起源は1907年、社名の由来は「大阪の発動機」から
「去年、ビッグモーターでダイハツ車を買い、夏はヒョウ被害に遭ってクルマはボコボコです」というリスナーのメールが某ラジオ番組で紹介されていました。来年はラッキーやハッピーが続きますようにと願わずにいられない内容です。
連日マスコミをにぎわせているダイハツですが、その起源は1907年(明治40年)までさかのぼります。その時代、輸入製品に頼っていたエンジン(発動機)を国産でまかなうべく、大阪高等工業学校(現在の大阪大学工学部)の研究者が中心となって、大阪で「発動機製造株式会社」を興しました。日本初の国産エンジン「吸入ガス発動機」から小型ディーゼルエンジンなどを開発・生産したほか、鉄道車両用機器なども作っていました。そのころは〇〇発動機など、類似社名が日本各地に多数あったため、ユーザーから大阪の発動機と呼称され、やがて大発(ダイハツ)と略されていったことが社名の由来となっています。
ダイハツがエンジン屋から完成車メーカーへと変わる大きなきっかけになったモデルが、ジャパンモビリティショー2023でダイハツブースにも展示されていたダイハツ号です。
製作は1930年。世界恐慌による混乱の中、物流などの需要を満たすため、三輪自動車(オート三輪)の必要性が高まっていました。写真を見ていただいて分かるようにオート三輪の構造はバイクの延長線上にあります。
簡素な作りでいながら積載量があるオート三輪は免許が許可制だったこともあり、当時大変な人気を集めました。戦後も1957年に軽三輪商用車「ミゼット」、1960年に軽四輪商用車「ハイゼット」など、スモールカーのダイハツとして成長していくのですが、じつは1952年にダイハツの子会社がバイクを製造し、販売を請け負うという形でダイハツは二輪業界にも参入しています(詳細は関連記事を参照)。
その後の1974年にはダイハツ自らが生産したダイハツ ハローという原付バイクも販売していました。乗車部分がバンクする作りは、ホンダの三輪スクーターに似ていますが、ダイハツ ハローの基本設計者、ジョージ・ウォリス氏はのちにこの特許権利関係をホンダに売却しています。ホンダはジョージ・ウォリス氏の基礎設計を元に新技術を組み込み「ストリーム」という三輪バイクを発売するのは1981年のことです。
衝突試験でのダイハツの不正行為はユーザーの安全にかかわるものであり、絶対に許されるものではありません。しかし、元来ダイハツはユーザーの役に立ちたいというシンプルで高い志をもったメーカーであったはず。今後の対応、ユーザーへのフォローをもって信頼を取り戻していくことを願ってやみません。
レポート●飯田康博 写真●八重洲出版/飯田康博
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