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■「スズキGR650」[1983]
※以下、「■〜」は写真の解説文。
RG250Γ(’83年)→GSX-R(400、’84年)→GSX-R750(’85年)と、’80年代にスポーツモデル路線で成功を収めたスズキだが、市販モデルすべてが売れたわけではないのも、現実だった。ヒットモデルの裏には短命に終わるモデルもある。
今回はその中から、スズキが放った意欲作にして悲運のモデルを紹介。衝撃のデビューを果たしたRG250Γと同じ’83年、650専用設計の並列2気筒搭載で登場したGR650である。
’80年代の国内市場は短命モデルの宝庫でもあった
若年人口の増加も手伝い、国内でのモーターサイクル販売需要も多かった’80年代。エンジンは空冷から水冷化が進み、サスペンションもフレームも日々進化が見られた時代の中で数多くのモデルが登場したが、ニューモデル数が多い分、時流にうまく乗れないモデルも少なからずあった。
開発に際し、新規モデルはどれくらいの期間の生産・販売を想定しているか詳細はわからないが、開発・生産のコストを差し引いて利益を生むことを期待されるだろう。マイナーチェンジなどで商品力を維持することはあっても、ベースの車体とエンジンは極力長く使いたいはず。
実際、進化の早いスーパースポーツ系モデルでは2〜4年ほど、スタンダードモデルなら10年以上基本を変えずに継続されたりするが、開発モデル数が極端に増えた’80年代、販売が振るわず登場後2年ほどで消滅といったモデルも意外と多かった。
いわば’80年代は短命車の宝庫とも言えるが、中でも単一機種用の車体・エンジンを採用したものの販売が振るわずに終わった一例が、冒頭に紹介したスズキGR650なのである。
■RG250Γと同じく’83年に登場のGR650。写真のとおりバーチカルと言う割には前傾したツインエンジンのほか、厚めの段付きシート、大アップ気味のハンドル、キャストホイールの組み合わせが特徴。400並の取り回しと750並の走りという狙いは、乾燥重量178kg、価格47万8000円で当時の400ccクラスに比肩。53psの性能が750並みの走りを実現したかどうか定かではないが、当時の重量級750を峠で取り回すよりも、乗る人が乗るGR650のほうが案外速いという状況は十分想像できる。
気合を感じさせるバーチカル・ルネッサンスの表現
’83年登場のGR650のカタログに記されたキャッチフレーズは、「バーチカル・ルネッサンス(VERTICAL RENAISSANCE)」。意訳すれば、直立(エンジン)の復活、復興ということだが、そのカタログの冒頭に少し長めの文章が飾られている。
「400並みの軽さで、750クラスの走りができるマシンをつくる――。このコンセプトのもとに生まれたのが、GR650だ。細部にいたるまでほどこされた軽量化と、可変マスといった新メカニズムがもたらす胸のすく加速感。そして、並はずれた低燃費と、快適な取り回し。GR650こそ、世界のライダーたちが求めてやまなかったマシンのひとつだ。スズキの世界戦略車、GR650。いま、バーチカル・ルネッサンスという新しい時代に向けて、大いなる旅立ちが始まる」
気合の感じられる文章だが、英国のトライアンフ、BSA、ノートン、それらの影響を受けたカワサキのW1シリーズといった’50〜70年代の高性能なバーチカルツインの流れを、復活させようとの狙いか。
そして、排気量は上述のツインらに倣い650ccとしたが、やや気になるのは“バーチカル”と謳いつつ、GR650のそれが若干前傾したシリンダーであること。左右に広がって振り分けられたエキパイ、しっかり刻まれた冷却フィンも含め、空冷並列ツインはアピールされているのだが……。
■「バーチカル・ルネッサンス」のキャッチフレーズが入ったGR650のカタログ表紙ながら、意外にも車両は前面に出ず、眼下の山々の風景に溶け込む。
世界初、重量の変化するクランクマスの狙い
GR650専用設計の空冷並列DOHCツインの注目ポイントは、先にも触れた“可変マス”だ。ここでもカタログから紹介を引用する。
「スズキは、クランク軸上の重量マス(フライホイール、イナーシャウェイトとも呼ばれる)に着目。この重量マスは、低速回転域では、いわゆる“はずみグルマ”の機能を果し、スムーズな走りをもたらしますが、中高速域になると、アクセルレスポンスを低下させ、エンジンブレーキの効きを悪くする等のデメリットをもたらしていました。この、いわば二律背反する性質を一挙に解決した画期的なメカニズム――それがスズキが開発し、このGR650に初めて搭載した可変マス機構です(後略)」
一般的なクランクマスは、クランク軸やジェネレーターをウェイト(重し)とすることでその働きを担っているが、GRのツインでは、このマスを補助マス(重量は約2kg)として別機構にした。
