■LCR Honda MotoGP Team
自らがGPに参戦するために作ったチーム
少しでもレースに興味を持った方ならば、MotoGPでLCRの名前を聞いたことがあるだろう。
チーム・LCRはMotoGPにおいてホンダのサテライトチームとして活動しており、MotoGPクラス唯一の日本人ライダーである中上貴晶が在席していることも周知のとおり。しかし、ワークスチームのレプソル・ホンダ・チームの陰に隠れてしまうこともあり、その活動が一般ライダーに広く知られているとは言い難い。
今回は2023年日本グランプリでお会いしたチーム・LCRのメンバーを通して、彼らのチーム活動を紹介しよう。
チーム・LCRを語るならば、まずチーム代表のルーチョ・チッキネロのストーリーから始めなければならない。
彼はイタリアの元GPライダーであり、1996年に彼自身がGP125ccクラスを戦うために作ったのがLCRのルーツ。しかし、彼がGPライダーとなる以前の、ゼロからスタートした物語があるのだ。
1969年生まれのルーチョ・チッキネロは、13~14歳でモペット(ペダル付き50ccバイク)に乗りはじめた。そしてメカニズムに触れ、チューニングのまねごとをはじめる。
16歳になるとレースに出てみたいと思い立ち、両親に打ち明けると大反対を受けたが、高校生になり「全てを自分で行い、親の援助は受けない」という条件でレースの世界に踏み出した。「あの時は親から1ドルすらもらえなかったよ!」と笑顔で語る。
最初はメカニックなども行いながら国内の市販車クラスのレースに参戦。18歳後半からのレースデビューは周囲に比べても遅い経歴だったという。
1988年に初のレースに参戦して努力を重ね、徐々に成績を出せるようになっていった。1989年からはイタリア国内選手権に参戦し初優勝を含む年間ランキング10位に続き、翌年の同クラスのランキングは2位となる。
1991年からはヨーロッパ選手権にステップアップし、初年度ランキング10位、翌年はランキング2位となった。彼はイタリア国内とヨーロッパ選手権どちらも、ランキング10位→2位となったリザルトに「ユニークな記録だよね!」とにっこり笑う。
そして遂に1993年からGP125ccクラスにデビューする。レースの世界に飛び込んでから僅か5年後24歳のときである。
しかし1994年もGP125ccクラスに参戦するも大きな結果は残せなかった。すると彼は1995年に、ヨーロッパ選手権に戻るのである。そこで1995年のヨーロッパチャンピオンを勝ち取る!これを弾みに1996年には再びGP125ccクラス参戦、しかもライダー兼チームオーナーとして自身のチーム・LCRを立ち上げてのチャレンジだった。
彼はこの経緯を次のように語る。「レースは自分一人ではできないんだ。周囲の人が大切ということが身に染みていた。それで自分でチームを作りたいと思い、いちどヨーロッパ選手権に戻った。1996年は自分の人生の中でもターニングポイントだったね……」
1998年には日本人ライダーの上田昇がチーム・LCRに加わり、2台体制で参戦。そして遂にルーチョ・チッキネロはこの年の第6戦ハラマGP125ccで初優勝を飾る。その後は2001年、2002年とGP125cc年間ランキング4位を記録し、2003年に現役ライダーを引退する。GPでの戦歴は、149レース中、ポールポジション4回と優勝7回を含む19回の3位以内表彰台というもの。
「ライダーとチーム運営を同時に行うのはとても厳しい仕事、ライダーとしてレースの世界に残ることは困難だったが、それまでの経験を生かしたマネージャーならば続けられると考えたよ……」と語り、2004年からはチーム運営に専念する形でグランプリ界に身を置くこととなった。
チームは2002年から250ccクラスにも参戦していたが、2005年から250ccクラスだけに参戦した後、2006年には250ccクラスからステップアップを果たすケーシー・ストーナと共に、ついにホンダRC211Vを走らせる最高峰MotoGPのチームへと飛躍した。ルーチョ・チッキネロは、レースの世界に足を踏み出してから18年後の37歳で、MotoGPクラスのチームオーナーに名を連ねたのである。
その後の活動はここでは略すが、それから18年後の現在もMotoGPクラスでもホンダとパートナーを継続しつつ活動している。これはルーチョ・チッキネロのライダーとしての活動期間を大きく超えて続けている年数にあたるのだ。
サーキットでのLCR Honda MotoGP Teamとは?
