今から40年近く前の1980年代前半は、HY戦争なんて言葉が生まれたほど原付が大人気だった時代だった。
だが、人気があったのはスクーターだけじゃない。原付にもマニュアルトランスミッション(以下、MT)を駆使して走るスポーツモデルが数多く存在し、スクーター同様に人気を博していたのだ。
学科試験だけで手軽に取得できる原付免許は、当時の高校生なら誰もが欲しがった。免許を取れば当然、バイクが欲しくなるわけで、多くの若者がスクーターを手に入れるが、いつかMTを駆使して走りたくなる人だっている。
MT車ではスクーターにない「操る感覚」が色濃く味わえるし、スクーターより大きな車体が多かったからツーリングにも行ける。原付MT車が人生を変えた、なんて人もいることだろう。
とはいえ、1980年代初頭に高校生たちでも買えたMT車は中古車が一般的。新車をおいそれと買えたのは裕福な家庭の子息で、普通は友人や先輩のお下がりだったり一般の中古車を買ったりしたものだった。
その頃に流通していたのは当然1970年代のモデルである。
当記事では、オジサン世代には懐かしく若者世代には新鮮かもしれない、1970年代生まれのモデルたちを紹介しよう。
豊富に流通していたホンダ・ベンリイCB50
まずは販売台数が多かったので、中古車が豊富に流通していたといえるホンダ・ベンリイCB50だ。
同車は1971年から発売され、進化版のCB50JXやJX-IIも登場したロングセラーモデルである。


その魅力は何といっても1万回転(!)以上まで軽々と回るエンジン。最高出力は6馬力とパワフルだったし、排気量が上のCBたちと共通イメージのスタイルも高校生に人気だった。
このエンジンは別のモデルにも流用されている。トライアルモデルのバイアルスTL50や、オフロードイメージのXE50などがそれで、CB50シリーズが人気車だっただけに「人と同じはイヤだ」というニーズにも応えることになった。


50ccオフロードモデルはスズキ・ハスラーが大人気
オフロードといえば当時、スズキのハスラーが大人気だったのを忘れてはいけない。
ホンダの4ストロークエンジンよりパワフルで、圧倒的な加速が魅力だったのがハスラーTS50だった。
TS50は1971年に発売されたハスラーシリーズの最小排気量モデル。年々改良が加えられ1983年にはエンジンを水冷化し、最終的には90年代まで生きながらえている。

さらにスズキはミニタンを1977年に発売している。ミニタンは同年発売の原付アメリカン、マメタン(5.5馬力、価格10万9000円)やロードスポーツモデル、RG50(6.3馬力、価格11万9000円)との兄弟車である。

50cc市場はヤマハも力を入れていた
ただ、このジャンルではヤマハも意欲的で、前年の1976年に自動遠心クラッチ3速とハンドクラッチ4速のボビィ、本格スポーツを意識させたミニGR50を矢継ぎ早に発売している。
どちらも原付MT車の新時代が到来したと感じさせるモデルだった。


こうした流れを経て、1977年にヤマハは1974年発売のスポーツRD50と、1974年発売のGT50 IIのモデルチェンジを行い、それぞれのモデルが持つ魅力を磨き上げた。
どちらも2ストロークエンジンを搭載しており、なかでもRD50は当時トップクラスとなる最高出力6.3馬力を発生。これはスズキRG50と全く同じ数値だった。


加速する原付ブーム、そしてホンダも本格的参戦へ
1970年代も終わりに近づくと、各社一斉に原付MT車のラインナップを拡充する。
ヤマハはGT、GRに続き、トレールマシンのトレールMR50をモデルチェンジ。タコメーターを装備してエンジンは6馬力を発揮していた。

なんとか4ストロークエンジンでヤマハ・スズキに対抗してきたホンダだが、ここに来て待望の2ストロークエンジンを搭載する原付スポーツを発売する。それが1979年4月に登場したMB50だ。
ホンダにとって初めての2ストロークエンジンを搭載するスポーツモデルでもあり、出力は7馬力を達成。フロントに油圧ディスクブレーキを装備していた。

さらにホンダはMB50のエンジンを6.5馬力に出力ダウンさせてオフロードモデルであるMT50も立て続けに発売する。これでロードスポーツとオフロードともに、ヤマハ・スズキと拮抗することになったのだ。

次々と投入される新型車で、国内の原付市場は大いに盛り上がった。
そして時代は、空前のバイクブームへと突入していくのである。
text:増田 満 編集:モーサイWEB編集部