免許を取らせない・買わせない・運転させないという、若者の権利を無視した押し付け教育の象徴が『三ない運動』だ。自己保身に走った教育者と思考停止した大人たちが繰り広げた昭和の暗黒面は、今や消滅しようとしている。
(上写真:埼玉県で行われている高校生に向けた二輪車安全運転講習の様子。単に三ない運動を廃止するだけでなく、適切な指導を行うこともまた必須の事項だ)
事なかれ主義の極致
事の始まりは、1980年前後のバイクブームによる事故や暴走族の増加だ。これによって「バイクは危険かつ反社会的な乗り物」という、バイクに対する否定的なイメージが社会で醸成された。これを理由として82年に、社団法人全国高等学校PTA連合会という団体が、『高校生の生命を尊重する』観点から、『バイクの免許を取らせない・バイクに乗せない・バイクを買わせない』という、いわゆる『三ない運動』の推進を決議したのだ。
バイクメーカーはもちろん、物事を正しく考えられる大人たちは当初から『三ない運動』に反対してきた。本田宗一郎さんは「教育の名の下に高校生からバイクを取り上げるのではなく、乗る際のルールや危険性を十分に教えるのが学校教育ではないのか」と当初から異を唱えたし、何しろこれは自主的な規制であり法律や条例ではない。だからこそ91年の東京地裁で「三ない運動は違憲」という判決さえ出ているのだ(当たり前だ。免許取得は法律で保証されている国民の権利だろう)。
バイクに乗りたいのならば学校に来るな!?
ところが、それで『三ない運動』がなくなったのかと言えば、そうではなかった。『校則』という学校独自の規定で、二輪免許の取得を禁じたのである。要は「文句があるなら当校に来なくて結構」というロジックだ。希望する進路や家庭の事情などで、好きに学校を選べない子供たちの弱い立場を利用したのである。
こうして、綺麗事を並べ、事なかれ主義による自己保身に走った教育者の支配体制は確立された。
こうして、綺麗事を並べ、事なかれ主義による自己保身に走った教育者の支配体制は確立された。
地域によっては「クルマに乗せてもらわない」を加えた「四ない運動」や、さらに「親は子供の要求に負けない」などの項目も加えるという、非常に頭脳明晰なスローガンを掲げたのである。
これで「我が校のバイク事故はゼロ。素晴らしい成果だ」と宣ったのだから涙が出てくる。何もしなければ何も起きないのは当たり前ではないか。
その正反対に、バイク通学を認める代わりに早くから学校や警察が連携して交通ルールについての授業を徹底すると決めた、神奈川県のような事例もあるにはあったのだが……。
「82年には328万台だった日本の二輪車市場が、2018年には8分の1にまで減少した大きな要因として『三ない運動』が大きく影響している」というホンダの八郷隆弘社長のコメントが『三ない運動』の弊害を象徴している。
バイクが売れなくなっただけではない。最近の運転マナーの低下を超えたレベルの運転モラル崩壊も、学校での交通教育を怠ったことが遠因という見方もできるのではないだろうか(交通事件を起こし報道される40代は、まさに『三ない運動』全盛の80年代後半~90年代前半に高校生だ)。
近づく『三ない運動』の終焉
結局、社会インフラとしての運転者教育は必要であること。学習指導要領に存在しないこと。違憲であること。さらにバイクは利用者の少ない公共交通機関を補助金で維持するよりも合理的な交通手段であること。
これらの理由で、当初から『三ない運動』に対して反対の立場だった政府や行政機関の態度もあって、この愚行は30年以上を経てようやく終焉を迎えようとしている。
最後まで粘っていた群馬県は15年に廃止。最も締め付けが厳しかった埼玉県も18年に廃止(いずれも教育委員会の決定)。
残るは公安委員会の指導を無視し、教育委員会が免許没収を行政処分にしている広島県だけだ。
(report●関谷守正)
※本記事はモーターサイクリスト2019年11月号の記事を再編集して掲載しています。