エンジン回転が低い場合(同車では約2500rpm以下)、補助マスはクランク軸と一体となって重めのクランクマスで回る。そして約3000rpm以上になると、補助マスがクランク軸から切り離されてフリーの状態になり軽快な回転感になる。
マスが大きい低回転では力強くスムーズな回転、中回転以上ではマスが小さくなるのを活かして軽快な回転となって優れた加速性能が得られるという。
■コロンブスの卵=誰でも思いつきそうだが、それを最初に考えてやるのは意外に至難というようなこと。そのたとえどおり、スズキは可変マスをMCメーカーとして初開発。新機構の詳細は本文に譲るが、空冷4サイクル並列2気筒DOHC2バルブエンジンは、1軸バランサー付きの180度クランク採用で、スタンダードスポーツとして常識的な基本構成。ただし、このエンジン内ではピストンを裏面からオイル噴射で冷却するオイルジェットピストンクーリング(後の油冷に発展して継承)、燃焼を促進するエアインダクションシステムなどを採用し、空冷ツインでの更なる理想を追い求めていた。
可変マスの仕組みは、遠心クラッチの原理を利用したもので、約2500rpmに達するまでは補助マスがシュークラッチのスプリングの力でクランク軸に抑えつけられている。
一方、回転がおよそ3000rpm以上になるとシュークラッチに加わる遠心力がスプリングの力を超え、補助マスがクランク軸から離れてフリー(空転状態)になりマス効果が減る。つまり、ツイン独特の力強いトルク感とマルチ(4気筒)に比肩する軽快な回転感を、可変マスで具現化しようとしたわけだ。
またスズキは、この可変マス採用がエンジン全体の軽量コンパクト化にも貢献したとアピール。従来のクランクシャフトやジェネレーターにマス機能を持たせた場合、シフトミスなどでの急加減速時に発生するショックトルクを想定して、耐ショック強度を持たせるべく動力伝達系パーツの大型化や重量増が強いられた。
だがこのエンジンでは分離式マスとしたことで、クランクシャフト自体の軽量小型化が果たせ、同時にクラッチ、プライマリーギヤ、トランスミッションなどの小型軽量化が可能になったと言う。成功事例となったGSX-R系油冷エンジンと同じく、このGRでもエンジンの軽量化を狙っていたのだが、果たしてこれが“バーチカルツインの復興”をもたらしたのか。
■可変マス機構採用のほか、GR650が積極的に軽量なマシンづくりを目指したとわかるのが、カタログにある“ULTRA-LIGHT-WEIGHT”の表記。実際エンジンの軽量コンパクト化以外に、大径薄肉のハイテンション鋼管採用のダブルクレードルフレーム採用、リモート調整機構付きのリヤフルフローターサスなどで、軽快な走りを狙ったものの、意外と安定指向のハンドリング特性。前19、後16インチ車輪のアメリカン的車体構成などが、ハンドリングの軽快感をぼやけさせてしまった印象だ。
可変効果は感じるが性能特性はイマイチ引き立たず……
50代以上のベテランバイクファンならご存知かもしれないが、この稀有な機構を積んだツインエンジンは、GR650とともに一代限りで終焉した。そんなバイクがあったなと懐かしく思い出す向きもあろうが、筆者の在籍した別冊モーターサイクリストでは、消滅から30年近くが経過した2013年1月号の特集「悲運の国産並列ツイン・試乗回顧録 ’70~80s」で、同車を紹介したことがある。
’70〜80年代に短命で終わった2気筒車を特集した中の1台として取り上げたのだ(他の登場機種はホンダCB500T、ヤマハTX750、カワサキZ750Tツイン)。
筆者はこの時、別機種の試乗担当だったが、オーナー氏の手により大事に維持されたGR650にも短時間ながら試乗。試乗記担当は今も各バイク誌で活躍中のフリーライター中村友彦さんだが、氏の記事にGRの狙いに反する没個性がよく表現されており、可変マスについては以下のように書かれている。
「肝心の可変式フライホイールマスに関しては、予想以上の驚きはなかったものの、3000rpm手前でフッとマスが軽くなって吹け上がりが鋭くなる感触は、何度も味わいたくなるほど面白かった。と言うか、トップ5速60km/h前後で田舎道を走っていると、自然にその領域を使うことになるので、僕はまったり+粘りが味わえる低回転域と、軽やかさが魅力の中〜高回転域を、行ったり来たりしながら楽しんでいたのだが……。それがよくなかったのかもしれない。しばらくすると、“アメリカンらしくクルージングするなら、もっとフライホイールが重くてもいいなあ”とか、“スポーティに走るならもっと高回転域の伸びを鋭くして、さらに車体を軽量かつ俊敏にしたい”などという考えが頭をよぎり、だんだんGRのキャラクターが中途半端に感じられてきたのだ」
上記の印象に筆者も共感したし、車体のパッケージ・スタイリングにも中途半端なものを感じた。
