「危険運転致死罪」ではなく「過失運転致死罪」での起訴
2021年2月に大分市で発生したクルマ同士の衝突事故。
なんと、直進車は時速194kmだったのに検察官が「危険運転致死罪ではなく過失運転致死罪で起訴した」というニュースが全国で報じられて大きな話題になっています。
一体どのくらいのスピードが出ていれば「危険」だといえるのか、遺族の気持ちを汲んでいないのか、大分地検への疑念や批判は増すばかりです。しかし、検察庁がこういった事態を想定しないまま、刑罰が軽い過失運転致死罪で起訴したのかといえば、とてもそうは考えられません。
この問題には「危険なドライバーを野放しにはできない」という苦渋の選択があるのです。
時速194kmで一般道路を走るという狂気による事故
まず、この事故の概要を振り返っておきましょう。
発生は2021年2月9日午後10時50分ころ。場所は、地元では通称「40メーター道路」と呼ばれている大分県道22号大在大分港線の交差点です。
「どれだけスピードが出るのかを試してみたい」と考えた当時19歳の元少年が時速194kmという猛烈なスピードで直進していたところ、交差点を右折していたクルマと衝突しました。
右折車のドライバーだった50代の男性は、シートベルトを装着していたのに衝撃で車外へと投げ出され、全身いたる箇所を骨折し、懸命な救急処置を受けたもののおよそ2時間半後に死亡が確認されたとのことです。
元少年が乗っていたのはBMW・2シリーズ。メーカーのマニュアルをみると時速260kmまでのメーターが装備されているので、スピードを求めるあまりだというのなら、「もっと出る!」とアクセルを踏み続けていたのかもしれません。
たしかに、走行性能が高いクルマだと「どのくらいのスピードが出るのか?」という興味が沸くかもしれませんが、それにしても時速194kmは狂気の沙汰です。
地元警察の処理結果は「危険運転致死罪」だったが……
現場の交差点を管轄するのは大分東警察署です。事故当時、加害者の元少年自身も重傷を負っていたため現行犯逮捕されず、回復を待って捜査が進められました。
捜査の末、大分東警察署が出した処理結果は「危険運転致死罪」での書類送検です。地元の警察も「制限時速60kmの一般道路において、時速194kmという猛スピードで走行する行為は『危険』だ」と判断したことになります。
ところが、2022年7月、大分地方検察庁は「危険運転致死罪を立証するだけの証拠が集まらなかった」として、過失運転致死罪で起訴しました。ここから、本事故が全国で注目されることになったのです。
「刑が軽くてもいい」とは考えていない!大分地検が過失運転致死罪で起訴した理由
この一件で、危険運転致死罪ではなく各段に刑が軽い過失運転致死罪での起訴に踏み切った大分地検には批判が集中しています。
それもそのはず、危険運転致死罪なら1年以上20年以下の懲役、過失運転致死罪なら7年以下の懲役なので、罪の重さが各段に異なります。
地元テレビ局が市民にインタビューした様子がたびたび報道されましたが、「地検の判断は間違っている」という声が大半でした。
本事故で危険運転致死罪を適用するには、自動車運転処罰法第2条2項に掲げられている「その進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる行為」に該当するのかどうかがポイントになります。
この規定は、単に「スピード」という数字の問題ではなく、道路の形状や周囲の状況などから「進行を制御できるのか?」が問題になるので、大分地検は、事故直前までふらつきもせず直進していた加害者は「進行を制御できていた」と判断したわけです。
このように説明すると「ふらついていなかったし、刑が軽い罪でも仕方ないと判断した」かのようにとらえられがちですが、そうではありません。
検察官は国を代表して犯罪の容疑者を訴追する責任を負う立場です。検察官の敗北は「罪を犯した者を罰せなかった」という国の敗北、ひいては安全・安心できる社会の敗北を意味します。
そういう意味では、起訴に踏み切った検察官に「負け」は許されません。
すると、適用のハードルが高いうえに「進行を制御できていた」という加害者・弁護人の主張をはね返せるだけの材料が見当たらないなかで「負けるかもしれない勝負」を挑むわけにはいかないのです。
法律が定めた条文へのチャレンジかのように危険運転致死罪で起訴して、裁判官が「危険運転致死罪は適用されないので無罪」という判決を下せば、狂気のドライバーを罰することもできないまま、野に放ってしまいます。
「危険運転で起訴して、ダメなら過失運転で」じゃダメなの?
この問題に注目している方のなかには「まず危険運転致死罪で起訴して、風向きが悪くなれば過失運転致死罪に変更すればいいんじゃないの?」と考える方がいるかもしれません。
たしかに、その手続きは可能です。同じ事件について、刑事裁判が進む途中で罪名や事実を変更することを「訴因変更」といいます。
制度上許されているなら、危なくなれば危険運転致死罪から過失運転致死罪に訴因変更すればいいように思えます。
しかし、検察官が自由に訴因変更できてしまうと、その度に被告人側は防御の方法を変えなくてはならないという不利を避けられません。だからこそ、訴因変更を許すかどうかは、きわめて厳格に判断されています。
また、訴因変更までは必要がなくても「危険運転致死罪は成立しないけど、過失運転致死罪は成立し得る」という場合は、過失運転致死罪の部分だけを認める「縮小認定」という考え方も可能です。
いずれにしても「被告人の不利」が生じる事態は避けなければならないというのが基本的なルールなので、訴因変更すればいい、ダメなら縮小認定してもらえればいいといった問題ではありません。
時速194kmで起こした交通事故は危険運転なのか、それとも運転を制御できているから過失運転にとどまるのかという問題には、単なる「法令適用の壁」だけでなく、訴訟制度の難しさも背景にあるわけです。
悔しい想いをしているのは遺族だけではありません。
危険運転致死罪で書類送検した地元警察も、あえて過失運転致死罪での起訴にとどまった検察官も、やはり「法律や訴訟制度の難しさ」に苦渋をなめているのだということを知っておけば、今後の刑事裁判の行方は興味深いものになるでしょう。
レポート●鷹橋公宣

元警察官・刑事のwebライター。
現職時代は知能犯刑事として勤務。退職後は法律事務所のコンテンツ執筆のほか、noteでは元刑事の経験を活かした役立つ情報などを発信している。