目次
名車カワサキ GPZ900Rの完成までには、さまざまなエンジンや車体が検討され、消えていったという。その試行錯誤について、デビュー直後の1984年に開発エンジニアが貴重な言葉を残している。メカニズムの解説とともに、GPZ900Rが誕生するまでをひもといていきたい。
*当記事は『別冊モーターサイクリスト1984年5月号』GPZ900R 対 FJ1100の記事を再編集したものです。開発エンジニアへのインタビューは当時のものとなります。
Z1の夢を継ぐスーパースポーツを
1972年発売のカワサキ 900Super4=「Z1」は、空冷並列4気筒DOHC2バルブエンジンであった。排気量903ccは当時の国産最大であり、出力82ps/8500rpmも最高。そのパワーと操縦安定性のよさは世界のスピードマニアを狂喜させた。
筆者自身、兵庫県明石市の川崎重工へ行き、初めてZ1に乗ったときは、かつてない興奮を覚えた。工場内にある直線1kmほどの試走路でさえ、速度は一気に190km/hに達したはずだ。その加速力は当時の750とはケタ違いであり、その感動は12年経っても鮮やかによみがえってくる。
Z1は速いだけでなく、他社の750よりはむしろ取りまわしやすく、操縦安定性が優れていた。カワサキはもちろんこれを国内で売るつもりだったし、国内でも圧倒的に売れるはずだった。ところが、どこからともなく浮上した「750cc以上のモーターサイクルの国内販売自粛案」によって、Z1は国内販売の道を断たれた。やむを得ず、そのエンジンをスケールダウンした750RS(Z2)を、1973年から国内に登場させたという経緯もあった。
ともあれ、Z1は世界市場で売れに売れた。 このことは、他メーカーのオーバー750ccマシン開発を促し、果てしなく続く排気量/馬力競争への端緒となるのである。そして、Z1自体も他メーカーの1000cc、あるいは1100ccモデルの登場に呼応するかのように形を変えていく。が、並列4気筒2バルブという基本にかわりはなかった。他メーカーの水冷、V型4バルブという新エンジンの前に、競争力はしだいに低下していくのである。
そして、Z1誕生から実に12年ぶりに、その第2世代として登場したのが GPZ900Rである。水冷4バルブが採用されてはいるが、エンジンレイアウトは依然として並列4気筒。排気量もZ1に近い908cc。これがZ1の12年後の解答である。そして開発チームリーダーは、Z1と同じ稲村暁一技術部長……。
V型6気筒、並列6気筒、シャフトドライブも検討された
「Vもやったし、6気筒も、2バルブも、空冷も、いろいろやりまして、しかし結論はこの形なんですわ」(稲村)
Zシリーズも完成した1978年ごろ、次期モデルとしては、V6までのあらゆるエンジンが検討されていた。縦置きクランクのVツインも、モックアップまで進んでいる。しかしこれはトルク反力や、シャフトドライブがライディング上の問題となり、スーパースポーツとしては成立しないと判断される。
「それからやったのが並列6気筒。諸悪の根源である振動の低減はどうしても達成せないかんというわけでして」
1979年5月ごろから6気筒の開発が始まる。空冷並列6気筒DOHC2バルブエンジンを搭載した試作車が走り始めたのは同年11月。排気量は750へのスケールダウンを想定し、900ccだった。エンジン幅はホンダCBX1000の6気筒より、100mmほど狭く仕上げられていた。
しかし走らせてみると、「ものすごくスムーズでバイクらしさいうんか、パンチがなかった」というもの。これをなんとかモノにしようと開発が進められ、試作車は10台ほど造られている。なかにはツインプラグ(6気筒だから12プラグ!)もあった。出力は100ps程度をマークしていた。だが、やはり「スムーズすぎて面白くない」。それに当時は、4輪の世界でも6気筒をやめて4気筒へ、それで燃費をよくしよう、という方向へ移行していった時代でもあった。
メカロスの多い6気筒より「4気筒でもっとほかになにかやることがあるんでは?」という考え方に変わってくる。4気筒でなんとか振動を低減させようと、「まずやったことは変形クランク」だった。
並列4気筒は1番と4番が上死点にあるとき、2番と3番が下死点にあるようなクランクが普通である。これだと等間隔爆発であり、1次振動は消える。しかし2次振動は残ってしまう。そこで、各気筒を90度ずつずらした変形クランクを作り、振動を1次振動だけにして、それをモーメントの形に変換し、バランサーで打ち消してしまうというやり方だ。
だがこれは、振動面ではよかったが点火間隔が90度−180度−270度−180度と不当間隔になり、どうしてもいいフィーリングにならない。「単気筒だか2気筒だかのようになって、特に低速は問題になりまして。構造的にも点火系が2重になるなど複雑化するので、これはあきらめました。で、元に戻って普通のクランクで2次バランサーを付けて振動を消す方式にしたわけです」
2次バランサーはクランクギアからの駆動で、クランク回転の倍の速度で回転する。軸受けも問題になったが、これは3個のニードルベアリングで支持。また、このバランサーはクランクの下にあり、オイルの中を高速で回ることになる。オイルの撹拌ロスが非常に大きくなるため、バランサー室を設け、流量の大きいポンプでオイルをどんどんオイルパンのほうへ送り出している。バランサー室のオイルレベルはほとんどゼロである。
振動が多いエンジンだと、エンジンをラバーマウントしなければならず、ダイヤモンドフレームは成立しない。しかし、こうして振動が低減されると、ダブルクレードルと併行して開発中であったダイヤモンドフレームが使えるようになった。ダイヤモンドフレームにすると、エキパイを下げられ、それだけエンジンを低く積むことができる。結局、クランクセンターの地上高にして、25mmもエンジンを低く積むことができ、かなり大幅な低重心化が達成されている。
さて、この4気筒エンジンは空冷4バルブであった。「難儀しましたわ、熱の問題で。バルブまわりのトラブルもあって。リッター馬力にして100とか110psは出るんですが、30分とか1時間連続フルスロットルとなると、かなりタレてくる」
──そして彼らが出した結論が「水冷並列4気筒の4バルブ」というものだったのだ。
原文●大光明 克征 写真●八重洲出版 編集●上野茂岐