模索から見えてきたバイクのあるべき姿
レプリカ人気の過熱ぶりは、一方で厭戦(えんせん)ムードを高めることにもなった。
ブームの限界を察知したメーカーは様々なスタイルを提唱するが、その中で意外な支持を得たのは、旧態依然とも言える内容を持つ1台のバイクだった。
report●三上勝久
"丸目2本サス"の台頭
1980年代後半は、バイク界にとって狂乱とも言える時代だった。
〝ナナハンキラー〟と呼ばれたヤマハRZ250の発売が80年。そのRZを打倒すべくホンダは、当時の4ストロークエンジン搭載モデルとしては驚異的とも言える35馬力をたたき出すVT240Fを発売。
このあたりから後のレプリカブームが始まっていき、89年頃に絶頂期を迎えるのだが、そんな時代の中にひっそりと生まれたバイクがある。
それがカワサキ・ゼファーだった。
カワサキ自身も手探りだった?
世界初とかクラス初、史上最高パワーなどの言葉が躍る時代に、懐かしさすら覚えるシンプルな空冷4発2バルブエンジンを搭載したアップハンドルのゼファーは、しかし爆発的に受けた。
どのバイクもフルカウルとなり先鋭化していた時代だ。
250㏄でも60万円を超えた時代に、400㏄で52万9000円と廉価な価格設定だったことも喜んで受け入れられた理由のひとつ。
誰もが熱狂し踊り狂っていた時代に吹いたさわやかな「西風」(ゼファーの語源だ)がこのバイクだったのである。
ゼファーのスタイルそのものは、70年代にごく一般的だった「単車」そのものだった。
しかしフルカウル時代に新しく生まれたこともあって、結果的にカウルを持たないバイク=ネイキッド(裸)という新しいカテゴリーを造り上げることになったのである。
ゼファーのブレイクとともに、ホンダCB-1、スズキ バンディットシリーズ、ヤマハ XJR400などが同じカテゴリーで人気を集め、レプリカブームは徐々に終焉えんを迎えていく。
そして大型車にもこのトレンドは波及していき、ゼファー750/1100、ホンダCB1000スーパーフォア、ヤマハXJR1200と、ここでもネイキッドブームが築かれていく。
ただし、高性能を求めるのはやはりバイク乗りの性分で、本誌ゼロヨンGPで驚異的なタイムを叩き出したドクスダ(ドクター須田)・ファインチューン・ゼファーなどがきっかけとなって、ネイキッドバイク対象のレースが生まれるトレンドにもつながっていった。
2000年代に入ると特定のカテゴリーだけが人気を集める傾向は弱まっていくが、アップライトなポジションで楽に乗れ、幅広い用途に使えるネイキッドバイクはスタンダードな存在として愛され続ける。
00年代に入ってから生まれた、スーパースポーツをベースとするストリートファイタースタイルも、ネイキッドからの派生と言っていいだろう。
バイクの顔とも言えるエンジンの造形を楽しむことができ、カスタマイズも楽しめるネイキッドバイクは、これからもモーターサイクルのスタンダード、王道的な存在として人気を維持していくに違いない。
ブームは250㏄クラスにも波及
●400ccクラスや大排気量クラスのネイキッドのようには定着しなかったものの、脱レプリカ化の傾向は250ccクラスでも多く見られた。
ホンダは88年11月にイタリアンスタイルのVT250スパーダを発売。
ヤマハは90年に2ストネイキッドの最終モデルとなるR1-Z(上左)を投入。当時はこれもネイキッドとして区分された1台。改良を重ねて99年まで販売された