雑ネタ

タイでは救急車に道を譲る習慣がない!? 背筋がゾッとする異国の救急救命事情

日中のバンコクは救急車がなかなか来ない

現在は新型コロナウイルスの猛威で容易に渡航できないが、平常時は人気観光国のタイ。リピーターも多く、ほとんどの日本人がなんのトラブルもなく観光し、帰国している。

しかし、タイが安全な国かというと……実はそんなことはない。人口比で見る殺人事件の発生件数は日本の数倍だ。交通事故も多く、ひったくりや置き引き、スリなど、命に大きく関わらない犯罪ならそれこそ日常茶飯事。

首都バンコクから北に向かって1時間ほどの、世界遺産にも登録されている古都・アユタヤに向かうバンが2017年11月に事故を起こし、日本人4人が亡くなったこともあったが、交通事故に関しては犯罪被害よりもより多くの日本人が巻き込まれている。

事件・事故、あるいは病気であれ、緊急時にお世話になるかもしれないのが救急車だ。タイの救急車事情を紐解いてみると、ちょっと心配になるような一面がある。

義徳堂の隊員が乗っている救急車兼レスキュー車の役割を担っている車内の様子

タイの救急車は、日本の110番や119番に相当する番号「191」で呼べる。この番号はあらゆる緊急車両に対応する。難点はタイ語しか通じないこと。

そのため、タイ在住外国人の中には英語が通じる病院の緊急番号をあらかじめ控え、なにかあったら私立病院所属救急車を有料で呼ぶ人もいる。
2010年前後に救急車専用番号「1669」もできたが、ここもタイ語しか通じない。私立病院の救急車以外は日本同様、無料だ。

しかし、都心は世界的に見ても交通渋滞がひどいと言われ、人々が寝静まった夜中ならともかく、日中は救急車を呼んでも一体いつ来るのやらという問題がある。
中には最初から救急車を呼ばず、近くにいるタクシーなどに乗って病院に行ってしまう人もいる。

日本や欧米では渋滞で多少時間がかかったとしても(救急車が)素早く駆けつけてくる。なぜなら、一般市民が緊急車両のために道を開けるからだ。
タイの場合、恐ろしいことにこの習慣がまったく根づいていない。救急隊員などがたまたま非番で近くにいたりすれば、彼らが乗るバイクで先導し、道を開けさせることもある。

しかし、それでもどかない人はどかない。どいてくれた人の隙間に救急車より先に入り込むような人だっているほどだ。
タイは多民族国家だからか、結構現実主義で、他人が利益を得ることに足を引っ張りはしないけれども、逆に協力もしない。そのため、緊急車両が来ても自分に関係ないと言わんばかり。

東南アジアの中では比較的発展している国なのに、それを取り締まる法令も最近までなかった。自分が救急車で運ばれることを考えるとゾッとする話である。

緊急車両を優先させないと罰則が課せられるようになった

救急隊の先遣隊が緊急走行用に特装したバイク

ただ、ここ数年で緊急車両に道を譲るクルマが増えた。これには大きな理由が3つあると、私は見ている。まず、大きな進歩は法令に罰則ができたことだ。

タイの現行交通法規は1979年に改正されたものがベースだ。当初から緊急車両は緊急時に赤信号を通過したり、駐停車禁止区域でも自由に駐停車できることが明記されていた。

しかし、一般車両や歩行者が緊急車両を優先させることについてはなにも書いていない。これが2016年になって、やっと緊急車両を優先させる項目が加わり、違反者には500バーツの罰金が科せられることになった。

とはいえ、500バーツは日本円で1750円くらい。これは最高額なので、実際の罰金はせいぜい100バーツ(350円程度)。
警察官もいつも見張っているわけではないので抑止力としては弱い。しかし、救急救命関係者には一歩前進したことには変わりないだろう。

それから、あるテレビコマーシャルが注目されたことも大きなきっかけだ。むしろ、罰則が加えられたのもまた、このコマーシャルがきっかけである。
2008年に設立されたタイ保健省傘下組織「タイ国立救急医療機関」が先の救急車専用番号1669を広めるため、2014年以前に制作したコマーシャルだ。

その内容は、クルマが譲ってくれれば病院まであと数秒なのに、運転手はどうせ大したことないだろうと思い譲らない。
そして、搬送者が亡くなるのだが、それが自分の母親だったというストーリー。タイ人の心にこれがグサッと来たようで、道を譲るクルマがかなり増えた。

また、タイ国立救急医療機関の働きもあって、タイの救急車が公共であると知られるようになったのも大きい。
東南アジア諸国は政府の力が強く、逆らったらどうなるかわからないという怖さが国民にあるからだ。

100年もの間、タイでは民間団体が救急救命の役割を担っていた!?

