大正時代から昭和初期に火が点いた戦前の「オートレース熱」
戦前の日本で「オートレース」が全盛期を迎えたのは、大正時代から昭和初期にかけてのころと言われている。
1910年(明治43年)に東京・上野公園で自転車レース開催に付随してバイクによるレースが行われた記録があるが、「バイクだけのレース」としては1913年(大正2年)関西・鳴尾の阪神競馬場で行われたものが初とされる。
当時、二輪車の普及が1926年(大正15年)には9950台、1927年(昭和2年)には1万360台、1932年(昭和7年)には1万5048台へと徐々に増加。各地にクラブが結成され、自慢の愛車とワザを競い合う文化が生まれていったのだった。
資料に残るオートレースの年間開催回数も、1913年(大正2年)〜1920年(大正9年)までは全国で年1〜2回だったのが(北海道・釧路などでも開催されている)、1923年(大正12年)には二桁を超え始め、1926年(昭和元年)〜1929年(昭和4年)には全国で年20回以上も開催されるようになった。
なかでも関西・鳴尾のオートレースは3万人の観客を集め、一般来場者も含め熱狂の渦に包まれたという。
大正〜昭和40年代にレースが行われていた愛知県津島市「天王川オートレース」の跡地が現存している!
オートレースが数多く開催されたのは関西・愛知・東京であったが、そうしたオートレース場は戦災や戦後の都市開発などで多くが失われてしまった。
しかし、愛知県には当時レースの雰囲気を伝える遺構──大正時代から昭和40年代まで津島市で開催されていた「天王川オートレース」のオーバルコース──が奇跡的に天王川公園に残されている。
当時「天王川オートレース」は地元の実業家若旦那衆「津島MC同志會」の協賛で開催されており、ワークスライダーを打ち負かそうと地元ライダーは奮闘したそうで、それを見に来る観衆は20万人に達したという記録もあるという。

2020年、そんな「天王川オートレース」の熱狂を再現するような催しが行われる運びとなった。
津島天王川公園設立100周年を迎えたのを記念し、11月29日(日)、当時のオーバルコース(1周800m)の一部を実際に1910年代〜1960年代のバイクが走るのである。

「ビンテージバイク ラン in TSUSHIMA」と題したこのイベントは今回が初めてではなく2018年から活動を行っているが、2020年は公園設立100周年の節目の年ということで市から特別な許可が下り、当時「その場所を走ったかもしれない」日・英・米のビンテージバイクが走る──という貴重な機会が実現することとなった。



参加車両は約30台で、1919年リーディング・スタンダード、1924年インディアン・チーフ、1920年代〜1950年代のハーレーダビッドソン、1920年代のトライアンフ、1940年代のBSA、1950年代の陸王、1950年代のホンダ CS72など。
イベント開催日時と場所は下記のとおり。
日時●11月29日(日)雨天中止、前日12時決定
場所●津島天王寺川公園(愛知県津島市瑠璃小路町1丁目)
進行●10時開催、11時POST WAR(戦後の部)走行会、12時写真撮影会、14時PRE ERA(戦前車の部)走行会
主催●津島市 受託者●津島市観光協会 協力●津島市立図書館
*当日は津島天王川公園100周年祭を同時開催中



まとめ●モーサイ編集部・上野 写真&動画提供●ビンテージバイク ラン in TSUSHIMA