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生産台数の約7割を占めたハーレーの「サイドカー黄金時代」

今や高級輸入バイクの代名詞として知られるハーレーダビッドソン。多くの人がイメージする姿は大排気量Vツインエンジンと、ビッグな外観のバイクではないだろうか?
そんなハーレーダビッドソンというバイクメーカーが生まれたのは1903年。
ウィリアム・S・ハーレー、アーサー&ウォルターのダビッドソン兄弟の若き3人は、自転車のような形のフレームに116ccに単気筒エンジンを搭載したバイクを製作・販売したのがその起源だ。
1909年に入ると、同社初のVツインエンジンを搭載したモデルが登場する。「5-D」と名付けられたそのモデルは、排気量811ccで7馬力という性能だった。

その後、1913年に1000cc、1921年に1200ccのVツインエンジン(「Fヘッド」と呼ばれるエンジン)を搭載したモデルを世に送り出す。今の目からすると意外かもしれないが、その時代、1920年前後にハーレーを購入するユーザーの多くはバイクではなく「サイドカー」を購入していたのだ。
1919年では、ハーレーが生産した台数2万2685台のうち、約7割にあたる1万6000台がサイドカーであった。
当記事では、そんなハーレーの「サイドカー黄金時代」について紹介していこう。
第一世界大戦でも使われたハーレー製サイドカー

サイドカーは2輪車の横に側車を連結した形態のモデルで、すでに1910年代に数多くのメーカーから発売されていた。その多くはフレームに側車をボルトオンで固定して使用されたもので、ライバルのインディアンでは仕向地の事情に合わせて右カーと左カーの両方が用意されていた。
ハーレーダビッドソンも初期の頃からサイドカーでの使用を前提にマシンを製作していたが、ハーレー純正のサイドカーが用意されたのは1914年からであった。カーボディは、ハーレーと同じくミルウォーキーにあったシーマン社で製作されたものを採用。その多くはハーレーのディーラーに送られて組み立てられたようだ。
サイドカーのメリットはいうまでもなく転倒のリスクが少ないのと人員や荷物を多く運べる点だ。また、タイヤにチェーンを巻くことで悪路走行や雪道走行も可能となる。
2輪車より安全で4輪車よりも簡便な構造の乗り物として、あるいは実用車としてサイドカーが闊歩していたのが1920年前後なのだ。
そうした時代背景を踏まえ、ハーレーのサイドカー黄金時代は1915年にスタートする。
この年、アメリカの郵政公社では荷物を運ぶ際にサイドカーの使用を開始。バンボディを乗せた特別仕様のサイドカーでは、積載量270kgを可能としていた。官公庁や民間でもサイドカーへの需要が高まり、第一次世界大戦(1914年〜1918年)では、前線で使われたハーレーのほとんどはサイドカーであった。
1919年にはサイドカー専用モデルのFSを投入、1919年だけでも1万6400台のサイドカーを生産。生産台数の実に70%がサイドカー付きであった。
また、左側通行のイギリスや日本向けには左カーが用意された。全盛期は1929年頃で、シャシーだけの特装車も多数販売されていた。
JD with Sidecar(1927年)

1927年型の1200ccVツインモデル「JD」のサイドカー付き。アメリカなど右側通行の国では右カーとなり、イギリスや日本向けでは左カーとなるのが一般的だ。
側車部分はシーマン社製でカー側は乗用スペースとなる。このほか商用にはバンボディなどが架装されていた。
JD with Sidecar(1927年)主要諸元
全長:── 全幅:── 全高:── ホイールベース:1511mm 最低地上高:── 車両重量:──
エンジン形式:4ストロークサイドバルブ45度V型2気筒 排気量:1214cc ボア・ストローク:87.3mm×101.6mm 圧縮比:── 最高出力:18ps/── 最大トルク:── 変速機:3速
燃料タンク容量:12.3L タイヤサイズ:前後とも3.50-26
原文●原 久三 まとめ●小泉元暉 写真●八重洲出版/ハーレーダビッドソン
*当記事は2008年発行『GREATEST HARLEY1903-2008 ハーレーダビッドソン105周年とVツインの100年』(八重洲出版)の内容を編集・再構成したものです。