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4輪ではおなじみの「直6」だが……
バランサーを用いることなく、1次・2次振動と偶力振動を完全に打ち消すことができる直列・並列6気筒は、4輪の世界では昔からV型12気筒と並んで、4サイクルエンジンの理想形と言われている。もっとも近年では、小型軽量化やクラッシャブルゾーンの確保などを考慮した結果、6気筒の主力はV型になっているのだが、歴史を振り返れば数多くの車両が、シリンダー+ピストンが一直線上にズラリと並ぶ6気筒を採用していたのだ。
そんなエンジンがモーターサイクルの世界で普及しなかった理由は、「サイズと重量」と言われているものの、筆者はそれ以外にも二つの理由があるのではないか……と、考えている。当記事では直列・並列6気筒(前者はクランク縦置き、後者はクランク横置き)を搭載する2輪の歴史を振り返りながら、その理由を記してみたい。
■近年の4輪メーカーで、直列6気筒に最も力を入れているのはBMW。2019年までは最もサイズが小さい1シリーズにも、直列6気筒車が存在した。この図版は2000年代中盤から約10年に渡って数多くのモデルに搭載されたN52。
4→6気筒への転身を模索したMVアグスタ
1920年代のアメリカで、ヘンダーソンの直列4気筒をベースとする直列6気筒車が製作された事例はあるけれど、モーターサイクル界で並列6気筒の可能性を始めて追及したメーカーは、1956~1960年のMVアグスタだろう。
MVアグスタがこのエンジン形式に着手した背景には、モトグッツィが1956年の世界GP500に投入したV型8気筒車、275km/hという驚異の最高速を誇るオットチリンドリの影響があったようで、既存の並列4気筒+2という思想で生まれた並列6気筒車は、500:75bhp、350:70bhpを発揮。とはいえ、車重と車幅の増加が仇になり、運動性能では既存の並列4気筒車に及ばなかったため、MVアグスタ製並列6気筒車はほとんど実戦を走ることなく、世界GPから姿を消すこととなった。
なおMVアグスタは、1968~1971年にも既存の並列3気筒車をベースとする並列6気筒GPレーサーを開発している。ただし、このモデルも理想の性能を得ることができず、また、1969年以降の世界GP各クラスで段階的な気筒数制限が設けられたこと、開発を担当したアンジェロ・ベルガモンティが1971年4月のレースで事故死したこともあって、真価を発揮するには至らなかった。
■当時の流行だったダストビンカウルに身を包んだ、MVアグスタの1957年型500cc並列6気筒レーサー。写真のライダーはFBモンディアルやジレラで活躍した後に、1954年からMVアグスタの一員となったネロ・パガーニ。
■1950年代後半のMVアグスタ製並列4気筒はロングストロークの53×56mmだったが、並列6気筒はややショートストロークの48×46mm。デロルトSSIキャブレターの口径は、並列4気筒用より2mm小さい26mm。カム駆動は並列4気筒と同じギヤ式だ。
世界GPを制したホンダ製並列6気筒「RC166」
並列6気筒をモノにできなかったMVアグスタとは異なり、世界GPでこのエンジンの優位性をきっちり示したのが、1960年代中盤のホンダである。1961~1963年に並列4気筒車のRC162/163/164で250ccクラスのシリーズタイトルを獲得しながら、1964~1965年の王座を2ストロークツインのヤマハに奪われた同社は、高回転高出力化を徹底追及した4ストロークマシンとして、1965年の第10戦から全面新設計の並列6気筒車、RC165を投入。
その発展型としてRC166を開発し、さらに350ccクラスにも並列6気筒のRC174を送り込んだホンダは、1966年に史上初となる、マニュファクチャラーズタイトル全クラス制覇という偉業を成し遂げたのだ(サイドカーは除く。50ccはスズキ、500ccはMVアグスタに譲ったものの、125/250/350ccはライダータイトルも獲得)。
■1963年型RC164(並列4気筒)のボア×ストロークと最高出力が、44×41mm、44ps/14000rpmだったのに対して、1965年型RC165(並列6気筒)は、39×34.8mm、54.3ps/17500rpm。1966~1967年型RC166では、最高出力が60ps以上/18000rpmに向上した。
■ホンダ製並列6気筒の活躍に大いに貢献したのが、1965年末にMVアグスタを離脱したマイク・ヘイルウッド。彼が数年ぶりにホンダに復帰しなければ、1966年の全クラス制覇は難しかっただろう。ちなみに1966~1967年のヘイルウッドは、250/350/500ccの3クラスに参戦。
イタリアで生まれた量産初の並列6気筒車「ベネリ セイ」
レースの世界では、MVアグスタが先駆者で、優位性を示したのはホンダ。とはいえ、モーターサイクル初の量産並列6気筒車は、ベネリが1973年に発売を開始した750ccのセイである。1900年代初頭~1960年代後半の2輪の主力エンジンが単気筒と2気筒だったこと、そして1970年前後の時点では並列3/4気筒がまだ目新しかったことを考えると、セイは先進的にして革新的なモデルだったのだが、残念ながら大ヒットには至らなかった。
その理由は、エンジンの構成が1971年にホンダが発売したCB500フォアとあまりに似ていたから……のようである。56×50.6mmのボア×ストロークやオイルフィルターの位置はまったく同じだったし、OHC2バルブの動弁系やプレーンメタル支持のコンロッド+クランクシャフト、1次減速にチェーンを用いた4軸配置なども酷似。さらに言うなら、バックボーンパイプが1本のダブルクレードルフレームも非常によく似たレイアウトだった。
もっとも、セイは1979年に900cc仕様に進化し、1980年代中盤まで販売が続いた長寿車で、世界にはベネリ製並列6気筒の資質を評価するライダーが数多く存在する。だから失敗作ではないのだが、量産車初の並列6気筒エンジンを搭載していても、このモデルが歴史に残る名車なのかと言うと、それはなかなか微妙なところだろう。
■片側1本ずつの左右出しだったホンダ CBXやカワサキ Z1300に対して、ベネリ・セイは6気筒らしさを強調する、片側3本×2=6本マフラーを採用。公称乾燥重量は220kgだが、CB750フォアK0が218kgだったことを考えると、ちょっと軽すぎるような……。とはいえ、CB500フォアの198kgを基準にすれば、納得できない数値ではない。
■ベネリが手がけた並列6気筒の基本構成は、ホンダCB500フォアによく似ていたものの、背面ジェネレーターと2バレル式ではない3連キャブレターは、セイならではのメカニズム。公称最高出力は71hpで、排気量拡大仕様の900は80hp。
レポート●中村友彦 写真●ホンダ/八重洲出版