッグバイクの販売台数を相当引き上げたことは事実だ。
とはいっても、アメリカといえばオートマチックの国。不慣れなクラッチ操作に起因するクレームやトラブルが相次いだ(らしい)。たとえそういった問題がなくても、アメリカ人のためにクラッチ操作の要らないビッグバイクを……と考えるのは技術的にも商売的にも悪くはない話だ。そうして生まれたのがエアラのベースとなったCB750Aである。1976年モデルとして登場と、なかなか素早い身のこなしである。
一般道〜高速を快走するホンダ・エアラだが…ワインディングでは忍耐の登り、恐怖(?)の下り

CB750Aの国内版、エアラのデビューは1977年。同時にK7と呼ばれるCB750Four、コムスターホイールを履き1本マフラーのマイナーチェンジ版CB750Four IIが登場している。言わば1969年から続くCB750の最後の一花といったモデルたちである。エアラは、アメリカ人向けの素っ気ない出で立ち=アマガエルメタリック色のCB750Aの意匠ではさすがにまずいと判断したのか、メッキを多用してシックな色合いと高級感あふれる各部の仕上げの“大人のための”ビッグバイクというスパイスをたっぷりふりかけられてのデビューだった。
面白いのは、カタログに「モーターサイクルから遠ざかっていた人たちに、カムバックを呼びかける資格がある……」と謳っていること。まだ「リターンライダー」なる言葉などなかった時代に、である。ホンダの先見の明に拍手、である。ちなみに車名のエアラ(EARA)とは、時代(ERA)にオートマチックのAを組み合わせたもので、「オートマチック時代」を意味する造語である。
先にも記したように、ホンダマチックのキモはトルク伝達比を向上させたトルクコンバーターである。したがって2段変速とはいっても事実上低速段であるローレンジは、発進や強力な加速が必要な場合に使う補助ギヤ的役割を担っており、大半のシチュエーションではスター(★)レンジを使う設定となっている。そのためにあえて1、2などの数字ではなく、イメージを限定されない★レンジとネーミングしたのだろう。エアラに限らずホンダマチック車の謳い文句は「スターレンジによる無段変速」だったが、無段変速とはよく言ったものだ。実はまったく変速していないのだから……。
冒頭のようにエアラの発進は極めてスムーズである。そして車速が30km/hくらいになったところで(あっという間だが)スターレンジにアップシフトする。その後はメーターによる最高速160km/hまで息の長~い加速が続く。撮影現場に向かう途中の高速道路では、正直「こりゃあいいや♪」と思った。ノーマルよりアップ目のハンドル、シッティングポイントが少し落とし込まれたシートなどと相まって、ゆったり景色を見ながら走るのには文句のないキャラを持っている。
アクセル操作に対するレスポンスは少々緩慢ながら、流れに乗った速度域であればたっぷりとあるトルクのおかげで、追い越しも不満なくこなせる。ついでに、撮影中などUターンやゴーストップを繰り返すようなシーンでは抜群に楽である。「これなら初めてナナハンに乗る人でもOKかも……」と思ったほど。
問題は日本の道路の過半数を占める(?)山坂道である。はっきり言って、登らない。そして下りは……慣れを要するのだ。
具体的に言えば、まず登りでスターレンジに頼った設計が馬脚を現す。ベースエンジンの67psを47psにデチューンして低速型にしたとはいえ、ギヤひとつでコーナーの続く登り勾配を走り切るには少々無理がある。ローレンジは? と思うだろうが、100km/hまで(引っ張れば110km/hはいけるが)をカバーするこのギヤではふん詰まり感は否めない。大衆四輪車ならいざ知らず、750ccのバイクに期待するスピード域で走らせるには、相当な努力かあきらめが必要になる。
逆に下りでは、コーナー手前でアクセルを戻してもろくにエンブレがかかってくれないため、はるか手前からブレーキをかけるといった乗り方が要求される。ローレンジは? 登りと同じで、ふん詰まってしまい使う気になれない。つまり登りはアクセルと、下りはブレーキと格闘しているようなもので、どうもあまり楽しくない。
ローとスターレンジの間にもう1段ギヤがあったら……と考えてはみたものの、当時の技術、コスト感覚ではどう考えても不可能だっただろう。そもそも考えてみれば二輪車の操作系は、クルマの操作系と比べて、じつによく出来ている。手足を一切離すことなく、しかも人間の直感に合うように造られている。通常の操作で煩わしく思う人って、ほとんどいないんじゃないだろうか?
確かに重いクラッチから解放されるというメリットはあるので、市街地などでは便利だろう。だがエアラに関しては、日本で乗ることを考えたら、失うものが多すぎたと思う。エアラはあまりにもアメリカ向けに造られたバイクだったのだ。
でも、今日の技術でギヤを多段化し、シフトスケジュールを電子制御でコントロールして······もちろんアメリカ向けのお手軽バイクとしてではなく、ヨーロッパや日本での使用状況を考慮して……などと考えると可能性は無限大だろう。“オートマ”というより“クラッチレス”バイクという意味で。その可能性を50年近くも前に見せてくれたエアラは、やっぱり偉大なる先駆者(車?)なのである。
ホンダ・エアラの各部紹介




■大まかなフォルムはベース車両のCB750Four K7と共通だが、クラッチケースの部分は明らかに異なり、エアラはこの部分にトルクコンバーターを配置。またトルクコンバーターの流体とクラッチの作動油をエンジンオイルでまかなうため、その量は5.5LとCB750Four K7より2Lも多い。ちなみに購入以来、このエアラでのトルコンに関するトラブルは全くないとオーナー氏は語る。







ホンダ・エアラ(1977)主要諸元
■エンジン 空冷4サイクル並列4気筒OHC2バルブ ボア・ストローク61.0×63.0mm 総排気量736cc 圧縮比7.7 気化器PW24 点火方式ポイント 始動方式セル/キック
■性能 最高出力47ps/7500rpm 最大トルク5.0kgm/6000rpm
■変速機 流体トルクコンバーター+2段リターン式 変速比1速2.263 2速1.520 一次減速比1.419 二次減速比2.733
■寸法・重量 全長2260 全幅855 全高1230 軸距1475 最低地上高150(各mm) キャスター28° トレール115mm タイヤF3.50H19-4PR R4.50H17A-4PR 乾燥重量262kg
■容量 燃料タンク19L オイル5.5L
■当時価格 53万8000円(1977年)
report●安藤浩夫 photo●澤田和久/ホンダ/八重洲出版アーカイブ
車両協力●峯尾庄一
※当記事は、別冊モーターサイクリスト2006年4月号特集「時代が追いつけなかった”早すぎた”バイクたち」ホンダ・エアラ試乗記を編集・再構成したものです。