生き続けること、走り続けること
カブで旅をすると、いつもの旅と何かが違う。
身の丈にあったそのスピードに身を投じてみると感じる情報量はいつもより多く、人の営みや森羅万象がより身近に感じられ、社会や自然の仕組みがより意識できるような気がするのだ。
report & photo●関谷守正

●右側C125が筆者。左側は案内役を務めてくれる友人、カブ110
いつの時代もカブはカブであり続ける
距離数を見ると約200㎞の道のりは長い。
都心を出発して鬼怒川温泉まで、国道4号をトレースするように北上する。渋滞がなければ、交通の流れは意外に早い。
自分が乗るC125と、今回の案内役を務めてくれる友人が乗るカブ110は、その流れに乗って力強く走る。
スーパーカブが登場し、日本の定番モデルになった頃と現在の交通環境やそこを走るクルマの性能はかなり変わった。
相対的に、昔は50㏄でちょうど良かったものの、現代では原二カブがちょうど良い。
ともすれば単調で、時に殺伐としたクルマの流れに嫌気がさしたら、旧道や国道に沿うような県道を走る。
そこはもうカブの真骨頂だ。その性能とスケールで郊外の町や、田舎道を軽快かつ優しく駆け抜ける。

●道中、栃木市の手前には栃木、群馬、茨城、埼玉の4県にまたがる渡良瀬遊水地(タイトル写真も)がある。33平方キロと広大で、道といくつかの橋だけがある緑の辺境。中には北海道と見紛うような長い道もある。元々は足尾銅山の鉱毒を沈殿させる場所だった
日差しの感触、風の質量、景色の匂い、それらが、ビッグバイクに乗っているときよりも繊細に感じられる。
景色の中へ自分自身を溶かし込むような〝柔らかさ〟がカブにはあって、走るほどに気持ちが緩やかにほぐれて行く。
移動することに対して気負いもなければ、退屈もない。
すべてが等身大、そんな言葉がピッタリだ。今回は、そういう等身大のスケールをもって、日本の道を走り、日本の今昔を実感する旅として、関東地方ではよく知られる『廃墟』を巡ってみようと思った。
戦後14年目の1959年に登場したカブは、まさに日本の高度経済成長とともにあって、そこから60年を経た今なお二輪のメジャープロダクトとしての更新と継続を果たしている。
そして、カブと同じ時代を背景に隆盛し、一度は衰退しながらも、更新と継続を図ろうとしているのが、〝東京の奥座敷〟と呼ばれた栃木県の鬼怒川温泉だ。
特に、戦後に鬼怒川の渓谷沿いに展開した大型ホテル群の明暗には著しいものがある。
時代の変化にマッチした方針を打ち出し、集客に成功しているホテルがあれば、経営判断の誤りや外的要因で廃業、そのまま解体もされずに廃墟となったホテルもある。

●廃墟として有名になった鬼怒川温泉の廃ホテル
いわばカブと同世代のホテル群のそういった姿を見ると、〝継続すること〟への努力と時代の機微というものを意識し、改めてカブの偉大さを思う。
しかも、少し若いがほぼカブと同世代の〝高度経済成長の申し子〟であり、カブによって二輪に開眼し、図らずも二輪業界でなんとか生きながらえてきた自分にとっては、そこでの感慨はひとしおだった。
道中には世界的に有名な日光もあるが、その手前には例幣使(朝廷から日光東照宮への使者)街道の宿場町として栄えた栃木市があり、非常に古い町並みが残されている。
そんな場所でもカブなら違和感なく走れるのは、どちらも純和風、真のメイド・イン・ジャパンであるからということなのだろう。
そういった意味では、鬼怒川から東の矢板方面へけっこうな山道を走った宿泊地・赤滝鉱泉も〝素晴らしくやれた純和風〟であった。

●赤滝鉱泉の玄関。古い民家そのもの
古民家の個人宅を宿泊施設としたようなその趣と、文字通りの心づくしだけと言えるサービスは、旧き良き日本の残像と言ってもいい。
- ●鬼怒川温泉から赤滝鉱泉に向かう途中、県民の森の手前にある「たかはら花畑」では蓮華草が満開
- ●栃木市の旧街道沿いにある銭湯「金魚の湯」。付近には昔遊郭があったとか
- ●鬼怒川の左岸を走る国道352号は廃ホテルの玄関側を走る
- ●栃木市内の蕎麦屋で出会った大先輩、もちろん現役だ
- ●鬼怒川温泉から赤滝鉱泉に向かう途中にはこのようなワインディングも多いが、山道でも原二カブは力強かった
→次ページ:日本の景色にはカブが似合う、日本の道には原二カブがいい
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