今回の取材は2023年のMotoGP日本グランプリ内で実現した。そこで実際に見聞きしたチーム・LCRの現場を見てみよう。
チーム・LCRの所属会社名は「LCR-X Racing s.a.m.」といい、モナコに本拠地を置いている。社員の総勢は約60人、モナコのヘッドオフィスではレーシングチームの運営はもちろん、スポンサー対応などに加え、コマーシャル活動、ファンやユーザーへの対応、イベントの管理運営などを行っている。
また、サンマリノには技術部門があり、レースの専門家が7人ほど在席している。
事実上グランプリのホームグラウンドとなるヨーロッパ開催地では、巨大なチームトランスポーターと共に、サーキット内に日本国内で見られる大型バイクディーラー程もあるチームブースを構え、ファンやスポンサーを対象に大がかりなホスピタリティサービスが展開される。
しかし地球の裏側となる日本GPには28人のスタッフで来日。マシンや機材はチームトランスポーターではなく、成田空港を出入り口とした航空便とトラック輸送で行っている。
この世界を駆け回る活動を支えるチーム・LCRのスポンサーは55社ほどあり(2023年現在)、チーム・LCRはレース界でも大小数多くのスポンサー企業を上手に集めるのが得意なチームと評されている。
現在のMotoGPは年間20戦開催されており(2024年は21戦を予定)、「そのスケジュールと仕事量は非常に大きいハードワークとなっている」と語るのは、チームの事務局長の職にあるファビオ・アルベルチ。彼はルーチョ・チッキネロの右腕として、チーム・LCRを支えている。
レースウイークの日程は、水曜日までに現地に入り、木曜日午前中の機材準備やピットの設営から始まり、金曜日フリー走行開始、土曜日にフリー走行~予選とスプリントレース、日曜日午後に決勝レース……というのが大きな流れ。
この期間中にもチームの情報発信や、スポンサーへの対応、プレス活動などを行う。これらを時差が生じる各国を跨ぎながら3月から11月まで続けてゆくのだ。
もちろんMotoGPはこのスケジュールの中で勝利を競うのであり、ライダーがコース上で戦うために、全ての仕事がミスや遅れなく行われなければならない。
では実際のサーキットの様子を写真と共に紹介しよう。
■チームオーナーのルーチョ・チッキネロ(Lucio Cecchinello)は1969年11月生まれのイタリア・ヴェネチア出身の元ロードレースライダー。自らが創立したチーム・LCRは今年で28年目を迎える。その人柄からもファンが多い人物である。
■日本でいう事務局長を務めるファビオ・アルベルチ。彼のモットーは「ゲストが100%喜ぶのは当たり前のこと。それを120%や200%の喜びになるようポジティブに何でもしたい!」。そのモチベーションを保つエネルギーは「多くの人との出会いや喜び」だと語る。
■広報兼ソーシャルメディア担当のイレーナ・アネアス(左)さんと、日本GPで通訳やオフィスサポートを行う磯部千紗(右)さん。磯部さんは元全日本やホンダのワークスライダーを務めた手島雄介氏が代表を務める(株)ティー・プロ・イノベーションに所属し、国内外のレース活動を支える仕事をしている才女。
■チーム・LCRのピットは低いパーテーションで中央から分けられ、カストロール Honda LCR(写真左側)と出光 Honda LCR(写真右側)として2台のマシンとライダーを走らせている。それぞれのスタッフは独立しており、チームオーナーやレース運営責任者のテクニカルディレクター以外は、分業制を採っている。
■走行時間帯より前のピット内部は、比較的静かな時間が流れている。しかし、時間と共にマシン準備が進むとピット内はにわかに活気づいてくる。
■スタッフ同士の会話は少なく、いつでも自分の行うことが分かっていて、極めてプロフェッショナルな仕事場と見えたのが印象的。
