バイクブーム時代の豪華なテレビCMを紹介
1970年代~1980年代は、一躍バイクが市民権を得た時代です。たとえば、国内の2輪車保有台数でいえば、1970年は合計885万2258台。それが、15年後の1985年には合計1818万409台(いずれも「日本自動車工業会」調べ)と2倍以上に増加するほどの高い人気を誇り、各メーカー間で熾烈な販売競争を展開していました。
いわゆる「バイクブーム」と呼ばれた時代。商品(バイク)が爆発的に売れていただけに、2輪車メーカーの広告費にも余裕があったのでしょう。当時は、テレビでも新型車や人気モデルのCMが頻繁に流されていました。しかも、今ではとても考えられないような海外の有名映画スターやミュージシャン、国際的なスポーツプレイヤーなどが数多く出演していたのです。
ここでは、そんな豪華な顔ぶれを宣伝キャラクターに起用した1970年代〜1980年代のバイクたちをピックアップし、どのようなスーパースターたちがCMやカタログなどで華を添えていたか、当時の背景も交えながら紹介しましょう。
スズキ・ラブ(1982年)×マイケル・ジャクソン
1982年に発売された原付スクーター、スズキ・ラブのCMキャラクターには、なんと「King of Pop(キング・オブ・ポップ)」と称された米ミュージシャンのマイケル・ジャクソンさん(1958年~2009年)が起用されていました。
スズキ・ラブは、スリムなボディデザインが特徴の50ccスクーターです。排気量49ccの空冷2ストローク単気筒を搭載し、最高出力は3.5ps/5500rpm、最大トルクは0.5kg・m/4500rpmを発揮。車両重量55kgという軽さが魅力で、テレビCMなどのキャッチコピーは「ライトスクーター、スズキ・ラブ」。新車価格は10万9000円でした。
そのCMに出演したマイケル・ジャクソンさんは、当時23歳。元々は5人の兄弟と共に結成したアメリカのアイドルグループ「ジャクソン5」のボーカルだったマイケルさんが、ソロアーティストに転身した時期です。
1979年に発表されたソロ・アルバム「Off The Wall(オフ・ザ・ウォール)」が、全米で800万枚以上も売れる大ヒットを記録。当時、日本でもアメリカのミュージックビデオを流す「ベストヒットUSA」(MCは小林克也さん)というテレビ番組が注目され始めた頃で、ビデオの中でマイケルさんが魅せるキレがいいダンスと、明るくポップな楽曲は多くの若者を虜にしました(マイケルさんが歌の間に発するかけ声「フゥー」も流行語に)。
そんなまさに世界のトップスターが、宣伝キャラクターとしてテレビCMやカタログに登場したのですから、当然ながら大きな話題となりました。
CMには2パターンあり、大ヒットシングル「今夜はドント・ストップ」を使ったバージョンでは、蝶ネクタイとスーツ姿のマイケルさんが、ドレスを着た白人女性とラブの周りをダンスするというもの。
また、メガヒットアルバムと同名曲の「オフ・ザ・ウォール」を使ったバージョンでは、アメリカ(おそらくロサンゼルス)の豪邸にある見晴らしがいい屋上で、ラフなスタイルのマイケルさんがラブの横でダンス。その後、街中(たぶんビバリーヒルズ)をラブで快走するシーンなどが収録されています。
いずれのバージョンでも、マイケルさんは超キレッキレッのダンスを披露し、最後に「Love is My Message(ラブは僕のメッセージ)」という決め台詞も! 「オフ・ザ・ウォール」版では、まだ若くてウインクに慣れていなかったためか、恥ずかしそうに「両目でウインクする」という初々しさも見せています。
とまぁ、こんな豪華なCMですから、当然ラブもバカ売れ……かと思いきや、発売2年後の1984年にあえなく販売終了。マイケルさんが話題になりすぎて、バイクを食ってしまった?? 広告宣伝の難しさが伺えます。
でも、原付スクーターのCMにこんな世界的スーパースターを起用したなんて、いい時代だったんですね。