そこそこアップしたハンドル+若干前後段差がついた厚めのシート+前19後16インチの車輪という、ちょっとアメリカンな車体パッケージは、スズキが250/400cc並列ツイン搭載車でも一時期展開していたフォルムで、ロードスポーツのGSX250/400E(Eはヨーロピアンの意)、アメリカンのGSX250/400L(Lはラグジュアリーの意)に対し、その合いの子の派生車としてGSX250/400T(Tはトラディショナルの意)を揃えていた。
GR650は、そのTシリーズの流れを汲むフォルムの兄貴分的なスタイリングだが、Tシリーズと同様この“合いの子スタイル”はさほど人気を獲得できぬままに終焉(’81年登場のGSX250/400Tも、3年ほどで消滅)。
ロードスポーツほどカリカリ走るのではなく、アメリカンほどまったりしていないスタイルとして、スズキはこのスタイルを提案したのだが、これも可変マスの狙いと同様に、中途半端な特性に感じられてしまったのだろう。
■登場から30年後に試乗できたGR650のエンジン。エキパイ部(本来メッキ仕上げ)、カムカバーと左右ケース(本来バフ仕上げ)、シリンダーヘッドフィン側面(本来アルミ地)などがノンオリジナル。可変マスを抜きにすれば、造形的にも特性的にもオーソドックスな印象で、そう考えるとバーチカル・ルネッサンスの表現に本当に相応しいのは、’99年登場のカワサキW650(後に800)ではないかと個人的に思えた。地面に対し直立したWの並列エンジンは、360度クランク採用のロングストローク型で、排気量の割に重いクランクマス(同社のバルカン1500相当という)採用で独特の鼓動と回転感を味わわせ、ロングヒットを記録したのが記憶に新しい。
■今ではアナログでレトロな雰囲気に感じる針式速度計(左)と回転計(右)。レッドゾーンが8500rpmからのツインは可変マスの効果は感じられたものの、特別なテイストを狙わず実用的な回転フィールだったと言える。両回転計の間、中央上の表示部はギヤポジションインジケータ。今ではかなり普及したギヤ段数表示だが、スズキは’80年代からこの機能を積極的に採用していた。
■2013年の別冊モーターサイクリスト試乗企画にて、好調に走っていたGR650。乗り手は今も現役で活躍中のフリーライター中村友彦さん。
バイクトレンドの急流の中、伝わらなかった“中庸的個性”
日本国内では、高性能路線に突っ走った’80年代前半、GR650のよく言えばいいとこ取り、悪く言えば中途半端なキャラクターは、可変マスという新機構を持ってしてもさほど注目を集めず国内市場からフェードアウトした。
国内のスズキ車では、その後RG400/500Γ、GSX-R750登場(ともに’85年)など、華々しいスポーツモデルが登場したせいか、GRは余計に影を薄くし、3年と経たずに消滅した印象だ。
ただし、カタログ冒頭で“世界戦略車”とも謳っているとおり、手頃な中間排気量車への需要が高い海外向けには、GR650Tempter(余談だが、テンプターの名は後に400cc単気筒モデルに流用され’97年に国内販売)としてその後しばらく販売され、派生のスポーク仕様GR650X Tempterも追加され’90年代前半に生産終了したと、ネット情報にはある。
だが、当時のスズキは短命車の悲運などどこ吹く風とばかり、ゴリゴリのスポーツ路線でGRを拭い去ったのである。
■GRのスタイルの元と言えるのがGSX250/400T(’81年登場)だろう。GSX系のDOHC4バルブツインを250と400で展開していたスズキは、同系エンジンをオンロードスポーツのGSX-EとアメリカンのGSX-Lシリーズのほか、このT(トラディショナルの頭文字)シリーズにも搭載。合いの子スタイルはある意味新たな提案だったものの、好評は得られず、このTシリーズも3年と経たずにラインアップから外れることとなる。
※スズキGR650主要諸元(1983年国内仕様)
○エンジン 空冷4サイクル並列2気筒DOHC2バルブ ボア・ストローク77.0×70.0mm 総排気量651cc 圧縮比8.7 燃料供給装置:キャブレターBS36 点火方式フルトランジスタ 始動方式セル
○性能 最高出力53ps/7000rpm 最大トルク5.6kgm/6000rpm
○変速機 5段リターン
変速比 1速2.846 2速1.812 3速1.368 4速1.142 5速1.000
一次減速比2.250 二次減速比2.533
○寸法・重量 全長2120 全幅850 全高1180 軸距1430
シート高770(各mm) キャスター27°30′ トレール111mm タイヤ(F)100/90−19 (R)130/90−16 乾燥重量178kg
○容量 燃料タンク12L オイル3.0L
○価格 47万8000円(1983年当時)
レポート●阪本一史 写真●スズキ/八重洲出版
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https://mc-web.jp/life/100670/
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