※本記事はMotorcyclist2019年9月号に掲載されていたものを再編集しています。
「あー飛騨が見えない」
ここからは野麦街道が県道26号→39号へと変化していく、のどかな田舎道をひたすら峠へと進んでいくことになる。
周辺には林業に関わる企業が多く、ストーブ用などに向けた薪(まき)の販売所を多く見かけた。
正直なところを告白すると、野麦峠キャンプ場の看板を通り過ぎた辺りから記憶がない。突然バケツをひっくり返したような豪雨に遭遇したからだ。
レインスーツを着用する場所と機会を見事に逸し、気が付けば滝行のようなありさま。濡れ鼠(ねずみ)のまま野麦峠へ到達してしまったので、そのまま野麦峠の館見学と相成った。
受付の男性が「この豪雨にバイクで? それは大変だったね。ゆっくり見ていってよ」とねんごろに声を掛けてくれたのが心底うれしかった。
飛騨から信州へ入る女工たちを模した人形に歓迎される形で入館。
館内を歩くにつれ、当時の民俗はもちろん、峠についてよくよく考えさせられた。
思えば、安房峠も旧道を行かなければ辿り着くことはできない。松本高山間を安楽に行き来するだけなら安房峠道路で事足りる。
クルマ社会の発展が簡便さと時短を重視するあまり、見過ごしてきた地域の良さがいかに多いことか。
見たかった飛騨方面は、木々に遮られて今は見えない。乗鞍岳も厚い雲の中。
それでも、今日の旅路で出会った事柄に感謝する私がいた。
何と素直なことか。ここまでの水垢離(みずごり)で雑念と煩悩(ぼんのう)が取り払われたからに違いない。
弱まる気配を見せない雨に意を決し、レインスーツを着込んで出発すると、次第に天候が回復してきた。
待ちに待ったのんびり田舎道ツーリングの始まりだ。
今回の相棒に選んだのは、カワサキのZ400。
コンパクトな車体と軽さが魅力で、センターラインがない狭い道でのUターンや撮影時の取り回しなどで私を大いに助けてくれる。
全域で扱いやすいエンジン特性は、〝うっかりセカンドスタート〟を巧妙に隠蔽して(カバーして)くれるので、エンストをして後ろを走る岩崎カメラマンの失笑を買うこともなかった。
高速走行時の追い越し加速でもその威力を十二分に発揮。東京松本間の往復も疲労が少ないように感じた。
野麦峠から一時的に岐阜県へ入り、国道361号の長峰峠で改めて長野県側へ戻る。
国道上の峠はあくまで新長峰峠。営業していない茶屋以外に何もなく、目を引くのは木曽町を示す県境の標識のみ。
この辺りから道幅が広くなり、回復した天候との相乗効果で急速に空腹感が襲ってきた。
茶屋の閉店を恨めしく思う私にはまだまだ修行が必要なようだ。
国道から県道20号へと折れ、さらに進むと最終目的地の御嶽山周辺だ。
ところが、再び暗雲垂れ込める空に、私も泣き出しそうになった。
ロマンとは、出会いへの思い
私の杞憂とは裏腹に、御岳ブルーライン、霊峰ラインとも小雨で済んだ。
いずれも雲の切れ間から神懸かりに近い煌(きら)めく光が見える。
遠くそびえる山々には出会えなかったが、神気あふれる風光を拝む機会に恵まれたのは、何よりだ。
ロープウェイ駅周辺も含めて人っ子ひとりいなかったが、代わりに霊峰ラインでは猿とも意思の疎通を図るという、何とも出会いに満ちあふれた行程だった。
ここからは一路松本市中心部へと急ぐ。またも行く手に滝行が待っていたが、その先を思うと苦にならない。
なぜかと言えば、本誌で紹介した辻本さんを始めとする、松本、ひいては長野を愛する人々との語らいが予定されていたからである。
立ちはだかる帰宅ラッシュと大雨に阻まれた分、馬肉など郷土料理の味わいやバーでの贅沢な時間で、飲食(おんじき)欲を十分満たすことができた。
翌日は、歴史遺産とも向き合う機会を得た。
国宝松本城及び重要文化財の旧開智学校。ふたつの文化遺産によって知り得た信州の文化が、知的欲求を大いに満たしてくれたのだ。
メインバーコートの林さんが放った言葉が、今も彫心されている。
「大自然と歴史の融合。松本には人の営みの原点があるんです」 出会いは宝、そして、それを思うはロマンなのだ。