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2001年登場、ヤマハFJR1300が目指した「スポーツツアラーとしての高み」
旅にも、走りにも妥協しない。ヨーロッパでの使い方を真摯に研究して開発されたのが、ヤマハのスポーツツアラー・FJシリーズである。
だが、21世紀に入った2001年、同車はスポーツアラーカテゴリーでのさらなる高みを目指し、車名に「R」を付加した海外向けモデル・FJR1300を登場させた。FJ時代には選択されなかった水冷エンジン+FI(フューエルインジェクション)、シャフトドライブ駆動を採用するなど、時代に対応させてデビューし、2021年でちょうど20年。
様々な熟成を重ねつつ、2013年からは日本でも正規販売されるようになったFJR1300の最初を振り返ってみよう。
FJ1100〜1200のコンセプトを継承
70年代から80年代始めにかけて過熱した我が国でのオートバイの販売競争は、俗にHY戦争と言われる。特に、国内での販売台数1位のH=ホンダと2位のY=ヤマハの販売競争の顕著だったことから生まれた言葉である。
あちらが出せばこちらもライバルを用意──というように一時期雪だるま式に膨らんでいった商品展開は間もなく破綻に至るのだが、ヤマハはそれ以降しっかりとカテゴリーを絞ったモデル開発にシフトしていった印象がある。そうした中で1984年に登場したのがスポーツツアラーのFJ1100だった。
「世界最速・最高の性能」を狙いながら、ツアラーとしての使い勝手も重視する。
そのために、ロングツーリングの本場、ヨーロッパでの現地調査を実施し、彼の地の嗜好に合わせたモデルのコンセプトを丁寧に固めていった。
そう、排気量が750cc超のモデルだから当然だが、日本市場の販売競争から生まれたモデルではなく、腰を落ち着けて息長くヨーロッパで売れるモデルを目指したのだ。
FJ1100は、その後1986年に排気量を従来の1097ccから1188ccへ拡大してFJ1200へとモデルチェンジ。
1991年には輸出向けだった同車の国内仕様を用意。最高出力は自主規制を踏まえ97psまでスペックダウンしたものだったが(輸出向けは130ps)、よく練られた専用チューンで一定の評価を得た。
加えて、二輪用ABSが珍しかった時代にABSを装備した「FJ1200A」も15万円高で用意。ABSは標準装備になりつつある現在だが、これは当時からFJが先を見据えたパッケージを考えていた証左でもあっただろう。
なお余談だが、このFJ1200の空冷並列4気筒が1994年登場のビッグネイキッドモデルXJR1200のベースとなったのはよく知られたことで、このXJR系は1300cc化、インジェクション化を経て国内では2017年までラインアップされる長寿モデルとなった。
初代FJR1300は「専用開発の水冷4気筒&アルミフレーム」で新時代に対応
長らくヨーロッパ向けスポーツツアラーとして着実な評価を得ていたFJシリーズだったが、排出ガス規制への対応や、ライバルモデルの趨勢から言って、空冷エンジンでは今後長く存続するのは不可能──そこで2001年に初代FJR1300が登場する。
全面新設計となった同車開発の際も、参考にしたのはヨーロッパにおけるロングツーリングでの使われ方だった。
「タンデムライドで10日間、3000kmを快適に走行できる」というヨーロッパのツーリングライダーの要求を満足させつつ、ソロでもタンデムでもワインディングでの走りを楽しめるスポーツツアラーを目指して開発が進められた。
結果としてエンジンは、専用設計の水冷並列4気筒を開発し、これにFIを組み合わせた(当時の欧州排出ガス規制、ユーロ2に対応)。
エンジン幅をコンパクトにすべくサイドカムチェーン式を採用し、ボア・ストロークは「ヤマハ製1300cc4気筒」で比較すると、XJR1300より3mmストロークの長い79mm×66.2mm。
スーパースポーツ・YZF-R1などに採用された放熱性に優れたメッキシリンダーや軽量ピストンの技術を投入し、低振動かつ滑らかな回転を狙って組み立て式ショックアブソーバー内蔵の2軸バランサーを採用。
全域でトルクフルかつシルキーなエンジン特性に仕上げられた。