ホンダ・エルシノア(1972年)×スティーブ・マックイーン
1970年代を知るバイクと映画が好きな人なら、スティーブ・マックイーンさん(1930年~1980年)が、アメリカを代表するハリウッドの大物アクションスターだったことはよくご存じかと思います。
特に、当時のバイクファンを魅了したのは、彼の代表作のひとつで1963年公開の戦争映画「大脱走」。この映画で、主役のマックイーンさんはスタントなしで自らバイクを操り広大な丘陵地を激走、クライマックスには高い鉄条網のフェンスを大ジャンプして逃走するというシーンで注目を集め(ジャンプだけはスタントマン)、一気に映画界のヒーローになりました。
そんな大スターをCMキャラクターに起用したのが、かつてホンダが販売していたエルシノアです。
正式名称を「エルシノアCR250M」というこのバイクは、1972年に発売された市販モトクロッサー。モトクロスなど、オフロードレースを行う人向けに販売された競技専用車でした。
ワークスマシンCR250M直系のこのモデルには、排気量248ccの空冷2ストローク単気筒エンジンが搭載されます。アルミ合金製のピストンや特殊アルミナイズ処理されたスリーブを持つシリンダーなどを使用し、低回転域から高回転域まで軽快な吹け上がりを追求したエンジンは、最高出力は33ps/7500rpm、最大トルクは3.2kgm/6500rpmの性能を発揮。
また、フレームには当時の日本製レーサー初のクローム・モリブデン鋼のパイプと高張力鋼板を併用。過酷なオフロード走行にも耐える高い剛性と、軽量化を両立していました。
当時の価格は30万円。1973年には125cc版のエルシノア125Mや、ナンバー付き公道仕様のエルシノアMT250/125も発売されました。
エルシノアのテレビCMにマックイーンさんが主演することになった経緯には、ある偶然がきっかけとなっています。
ホンダは、それまでモトクロス用バイクに4ストロークエンジンを搭載していましたが、レースでなかなか成績が出せず、ヤマハのDT-1/AT-1やカワサキのTRシリーズ、スズキのハスラーシリーズといった2ストローク車勢の後塵を拝していました。
当時、オフロードブームが到来していたこともあり、新たに2ストローク車の開発に着手したホンダは、1972年のモトクロス全日本選手権シリーズにワークスマシンCR250Mを投入。最終戦で優勝するなどの成果を上げたことで、市販モデルも発売することになり、アメリカで開発車のテストを行います。
カリフォルニア州ロサンゼルス近郊のインディアン・デューンズ・モトクロス・パークという広大なコースを貸し切り、テスト車両を走らせていたところ、偶然その場に居合わせたのがマックイーンさん。元々、バハ1000などの有名エンデューロレースにも数多く出場し、バイクやクルマのレースが大好きだった彼は、ホンダの技術陣に頼み込みテスト車両に試乗(有名人の特権もあった?)、豪快な走りを披露したといいます。
そういった縁もあり、エルシノアCR250M発売時にテレビCMへ出演することになったのです。収録の舞台は、まさにマックイーンさんとホンダが偶然出会ったインディアン・デューンズの広大なコース。CMでは、フロントタイヤを上げウイリーでギャップを越えていくシーンなどで、ハリウッドの有名スターとは思えない豪快なライディングを披露しました。
ちなみに、エルシノアという車名の由来は、ロサンゼルス南東部にあるエルシノア湖(レイクエルシノア)周辺で行われていた有名なエンデューロレース「エルシノア・グランプリ」。
マックイーンさんは、エルシノアのテスト車両を試乗した際に、ホンダ技術陣にマシン名を尋ね、「エルシノア」という答えを聞いた瞬間に、うれしそうにウインクしたそうです。なぜなら、彼はよくこのレースにも出場していたから。まさに、世界的映画スターとホンダの不思議な縁だといえますね。
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