義徳堂が事故を取り仕切っている現場。

ここまでの話はなんだか日本の昭和時代の話みたいだ。いかにタイの救急救命の発展が遅く、政府の対応も後手に回り続けているか、である。

そんなタイ政府が救急救命に本腰を入れたのは1993年ごろだ。保健省が日本の国際協力機構(JICA)の技術協力を受け、東北部に位置する国立病院で実験的に救急搬送時の技術を教えるセンターを作ったのが始まりだ。

1994年にバンコクの病院に外科医療救急レスキュー隊が置かれた。
ただ、このチームの活動は担当する地域が限定的で、その翌年に保健省直轄の「ナレントーン救急センター」が新たに開設され、タイ国立救急医療機関によって救急車がタイ全土に配置されるようになった。

それ以前は民間の慈善団体が救急救命を担っていた。
それが、「華僑報徳善堂」(以下報徳堂)と「泰国義徳善堂」(以下義徳堂)という組織で、バンコクの2大レスキュー団体と呼ばれる。

義徳堂は創設が1970年で、報徳堂は1910年ごろから活動が始まり、1937年にタイ政府に認可された。逆に言えば、100年近くも民間団体が代わりに救急救命を行い、政府はほったらかしにしていたわけだ。

団体の名称からわかるように、両方とも中華系移民やその子孫によって設立されている。国民の寄付で運営され救急救命活動を行うシステムを確立したのが報徳堂で、地方を含めると数十はある救急救命系慈善団体のビジネスモデルでもある。

タイは信仰心の厚い仏教徒が多く、国民の94%が仏教徒と言われる。仏教徒のタイ人たちは来世のために現世で徳を積むことに余念がない。そんな心理をうまく利用している。

富裕層は金銭的な協力を、貧困層には肉体労働的な協力を求めているのだ。
それが何を意味するかというと、団体から給料が出る正式救急隊員は一握りで、1団体で数千人規模とされる実働人員はほとんどがボランティア隊員となるのである。

いま、タイの救急救命は成り立っている

バイクとゴミ収集車の死亡交通事故現場の様子。映っているバイクは先遣隊ではなくマスコミの記者たちのもの。

ボランティアとはいえ、生半可ではない。ある程度金銭的余裕がある人は、救急車や救急救命道具一式をすべて自腹で揃える。
タイは税金の関係でクルマが日本よりもずっと高い。それに惜しみなく私財を投入し、本業の合間に人助けをしているのだ。

逆に言えば、タイ政府は救急救命に金を一切かけず、市民の懐事情とマンパワーを当てにしていたとも言える。
日本人からすると「救急救命に関する専門知識もない素人が救急隊員に?」と思うだろう。しかし、20年くらい前までは誰でもいきなり参加することができた。

その後、法改正などでルールが厳しくなり、ボランティア隊員になるには指定病院の救急搬送技術初級課程を受講し、本部と警察署に登記しなければならない。
さらに、自作救急車も所定のスペックを満たし、団体本部と活動地域の警察署に承認されなければいけないため、入隊のハードルは高くなった。

厳しくなったのは、タイ政府が救急車配備に本腰を入れ始めたのもきっかけだし、以前は団体同士のトラブルも多かったからだ。
慈善団体とはいえ寄付金を多く集めたい……そのためには多くの現場を取り仕切って世間にアピールする必要がある。

だからバイクの先遣隊が当時設立され、警察無線を傍受するとすぐさま隊員が急行。ところが、現場でけが人そっちのけで優先権を巡ってケンカしたり、現場到着前に先遣隊が事故を起こして死亡することもあった。
そのため、政府や地元警察がルールを決め、その範囲内で活動させるようになったのだ。

タイは格差社会で、昔はクルマが高くて保有している人は金持ちだけなので、貧乏人ばかりの救急隊員をドライバーは見下していた。
それで、救急車が来ても「なんでオレが?」とでも思うのか、道を譲ってはくれなかったという事情もある。今は政府公認の救急車もあるし、罰金もあるので譲るようになった。しかし、問題はまだある。

バンコク市では公共の救急車は100台近く配備されているそうだが、他県では数台というレベル。日本に当てはめて想像してみる。
たとえば、日本政府が「埼玉県に救急車を配備しました!」と宣言したとして、大宮に3台だけ。県全体どころか、大宮エリアでも足りなすぎる。
というわけで、結局のところ、いまだタイの救急救命を担っているのはボランティアたちだったりする。

ただ、救急救命がボランティア中心になっていることもメリットがある。
地域に根ざした活動をしているので、たとえば通り名もわからないような場所で、スマホも持っていない中で事故に遭ったとしても、あっという間に地域住民のネットワークでボランティアが呼び出され、救急車に乗ることができるからだ。

ただ、旅行者にとっては先述のようにタイ語ができないとちょっと不安はある。できればお世話になりたくないものである。

レポート&写真●高田胤臣 編集●モーサイ編集部・小泉元暉

プロフィール

■高田 胤臣(たかだ たねおみ)

1998年からタイで過ごしはじめ、2002年にタイへ移住。タイにある「華僑系慈善団体」でボランティア、現地採用会社員として就業。2011年からライターの活動をし『亜細亜熱帯怪談』(晶文社)をはじめ、書籍や電子書籍を多数発行。
noteではタイにまつわる出来事を綴っている。

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