フレームは軽量かつ強度と剛性バランスに優れるアルミダイキャストのダイヤモンド型とし、エンジンの効率的な冷却を狙いヘッド部からピボット部までをS字に接合する形状にした。
駆動方式はシャフトドライブを採用。この機構内に機械式カムダンパー内蔵のミドルシャフトが採用され、トルク変動に対して滑らかな特性となるようにセッティングされた。素直な運動特性と軽量化などを狙って、FJ1100〜FJ1200ではチェーン駆動が採用されたものの、時代とともに技術は進化。
かつてはシャフトドライブのクセとも言われたトルクリアクションもほとんど感じさせず、素直な走行性を実現している。
足まわりはフロントがインナーチューブ径48mmの正立サスペンション、一方リヤは荷重に合わせて簡易に変更が可能なリモコン調整式サスペンションを採用。
加えて、シールド高とアングルの調整が簡単な電動式ウインドスクリーンの採用も初代FJR1300の特筆する部分だろう。
2001年当時、前述のようなリモート式のサス調整機構や、電動可変のウインドスクリーンなどは、ツアラーの本場・ヨーロッパ生まれのBMW R1100RTなどに採用例があったが、日本製ではまだ珍しい装備だった。
また、タンデムでも挙動の安定した高速性能やワインディング性能というのは、やはり当時のBMWのお家芸だったが、おそらく初代FJR1300は、これに真摯に対抗し運動性能を追求した初の日本製スポーツツアラーだったかもしれない。
初代FJR1300の走り「人とマシンの一体感が光る、確実な運動性能」
初代FJR1300のデビュー時に筆者は試乗した経験があるが、実際採用された最新のメカニズムは、その特性がよく生きている印象だったのを思い出す。
2001年当時の大型ツアラーが乾燥でも300kg前後の重厚さだった一方、FJR1300では237kgの乾燥重量を実現している。
相応に手応えのある車格と車重で、さすがに「軽快」とまでは言えないが、一体感のある運動性能が記憶に残っている。
例えばそれは、ちょっとしたギャップの通過時などの挙動によく感じられ、通常の大型ツアラーならフロントがコツンと受けた挙動からワンテンポ置いて、リヤは1.5倍程度の突き上げだったり横揺れだったりの挙動がくるものだが、FJR1300はその点がひと塊なのだ。
前の挙動からリヤに挙動が移る時の増幅がほぼなく、なおかつ時間差も少ない。そして、コーナーの切り返しなどは相応の手応えながらも、切り返した後のラインがスッキリと自然に決まる──そんなオン・ザ・レール感が「これは新たな時代のスポーツツアラーだ」と思わせたのだった。
現実的な規制(当時はユーロ2など)に対応して、FI化や三元触媒内蔵マフラーを採用するのに加え、初代FJR1300は当時思いつく限り、機能面での電動化にもトライしている。それもまた「大きく変えず、10年単位で熟成して育てていきたい」という開発陣の思いの結実だったのだろう。
そして、初代FJR1300は登場の2001年にドイツ・モトラッド誌のベストツーリングモーターサイクル賞獲得の高評価を得て、ヨーロッパ市場でも高セールスを記録。その実力の高さは、ヨーロッパにおけるFJR1300ベースのポリスバイク採用数の多さが証明する(近年は日本国内でも採用されている)。
改良と熟成を重ねながら、2021年で登場から20年の節目を迎えたFJR1300。
世界中、多くのツーリングライダーから愛されるロングセラーモデルとなったのは、先見性に基づいて、初代FJR1300が優れた基本設計で生み出されたことの証左だろう。
ヤマハ FJR1300主要諸元(2001年・海外専用モデル)
[エンジン・性能]
種類:水冷4サイクル並列4気筒DOHC4バルブ ボア・ストローク:79.0mm×66.2mm 総排気量:1298cc 最高出力:105.5kW(143.3ps)/8500rpm 最大トルク:134.4Nm(13.7kgm)/7000rpm
[寸法・重量]
全長:2195 全幅:760 全高:1420 ホイールベース:1515 シート高805(各mm) タイヤサイズ:F120/70ZR17 R180/55ZR17 車両重量(乾燥):237kg 燃料タンク容量:25L
レポート●阪本一史(元『別冊モーターサイクリスト』編集長) 写真●八重洲出版 編集●上野茂岐