■フリー走行の時間が近づくとタイヤを装着。タイヤウォーマーは常に巻かれている。グランプリチームのメカニックともなると、その手さばきや作業の速さは当然だが、真近で見ると産業用ロボットが動いているかのようで、ひとつひとつの作業にまったく無駄な動きがないのが印象的だった。
■金曜日のフリー走行に臨む中上選手。写真手前でスマートフォンを向けるのは広報担当のイレーナさん。彼女らはリアルタイムで情報を集め、期間中SNSやWebで全世界のスポンサーやファンに情報を発信し続ける。
■公式予選中ピットに入る中上選手。公式予選中やレース中は、メカニックの活動にも厳しい規則が設けられていて、ピットレーンに立ち入るスタッフは写真のようなヘルメットを被ることも義務づけられている。マシンの後方に立つのはテレビレポートを行う宮城光さん。
■ピットの奥にはライダーが待機するスペースがあり、テレビ中継などでよく映るのはこの場所だ。2023年秋のアレックス・リンス選手は足の怪我が完治しておらず、足を気遣う姿が何度も見られて痛々しかった。
■フリー走行中のピット内部。手前白いパーテーションの内側に座る2人は、マシンから送られてくるデータ等の分析と、PCでマシンセッティングを行うスタッフ。写真左の大柄な人物は、チーム・LCRのレース運営テクニカルディレクターのクリストフ・ブルギニョン。
■中上選手がピットに戻り、マシンの状態などをスタッフに伝える。このときは担当メカニックらだけでなく、テクニカルディレクターに加え、ルーチョ・チッキネロも加わりライダーの言葉に耳を傾けていた。
■中上選手が招待したポケバイレースで活躍する少年少女たち。彼らはチームを見学した後、ピットボックスの中からGPマシンの走行を見学した。それは若い彼らにとって最高のプレゼントだったに違いない。
■チームの荷物は、すべてこのようなカーゴボックスに収められて世界中を旅する。チーム・LCRの場合は、これらのケースが40個ほどだが、ワークスチームとなるとさらに20個ほど増えるという。
■コースに面したピットの裏側には大きなテントが張られており、ここでもマシンの整備を行う。作業の内容によってはレース期間中、夕方から夜遅くまで行われることもある。
■ピット内に置かれたスペアエンジンを収めたケース。エンジンは年間で使える台数が決められているので、厳しく管理されている。エンジンに関して細かな作業はチームでも行うが、エンジン内部に至る大きな作業に関してはHRCで行われることが通常だという。
■日曜日のレースが終わると、夕方から移動に向けたスタッフらによる梱包作業が始まる。GPマシンもこのような専用のケースに入れられ、他の荷物と共に次の開催地へ運ばれて行くのだ。
■ピット内の通路に置かれたエスプレッソマシン。さすがイタリアのチームだけありエスプレッソは欠かせないものかと思ったが、通常スタッフや選手がこれを使うことはなく、スポンサーやゲストが来場した際に、エスプレッソを振る舞うことに使われていた。
■2023年のチームメンバー。この中にはHRCから派遣されたスタッフもいて、実際にメカニックとしてマシンや選手と関わるスタッフが2人と、事務的な連携を図るHRCスタッフが1名在席する。HRCとLCRスタッフはレース開催中も毎日ミーティングを開いている。
■日本グランプリもてぎでのチーム・LCRオフィス。このオフィスの中には、ルーチョ・チッキネロ、事務局長のファビオ・アルベルチ、広報担当のイレーナ・アネアスさんに加え、ライダーのビデオ撮影を元にそのライディングや走行ラインを分析するビデオ専門エンジニアの4人が机を並べている。事務所隣にはスタッフのランチスペースを兼ねた休憩室が用意されている。
