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上限7.2psで競い合ったゼロハン(50cc)スポーツ
今では販売台数でも車種数でも規模が縮小し、寂しい状況の50cc(原付一種)クラス。しかし、若年人口が多く、国内市場のバイク販売が上昇気流に乗っていた1980年代には「ゼロハンスポーツ」の言葉が生まれ、50ccスポーツ車は加熱気味に隆盛を極めていた。
ピークは、2ストロークのギヤ付きスポーツモデルが、軒並み7.2psの最高出力で登場した時期だ。
一番手は80年4月登場のスズキRG50E。空冷単気筒に独自のパワーリードバルブ方式を採用した同車は、クラス最高馬力でスマッシュヒットを記録するが、国内他社もこれに追随。翌81年4月にはカワサキがAR50を投入。
70年代以降、大排気量車メーカーのイメージを強くしていたカワサキが原付市場に参入したことでも注目を集めたが、その先兵AR50も空冷2ストピストンリードバルブ単気筒から7.2psを発揮。ライムグリーンの鮮やかな車体色とスッキリしたフォルムと相まって、若きカワサキ漢の心をがっちり掴んだ。
そして国内販売シェアで1、2位を競っていたヤマハ、ホンダも参入。81年6月にはヤマハがクラス初の水冷でピストンリードバルブ単気筒のRZ50(7.2ps)を発売し、一気に人気沸騰。一方従来の2サイクルスポーツMB50(7.0ps)を継続していたホンダは、満を辞してMBX50を82年3月に市場投入。最高出力はライバルと同様7.2psで並べ、同クラスでは大柄な車体にボリュームのある12Lの燃料タンクを装備。スポーツ性はもちろん、ツーリングでも疲れない性能をアピールした。
かくして各社の高性能モデルが揃い、「ゼロハンスポーツ」という言葉が生まれたのは、この時期。ナナハン=750に対して、50だからゼロハンといった意味だが、7.2ps車が揃ったことで、82年ごろのバイク雑誌はクローズドコースに持ち込み4車の性能比較を展開し、注目を集めた。
4モデルの最高速は、軒並み実測で90km/hを超え、原付ライダー少年の多くは3ケタに届かんとする性能に狂気した。だが、現実の公道ではウマくない。性能に酔い知れ、速度違反(50ccの法定速度は30km/h以下)キップを切られた輩も多かった。
1983年以降に始まった60km/h速度リミッター装備
実際、原付50ccの交通事故は2022年の現在以上に多かったため、お上も事態を看過できない。それを踏まえて出されたのが「原付を60km/h以上出ないようにしてほしい」との要請だ。そして国内4社は83年9月以降に販売される50ccモデルから、随時60km/h速度リミッターを装着した仕様を販売することに。
7.2psで速度リミッターなしから、性能を抑えられた仕様へ。速度と高性能に憧れる青年たちにこれがウケるはずはないものの、ホンダは84年4月発売のMBX50のマイナーチェンジ版で、キャブレターを小径化し(15mm→11mm径)、ミッションを5速に減らして(従来6速)5.6psまでデチューン。
機械的に速度を抑制したが、当然人気は凋落。そこで85年11月のマイナーチェンジ車MBX50Fでは、出力を7.2psに戻しつつCDIユニットで電気的に制御。60km/h付近に達すると、点火カットで速度が失速する仕様である。
そしてカワサキも、ホンダと同じ手法の機械的な規制を先んじて選択。83年11月発売のAR50IIで、ポートタイミング変更、キャブレター小径化(16mm→14mm径)、ミッションの5速化(従来6速)などで最高出力を4.6psへデチューン。こちらも一気に人気を落とすこととなる。そこで84年9月にはすぐさま7.2psに戻しつつ、点火カット(CDI変更)で60km/h規制に対応する仕様に変更(車名はAR50Sとなる)。
スズキは82年12月にファクトリーマシンのRG-Γ(ガンマ)の雰囲気を踏襲したRG50Γを7.2psでリリースしたが、84年のマイナーチェンジで7.2psのまま、中低速トルクを太くしつつ電気式の点火カットで60km/h規制を導入。
そしてヤマハは、81年登場のRZ50を83年以降一時生産停止していたものの、85年に最高出力は7.2psのまま、スズキと同じく電気式速度リミッター装着で復活(車名はRZ50Sとなった)。ビキニカウルやアンダーカウルの標準装備で商品性を高めようとしたが、やはり60km/hで失速する仕様に人気が出るはずはなかった。
チューン可能な電気式(CDI)規制からミニバイクレースブームへ移行
そうして83年からのこの変更は、いつしか「暗黒の50cc時代」と表現されるようになり、これ以降、前後輪に16〜18インチを履く、いわゆるフルサイズの50ccスポーツの人気は凋落していく。60km/hの速度規制がかかる以上、高速走行を想定して車体を大きくしたり、剛性や足周りを洗練する必要性がなくなってしまった。そして(これは個人の見解だが……)、「50ccはパワーも出ないし、50ccらしい小さな車格でいいんじゃない」といったメーカー側の冷めた気運も感じてしまった。
ともあれ、この暗黒時代を機にフルサイズのミッション付き50ccスポーツは数を減らし、人気も低迷していった。例外はホンダがメットイン機能を搭載して91〜98年に販売したNS1、ヤマハのTZR50(90〜92)や突如車名を復活させ98〜06まで販売したレトロ風スポーツのRZ50などだが、もう爆発的なヒットはあり得ない。
そうして、この後50ccスポーツは新たな時代を迎える。前後12インチホイールを装着し、フルカウルをまとったミニバイクが隆盛する。YSR50(86〜)、NSR50(87〜)に代表されるいわゆる、500ccワークスレーサーの約4分の3サイズのミニバイクが、サンデーレースのベースマシンとして人気を集めるのだ。
純正の速度リミッターをアフター品のCDIなどに交換し、本来のパワーが出せることで、手軽なチューニングレーサーベースとして人気を獲得するのだ。
……そんな裏技はあるものの、ストック状態でメーカーが性能を競った50ccは見る影もない。リアルタイムに時代の境目を見た現在50代の筆者には、やはり50ccでの奔放な楽しさは、この83年に終わったと思わざるを得ない。
そして86年からの50ccヘルメット着用義務化はいいとしても、公道での50ccの“足枷”となったのが二段階右折の義務化だろう。かくして、よくも悪くも公道でフルサイズ50ccが夢を乗せ輝いていた時代は、80年半ばを待たずに終焉を迎えた。
レポート●阪本一史 写真●ホンダ/ヤマハ/スズキ/カワサキ