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第1回鈴鹿8耐のカテゴリーは大雑把にふたつだった
「国際格式の耐久レースを日本にも!」と1978年7月に初開催された鈴鹿8時間耐久レース。
国際格式というとレギュレーションがかなり厳しいようなイメージを抱いてしまうが、第1回鈴鹿8耐には小排気量ストリートバイクから世界で活躍したワークス耐久レーサーまでがグリッドに並び、異種格闘技のような世界が繰り広げられたのである。
もちろんレギュレーションはあった。マシンはふたつのクラスに分けられ、まずひとつはストリートバイクをベースにした「シルエットタイプ」。排気量は250cc〜1200ccで改造範囲は少なく、排気量拡大NG、キャブ径はスタンダード同様、タンクもスタンダードのものの装着が義務付けられるというもの。
そしてもうひとつ、上記の改造範囲を超えたものや純粋なレーシングマシンを含む240cc〜1000ccのマシンを「プロトタイプ」と分類した。
しかし、逆に言えば上記の条件にさえ合っていれば参戦はOKというもので、結果、ミラーとウインカーを外しただけのようなストリートバイク、極限までチューニングを施したリッターバイク、オリジナルフレームを用いたワンオフカスタムバイク、ワークスレーサー……それらが一堂に走るレースとなったのである(ライダーへの間口も広くノービスライセンスで参戦可能だった)。
結果はご存じの人も多いだろう。優勝候補と目された、ヨーロッパで大活躍をしていたホンダの耐久レーサーRCB勢が全車リタイア。勝利を掴んだのはストリートバイクを極限まで改造したマシン──ヨシムラGS1000だった。その事実が象徴するように第1回鈴鹿8耐は改造車が輝きを放ったレースという魅力もあったのだ。
特に、今の目で見ると異質な存在に思えるマシンを当記事では紹介したい。1000cc空冷6気筒のホンダCBXと、ヤマハ XS750スペシャルの2台である。大排気量6気筒バイクと、アメリカンバイクがサーキットを走る勇姿をぜひご覧いただきたい。
アメリカンホンダのCBX(1000)「参戦マシン唯一の6気筒車」
まさに第1回鈴鹿8耐が行われた1978年に、輸出専用車として登場したホンダCBX。見る者を圧倒する巨大なエンジンは、1047ccの空冷4サイクルDOHC4バルブ並列6気筒。
第1回鈴鹿8耐参戦マシンのなかで、唯一の6気筒エンジン車であった。
このCBXはアメリカンホンダからのエントリーで、チーム監督は耐久レースの名手・菱木哲哉氏。ビキニカウルの装着、大型オイルクーラーへの換装、サスペンションの変更などは行われているが、参戦マシンはスタンダードの姿を色濃く残していた。
ロン・ピアス選手、レッグ・プリドモア選手でのエントリーだったが、プリドモア選手が予選で転倒し負傷したため、本選では藤本泰東選手がピンチヒッターを務めた。電気系トラブルで一時順位を35位まで落とすも、着実な追い上げで見事11位で完走している。
月木レーシングのヤマハXS750改「シャフトドライブの異色マシン」
ヤマハ XS750スペシャルといえば、GX750をアメリカンタイプにしたモデルだが、なんと同車で第1回鈴鹿8耐に参戦したのは名門「月木レーシング」。
意外なほどスタンダードの姿をキープしており、747cc空冷4サイクル3気筒+シャフトドライブといった構成もそのまま。
キャブレターはメインジェットのみの変更、エアクリーナーも付いたまま、マフラーはマツバラレーシング製の3into1で少々高速型のセッティングになっていたようだが、パワーアップは図られていなかった(ただし耐久性を上げるためのスペシャルパーツは数点使われていたようだ)。
シャフトドライブのため、2次減速比の調整ができず、ミドルギヤをGX用に変更して対応。パワーはスタンダード並みということで、フレームが負けることもなく、フレーム補強は施されていない。リヤショックはモンロー製で、タイヤはダンロップのエンデューロ用が使用された。
ライダーは天野雄二選手/榎本 勤選手のコンビで、途中リタイアとなるも30位の戦績を残した。
まとめ●モーサイ編集部・上野 写真●八重洲出版