片岡義男、未完『オートバイの詩』シリーズの最終作
現在50代を中心とするライダーの中には、70〜80年代の片岡義男のオートバイ小説に影響を受けた方々も多いだろうが、筆者もそのひとりだ。
当時は角川文庫と角川映画の全盛期で、時代の波に乗った片岡作品は、数多く文庫化された。その数オートバイ小説以外も含めてざっと60作以上(ただしその多くは現在絶版)。
ライダーにとっての代表作は、もちろん『彼のオートバイ、彼女の島』で、竹内力、原田貴和子主演で映画化もされた。この作品の詳細は以前に掲出されたコラムをご覧いただくとして、あまり知られていないのが、(おそらく)片岡氏のオートバイ小説の最後の作品となった『長距離ライダーの憂鬱』(副題:オートバイの詩)だ。
ちょっと羨ましいバイクの陸送アルバイトを舞台にした作品
長距離ライダーとは? はて、そんな職業あるのか、それとも長距離ツーリングのこと? どちらもちょっとハズレである。
舞台設定となるのは、バイクを陸送する単発のアルバイトで、主人公は妙齢の女性ライダー中島美雪(27歳)。とあるプロジェクトに籍をおき(仕事の中身は書かれていない)、数ヵ月働いた美雪は、それが完了した後に何をしたいかと考え、「オートバイに乗りたい、と彼女はそのとき思った」と書かれている。
美雪は早速書店に寄りバイク雑誌を開き、読者からの告知が並ぶページの、次のような文面に目を止めるのだが……。
「陸送ライダーを求む。妙齢の女性にかぎる。そしてできることなら美しい人。始発地点は下関、終点は旭川。7月の第一週、あるいは第二週からスタート。報酬や保険その他、こまかなことは電話で相談」
この文面の依頼主はどんな人か? 自分のバイクを譲る人に届ける依頼だろうが、ライダーが妙齢の美人かどうかなんて、どうだってよかろう。モノを安全に届けてくれるかどうか、信用できるかどうかが第一じゃないの? なんて、野暮を言ってはいけない。なぜならそれが片岡ワールドなのだ。
でも、こんな陸送アルバイト、実際70年代にはけっこうあったんだろうか? もし今もあるなら、やってみたい気もする(文面に即すなら50代のおっさんは選考でハネられるだろうけれど)。
陸送されるのは「静かなる男のオートバイ」
美雪が東京から新幹線で下関へ行き、物腰柔らかな中年男性から陸送を引き受けたマシンは、少しクラシックな国産の500cc。これを引き受けて走り出した初日の夜、休憩する宿で美雪はマシンの「仕様書」を開く。次のような場面だ。
「56×50(mm) 9.0:1 48ps/9000rpm 4.1kgm/7500rpm (中略) シングルオーヴァーヘッド・カムシャフト サイレントチェインを使って、クランクシャフト中央から、プライマリー減速をおこなっている。だからカムチェインの音は低く、気にならない。考えごとをしながら、周囲の景色もある程度は見ながら走るには、4000回転以下に保っていると、快適だった。考えごとはせず、オートバイと出来るだけひとつになって、たとえば峠道をひと息に駆けあがるには、6000回転以上へ、思い切りよく引っぱりあげるといい。レッドゾーンは9200回転からであり、そこまで滑らかに吹きあがる。ききわけの良い、思いのほか力持ちの、しかしどこかおっとりとした、いい弟のようなオートバイだと、美雪は思っていた。(後略)」
細かくスペックを紹介していながら、片岡氏は、作品中にこのマシンの車名を出していない。理由はわからないが、バイクに詳しい人が少し調べれば、これが「静かなる男のための500」のキャッチフレーズで有名なホンダのミドル4気筒・CB500Fourだとわかる。
北海道のほぼ真ん中、旭川まで届ける猶予期間は2週間以内、そんなに急ぐ旅ではない。美雪は各所に泊まりながら先を目指すが、小説ではその間の行程を丹念に追うわけではない。バイクで気ままに走ることの魅力が伝わる描写はそこかしこにある。
だが、時に散文的に美雪の内面を心理描写し、自身の過去の回想など、ある意味女性ライダーがバイクに乗りながら考える(のかもしれない)よしなしごとが、メインのお話のようになっていき……。
ほかに印象的なのは、道中のワインディングロードでの、後方から迫ってくる見えないライダーとのバトルの描写だ。
ワインディングを攻めるマシンのリアルな操作がスリリングに描かれ、そのバトルのようなランデブーで出会った女性ライダー(同じように、これまた妙齢の美人)との、後に続くただならぬ邂逅などなど、ストーリーの核がスピーディかつ漂流気味に進んでいく。
そして物語は、その後の行程をわずかに匂わせながら、旭川に到達する前に終わる。
著者には失礼ながら、想像を超えた(もしくは期待に届かぬ)展開に私は戸惑い、本を閉じた。本書の刊行は1988年で、文庫書き下ろし。
片岡オートバイ作品の多くが刊行された70年代後半から80年代前半にかけての全盛期から、5年ほどが経過していた。
氏の心の中に、今までのオートバイ小説とは異なるアプローチ、描写を表現したい気持ちがあったのか、それまでと異なる表現を試みたのか定かではない。だが、氏の作品群から10代後半にバイクのある生活に憧れた筆者(これを読んだときは22歳)は、この最後期作で気持ちを高めることはできなかった。
片岡作品には、有名な『彼のオートバイ、彼女の島』のほか、長編連作シリーズ『副題:オートバイの詩』として4作品を予定していると、80年代前半当時に文庫の帯で宣伝されていた。
『長距離ライダーの憂鬱』はその3作目で、春が舞台の作品(あれれ!? 舞台が夏になってない?)だという。
ちなみに1作目の秋編は『ときには星の下で眠る』、2作目の夏編は『幸せは白いTシャツ』(いずれも『彼のオートバイ、彼女の島』の雰囲気を継承する作品。機会があれば紹介したい)だが、3作目以後に4作目の冬編(タイトルは『淋しさは河のよう』に決まっていた模様)が出来上がることはなかった。
この予定外の展開、あくまで想像だが、80年代後半にレーサーレプリカブームが加熱する中、片岡作品に出てくる主人公やちょっとクラシカルなバイクたちが、急激に存在感を薄くしていったことと無関係ではないだろう。
レポート●阪本一史 写真●八重洲出版『モーターサイクルクラシックNo.1』(岡 拓)/阪本一史 編集●上野茂岐