今ここに、青春期にあこがれた2サイクル最強の市販車たちがいる。
それらWGPレプリカは、改めて乗ってみると現代でも十分通用するポテンシャルを有していることに気づいた。’80年代は、現代では味わうことのできないであろう“上昇気質”が息づいているのである。
今回は3台のWGPレプリカを試乗した印象を、編集部員とライターによる座談会形式で紹介していく。今回はその前編をお送りしよう。
まとめ●品田直人
※本記事は別冊モーターサイクリスト2008年7月号に掲載されているものを再編集しています。
今回の座談会メンバー

阪本一史
これらの2サイクルレプリカ発売時は、ホンダVT250Fで腕を磨き峠小僧になることを目標としていたが、大学生になるとヤマハDT125で林道野郎に方向転換。現在の所有車両はカワサキZR-7、ホンダTL125など。

縞田行雄
RZ50からステップアップし、RZ250に乗っていた経緯もあり、RZVはあこがれのモデルだったと言う本誌編集部員。
昨今は、KTM250EXC-Fでエンデューロ三昧の日々を送る。

中村友彦
高校生時代には、大排気量2サイクルマルチを羨望の眼差しで見ていたと語るフリーのジャーナリスト。
現在はトライアンフT140Vほかで草レースに参戦し、好成績を収める旧車趣味人でもある。

髙野英治
初めて買ったバイク雑誌でRZV500Rを知って以降、頭の片隅にはいつもこのバイクがあったというフリーのジャーナリスト。
スズキGSX750S、1100刀を5台乗り継ぐ刀趣味人でもある。
畏怖の念を抱く、その存在
縞田:試乗お疲れ様でした。早速ですが、今回のモデルたちが登場した’80年代、皆さんはどのようなバイクライフを過ごしていましたか。
阪本:レプリカブームが始まるころバイクに乗り出した僕は、バイク雑誌のライダースクラブで世界GPでの活躍を知っていたから、ヤマハRZV500R(以下RZV)の登場が一番衝撃的だった。けれど、買ったのはホンダVT250F。同時期の2サイクルも比較対象にはなったけれど、試しにヤマハRZ250に乗せてもらうと非常に手強い。その兄貴分、350はもっとすごいんだろうなというイメージ……。
だから、RZV500Rにはあこがれはしたものの、購入には至らず。その前に、国内販売価格82万5000円という価格は、当時の750より高くて手は出なかっただろうけれどね。そういえば、世界GPの活躍からすると、ホンダはなぜNS400R(以下NS)の500㏄バージョンを出さないんだろうといったことを考えていたかな。RG500Γ(以下Γ)は、エンジン形式がスクエアフォアで面白いなぁと思ったけれど、世界GPにワークス参戦していなかった時期に当たり、RZVほどのインパクトはなかった。
中村:当時、中学3年生だった僕は、レプリカバイクに対してあまり興味なかったので、衝撃がよく分からないというのが正直なところ。でも、RZVとΓに乗っている人は限定解除して750にも乗れるのに、あえて500㏄を選んでいるところから、かなりのエキスパートライダーだと思っていた。当時の私は羨望のまなざしで街中の車両を見つめてましたね。

髙野:僕も中村さんと同世代で、背景は一緒かな。でも、初めて買った’84年のモーターサイクリスト誌にはRZVの特集が組まれていて、ヤマハは別格だと刷り込まれたクチです。ヤマハは当時、世界GPでエディー・ローソンやケニー・ロバーツといったスターライダーが活躍していたこともあったし、RZVのステイタス性はかなり高かった。Γには400ccモデルがあって、NSは400しかなかったから、多少身近な存在ではあったんです。
実際に購入したのはヤマハTZR250だったんですが、いつかRZVには乗りたいと思っていましたよ。

縞田:僕はRZ50で週に2回くらい大垂水へ通ったときがあって、その後RZ250に乗り換えたとき、その圧倒的な加速感に驚いて、50とは桁違いのパワーを250に感じた。RZ350なんか「ナナハンキラー」と呼ばれていた時代だから、RZVはさぞかしすごいんだろうなぁという印象でしたね。ヤマハのワークスレーサーであるYZRへのあこがれはあっても、手に負えないだろうと安易に予想できた。
ところで僕を含め、皆さんもあこがれはしたけれど購入に至らなかったんですね。実際に大ヒットとまでは言えないですよね。
中村:爆発的に売れなかったのは、手に負えなそうなオーラをこれらのレプリカが醸し出していたからなんだろうか。
縞田:もちろんナナハンより高価だったこともあるのでしょうが、それにしても、普通の勤め人であれば、決して手が届かない金額ではなかったでしょう。
阪本:500㏄の2サイクルなんていうエンジン形式は、カワサキのマッハをはじめとして’70年代に存在したものの、RZVが出たころにはもう伝説の域に達していたよね。じゃじゃ馬とかウイリーしっぱなしとかって聞いていたから、やっぱりどうしてもね……。
中村:専門誌では活躍が報道されてはいたが、一般的には今よりもWGPはマイナーな存在だったはず。そのレプリカが発売と言われても、ピンとこなかった人も多かったのでは?
髙野:それだけに妄想はつのってた(笑)。あと免許制度の問題でしょうね。今でこそ教習所で大型二輪免許は気軽に取得できるようになったけれど、当時は試験場に通い、限定解除するしかなかった。だから、500㏄のレプリカは免許の縛りがなければもっと進化した可能性がある。今回のモデルたちは、言うなれば旧来のスチール製ダブルクレードルフレームをアルミの角パイプに置換しただけ。
レプリカががらりと変わるのはデルタボックスフレームのTZR250からでしょうか。
阪本:そうそう。RZVのポジションはレーシーとは言い難かったよね。このころ、だんだんバイクがレーサーっぽくなってきたものの、中身はやっぱり市販車だなと思った。こうして考えると、鮮烈だったけれど過渡期のモデルだと感じるね。

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