「ホンダと言えばCB」と言うバイクファンは多いが、「CB」の名が冠せられた第1号車の登場は1959年……60年以上まえに遡る。
その「最初のCB」ことCB92は、デビューとともに凄まじいインパクトを与えたマシンだった。なんと初めてのレース参戦で、ホンダのGPレーサーを破ってしまったのである!
CB第1号車のCB92は、ベンリィでもあり、スーパースポーツでもあった
1950年代後半、ホンダは技術力・企業規模ともに飛躍的な発展を遂げ、小型バイクのカテゴリーとしては、マシンのメカニズムや性能面でも世界をリードする立場となっていった。
1957年には大量生産車として世界初となる250ccの2気筒エンジンを持つドリームC70を、翌1958年には125cc 2気筒のベンリイC90を市場に送り出す。


そして1959年、C90のスポーツバージョンとして発売されたマシンがCB92である。
当時は、浅間高原でのレースを頂点とするバイクレースが、国内でも開催されつつあり、それまでの実用用途に主眼が置かれていたモデルから、本格スポーツ車の開発が始められた時期──。

正式名称「ベンリイスーパースポーツCB92」は1959年の4月に発売され、ホンダとして始めて「CB」と名付けられた市販車となったわけだが……なんとその実態は夏に行われる浅間レースに向けた市販レーサーで、発売と同時に全国のスポーツ有力店へ優先的に出荷された。
後世、CBX/CBRも含め50~1300ccまで、CBの名を冠したホンダを代表する無数のスポーツモデルが世に出てゆくが、CB92こそがそのルーツなのだ。

出力はC92の11.5馬力/9500rpmから15馬力/1万500rpmへ高回転高出力化。
車体ではプレス鋼板構造とはいうものの、前後18インチホイールに専用のマグネシウム製大型ブレーキを装備している。特にこのブレーキは、250用スポーツ車として試作された車両から流用され、その構造は同時期のGPレーサーに近い物だった。現在で言うならMotoGPマシン RC213Vの足回りを市販車に付けていたような超贅沢装備だ。

一度見たら忘れられないそのスタイリングは、当時浅間高原で行われていた一連の全日本レースでの車両をモチーフにしているが、マシン上方からタンクを見ると人の「骸骨」にフォルムが似ている事から「ドクロタンク」と通称され、現在でも語り草になっている。

CB92は発売当初からレースでの使用も重視されていた為、ユーザー向けのレース用キットパーツも用意されていた。これは現在のHRCベース車と同じような位置づけで、さすが「レースの血」が流れるホンダ車である。

ベンリイスーパースポーツ オーナーズクラブ CB92
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