前回、1970年代に生まれたレジャーバイクを中心に、変わり種バイク・スクーターを振り返ってみた。
70年代前半にはレジャーバイクが数多く生み出されたものの、70年代後半になってロードパルとパッソルにより「ソフトバイク」の時代が到来。
さらに1980年にはホンダがタクトを発売したことで、本格的なスクーターブームがやってくる。これでレジャーバイクの運命は尽きたかに思われた。
ところが、熾烈な販売合戦が繰り広げられた1982年以降のスクーターブーム全盛期でも、営業の現場からは「もっと豊富なモデルを」とか「とにかく安くて売れるもの」、さらには「一番速いヤツを」と言った声が寄せられ、開発陣も声に応えようと試行錯誤した。
だからレジャーバイクの延長にあるものの、まだまだジャンル分け不能な変わり種バイクは生まれ、さらにはスクーターにも奇天烈さを盛り込んだものまで生まれてくることとなるのだ。
そこで今回は1982年以降に生まれ、スクーターブームが終わる1980年代いっぱいに生まれた「変わり種バイク・スクーター」たちを振り返ってみたい。
HY戦争真っ只中に生まれた「ユニークバイク」
1982年はHY戦争真っ只中。この時代、ホンダに負けじとヤマハはユニークなモデルを発売する。
まず2月にアメリカンタイプのスタイルを採用する2速ATのポップギャルを、7月にはブラック塗装とブラウンのシートを採用するポップギャルスペシャルを発売した。
ポップギャルに触発されたのか、スズキも同年にタンク別体でアップハンドルを採用するファンファンを発売。2速ATながら3.2psエンジンで機敏な走りを備えていた。
しかし、1982年のユニークバイクのトピックは、10月にホンダが発売したジャイロXだろう。
ストリーム同様にリヤ2輪としたスリーターで、低圧ワイドタイヤにより雪道や坂道で優れた走破性を実現した。
スクーター全盛期にも生まれ続ける
1983年はスクーターブーム全盛期。各社スポーティでパワフルなモデルを続々を新発売するなか、ホンダはまたしても独創的なモデルを生み出す。
4月にスーパーカブのようなスタイルに2サイクル5.2psエンジンを備えるエクスプレスを、またリードの高級版で5.6psエンジンが売り物のリーダーを、そしてスリーターながら46kgと軽量でフロントバスケットを装備するジョイを、それぞれ発売している。
とてつもない新車ラッシュだが、さらに5月にはスリーター第4弾となるジャストを発売。
乱発気味が災いしたのか、いずれも新車販売台数・残存率ともに低いレア車だ。
ところがこれに留まらず、ホンダはスクーター戦争に終止符を打つべくモデルを送り出す。7.2psという出力自主規制を生み出すきっかけでもあり、デュアルヘッドライトやフェアリング付きカウルを装備するビートを発売するのだ。
当時、他の追随を許さないパフォーマンスを備え、スポーツスクーターの切り札に思えたが、デザインや機構の奇抜さゆえか、今ではマニアックな存在として語り継がれることになってしまった。
1984年ごろから減少していく変わり種バイク
続く1984年になると、いわゆる珍車は少なくなる。前年に発売されたホンダ・ビートの衝撃は大きく、スズキは3月に大型ボディと強制空冷により6psを発生するエンジン、そしてスクーター初装備となるフロントディスクブレーキなどを採用するシュートを発売。
続いて発売されたシュートSでは、なんとデジタルメーターまで装備していた。だがビート同様にシュートも目立った販売成績を残すことなく時代に埋れていった。
ホンダが提唱した4輪感覚で乗れるリヤ2輪のスリーターも、これまで目立った成績を残さず、ジャイロで商用ニーズに応えたくらいだった。
だが、ホンダは諦めてはいなかった。7月にスリーターのスポーツモデルとしてロードフォックスを新発売するのだ。そのスタイルはメーカー自ら3輪バギー感覚と謳っていた。
この他にもホンダは、いわゆる「バタバタ」の現代版ともいえるピープルもリリース。
自転車と同方式のパイプフレームに重量約4kg・排気量24cc(内径32.0mm×行程30.0mm)の超小型2ストロークエンジンを搭載するペダル付き原動機付自転車だった。
だが、日本国内ではもはや時代遅れといっても過言ではない構造のピープルは日の目を浴びることもなく、販売後数年でひっそりと生産を終了してしまった。
ひっそりと消えていくユニークバイクたち
こうした変わり種の珍車は1980年代中盤になるとひと段落したように落ち着く。ニューモデルがパタっと途切れてしまうのだ。
50ccでもヘルメット着用が義務化され、スクーターブーム自体が落ち着いたことも影響していたのだろう。
だから、1987年2月に発売されたスズキ・モードGTも奇抜さを狙ったモデルではなく、50ccスクーターの高級路線に踏み込んだ1台だった。
全身エアロボディで包み前後ともホイールカバーでタイヤを覆う斬新さは、さすがにスズキらしかった。
だが、ライバルのリードやアクティブのようには売れず、ひっそりと消えていった。
変わり種ということでは1988年4月に発売されたヤマハ・BW’Sが、いわば最後のモデルだったかもしれない。
オフロードイメージのスタイルを取り入れたスクーターで、1989年1月にはハイグリップタイヤやリヤキャリを装備したBW’Sスポーツも追加されている。
スクーター時代の需要が減り販売台数が急激に減少すると、このジャンルで変わり種と呼ばれるようなモデルも生まれなくなってしまう。寂しい気もするが、それが時代の流れというものだったのだろう。
こうして、1970年から80年にかけ、国内で大量発生した「ユニークバイク」の歴史は、静かに幕を下ろすことになったのである。
(text:増田 満 まとめ:モーサイWEB編集部)