■もてぎの第一パドックに広がるテントと仮設ルーム群。白いテントのさらに向こう側が通常の常設ピットである。コース側の1列目は各チームのオフィス、2列目と3列目はオフィスやライダーの専用ルームとして使われている。このようなレンタルオフィス設備は第二パドックにも設営されており、その設置から撤去にはレースの前後、合わせて3週間以上の作業期間が必要とのこと。
■3月8日の開幕から今年のシーズンを戦う中上選手とルーチョ・チッキネロ。今年の活躍にも期待し、声援を送りたい。
■ピット内の通路では、連日ヨーロッパのテレビ局によるレポートが繰り返されている。MotoGPは日本に比べはるかに人気も高く広く認知されているモータースポーツなので、多くのプレス関係者も来日して取材を行っているのだ。
■もてぎの第二パドックには、放送関連施設やグランプリレース運営に伴う施設が集まっている。写真右側には衛星放送に使われる仮設のスタジオがずらりと並ぶ。
■放送関連施設のエリアを歩いていると、気さくなクルーたちが笑顔を向けてくれた。グランプリサーカスと呼ばれる理由が肌で感じられる光景だ。
■第一パドックのピットエリアを歩くと、各チームのスタッフやライダーはもちろん、海外からのゲストも多く、日本に居ながらにして海外のサーキットを歩いているような雰囲気が味わえるのも楽しい。
最後にインタビューで聞けたルーチョ・チッキネロからのメッセージを紹介しよう。
──あなたのポリシーと活躍の原動力は何ですか?
「私は最初にバイクに乗ったときの感覚が忘れられないのです。それは『風・音・スピード、それらを体感しながら走ること』。モーターサイクルは自動車に比べて人が関わる要素がはるかに多く、とても自由な乗り物なので、特別な魅力を感じます。『これが全ての原点』であり、情熱につながっています。二輪車の世界をより良くしたい、安全で社会の中でも認められる存在になるよう寄与したい。もちろん、レースでの勝利を追求するのも目標。私はこの2つの夢に向かい情熱を持ち続けて楽しんでいるのです。これからもホンダと共に勝利を追求し、情熱も冷めません」
と、目の前に座るハンサムでチャーミングなイタリア人チームオーナーは、目を輝かせながらにこやかに語るのである。
筆者は世界最高の二輪テクノロジーを扱い、世界トップクラスのライダーを抱え、1/100秒を競うグランプリチームのオーナーから出たこの言葉に心が震えた。それは彼の足跡を知れば、けっして表向きのために作った言葉ではないことが素直に感じられるからである。
──チーム・LCRスタッフへのメッセージは?
「今、私がいちばん伝えたいのは(2023年日本GP時点)……USグランプリでの勝利おめでとう! スタッフの仲間、スポンサー、ファン、全ての方にお祝いとお礼を伝えたい。厳しいシーズンだったが、高いモチベーションを保ってくれてありがとう!
今は厳しい期間が続いているが、ホンダと共にまた勝てる時期が必ずやってくると信じています」
このUSクランプリの勝利は、ホンダLCRチームにとっては100回目の表彰台獲得だった。
現在2024年MotoGPシーズンはすでに始まっている。2月初めのセパン公式テストに続き、2月19日、20日はカタールでの公式テストを終えた。このあと3月8日からは開幕戦カタールのレースウイークが開始される。
チーム・LCRにとっては11月17日のバレンシア戦まで21ラウンドは厳しく長いシーズンとなることだろう。しかし、ルーチョ・チッキネロの情熱とあの笑顔が世界のサーキットで見られることに、心から尊敬の念と声援を送りたいと思う。
レポート&写真●上屋 博
取材協力●LCR-X Racing s.a.m./(株)ティー・プロ・イノベーション 磯部千紗
LCR-X Racing s.a.m.
https://web.facebook.com/LCRHondaMotoGPTeam/
(株)ティー・プロ・イノベーション
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