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サーキットもなかった日本のモータースポーツ黎明期
7月中旬、九州の福岡市東区で戦後日本モータースポーツ史の一里塚を見直すイベントが開催された。その名も60周年記念「雁の巣サーキットパネル展」。会場は同市民から親しまれる雁の巣レクリエーションセンターで、美しい海と豊かな緑に囲まれたスポーツ公園内にある。
今から60年前の1962年7月14〜15日、年に一度開催されるアマチュアモータースポーツの祭典「第5回全日本モーターサイクルクラブマンレース」が福岡市のここ、今はなき福岡第一飛行場(通称「雁の巣飛行場」)滑走路を舞台に開催されたのを記念する催しだ。

■1962年7月14〜15日、在日米軍管轄下の雁の巣飛行場特設コースでレースは開催。150余名のクラブマンたちが参戦した。主催は全日本モーターサイクルクラブ連盟で推進者は当時九州在住のPOP吉村こと吉村秀雄氏が中心だった(写真は50ccクラスのスタート)。
戦後日本のアマチュアモータースポーツイベントは、1958年8月24日に、豪雨の浅間高原自動車テストコースを会場として初開催された。それまで自動車メーカーの専属選手以外は門戸を閉ざしていた国内自動車レース(2輪・4輪含め)の扉をこじ開け初開催に踏み切ったのが、当社・八重洲出版の社長でもあった酒井文人だ。
1960年代間近の日本は、モーターリゼーションの高まりと、モータースポーツ挑戦を望むアマチュアライダーたちの熱が高まる一方だった。この状況を受けた酒井は、1958年に日本初のアマチュアモータースポーツ組織「全日本モーターサイクルクラブ連盟」を結成し理事長を拝命。交渉の末に自動車製造会社の共有施設であった浅間高原自動車テストコースを借り受け、記念すべき第1回全日本モーターサイクルクラブマンレース(以下クラブマンレース)を開催。
翌1959年には自動車メーカーと共催の形で、第2回クラブマンレース(第3回浅間火山レース共催)を開催するものの、以降浅間のコースは安全性を危惧するメーカー側が貸与を断り、年に一度のクラブマンレースは、栃木県宇都宮市(1960年・第3回=旧陸軍飛行場跡)と、埼玉県入間市(1961年・第4回=在日米軍飛行場)と毎年転戦することになる。浅間を除けば1962年の鈴鹿サーキット開場まで日本には自動車専用と呼べる競走路はなかったからだ。

■7月14日、快晴のもと第5回クラブマンレースの開会式が行われた。参加者、関係者が連盟旗やクラブ旗を掲げて、開会の挨拶に聞き入る。左列の左から3人目が設営委員長も務めた吉村秀雄氏(のちのPOP吉村)。

■雁の巣でのロードレースは、平坦な砂地に鉄板を敷いた滑走路の周囲を取り囲む4.3kmの誘導路を使って特設コースを設定。スタート地点の路面も荒れている。
レース実現に導いたPOP吉村の熱意
そして1962年の開催地を全国に探し続ける酒井連盟理事長の元へ、遠く九州から3度にわたり上京し開催を熱望したのがKTA(九州タイミング・アソシエーション)代表の吉村秀雄(のちのPOP吉村)だった。さらに吉村は現地雁の巣飛行場を管轄する在日米軍基地司令にも滑走路の借用を嘆願するなど尽力を重ね、ついに7月の第5回クラブマンレース開催を実現させた。加えて愛車のBSA650を駆り自らも出場する奮闘ぶり。
1962年7月14、15日のクラブマンレースは予選、決勝と50ccから501cc以上まで5クラス、加えて日本選手権が50ccから250ccまで3クラスを開催。参加選手は九州を中心に全国から合わせて150名以上が自慢の愛車で参戦した。選手の中には後に日本の2輪・4輪レース界で活躍し日本モータースポーツ界の礎を築く名選手たちが多く含まれた記念すべきイベントであった。

■125ccレーススタート前の一コマ。同僚から作戦を聞くテクニカルスポーツの大月信和(右・当時17歳)と、静かにスタートを待つ東京オトキチクラブの生沢 徹(左・当時20歳)。

■15周で争われた激戦の250ccクラスでトップ争いを繰り広げる#17片山義美(神戸木の実レーシング、当時22歳)と、#15三室恵義(スポーツライダー、当時20歳)。マシンは共にヤマハ YDS。

■設営委員長やオフィシャルとして活躍した吉村秀雄氏は、長年乗り慣れた愛車のBSA650で501cc以上クラスに選手としても参加。残念ながらこのあと転倒を喫するが、その情熱は素晴らしいものがあった。
さて、この60周年を記念する「雁の巣サーキットパネル展」を発案実行したのは地元・雁の巣商工会の面々で、当地域の活性化を図る一環として、その史実を調査保存し、多くの方に伝え残していく第一歩としての初開催となった。また会期中には当時のレース参戦者や関係者などによるトークショーなども開催され、大いに盛り上がりをみせた。
同商工会では今後も毎年同様な催しを開催し、モーターサイクル愛好家が集まる場所を作ると共に、モータースポーツ遺産の保存に努めるとのこと。さらに全国でクラブマンレースの記念碑を建立するなど運動も広げていきたい意向もあるようで、今後の活動に期待したい。
なお「雁の巣サーキットパネル展」は当初7月24日までの予定だったが、8月28日までに開催が延長となっている。夏休みの最後に、足を運んでみてはいかがだろうか(観覧無料)。



■7月14日から開催された60周年記念「雁の巣サーキットパネル展」。当時の第5回クラブマンレース時の写真やプログラム、資料類が雁の巣レクリエーションセンター旧売店内に展示され、多くの入場者たちが60年前の姿に見入っていた(写真協力・八重洲出版)。開期は8月29日まで。

■60年前のレース開催日と同日、2022年7月14日に当時のレース関係者たちによる開会式やトークショーなどが福岡市東区雁の巣の「奈多利庵」で開催された。中央奧に立ち当時の思い出話を語るのが、自らレース参加者だった倉留福生さん。

■故・吉村秀雄さんの生涯を綿密に取材し直して執筆、一冊にまとめて「ポップ吉村物語」と銘打ち出版された九州在住の作家、原 達郎さんも来賓として参加しPOP吉村の思い出話に加わった。

■オープニングイベントに駆けつけたPOP吉村と雁の巣でのクラブマンレースに縁ある参加者全員での記念写真。
レポート●松尾孝昭 写真●八重洲出版/雁の巣商工会 編集●上野茂岐

































