テレビ中継、ましてや新聞で紹介されることなど皆無……、映画か専門誌でしかその存在をうかがい知ることができなかった’80年代前半のWGP。
そのレプリカ、つまり本稿の主役たちが市販された当時、一部のライダーからしか支持されなかった状況は推して知るべしである。
そしてレーサーを市販するという夢のような出来事は、これ以降に存在しなかったのも事実だ。
ここでは唯一無二の存在を改めて見直してみようではないか。
文●中村友彦 写真●山内潤也/編集部
※本記事は別冊モーターサイクリスト2008年7月号に掲載されているものを再編集しています。
RG400/500Γ、NS400R、RZV500R…… 1980年代大排気量2サイクル車の悲劇
’80年代前半に登場した3台の2サイクルマルチ車、NS400R、RG500Γ、RZV500Rには、センセーショナルなデビューを飾ったものの爆発的ヒットには至らず、メーカー自身による積極的な熟成が行われず、後継車も登場せず、わずか数年で市場から姿を消したという共通点がある。
初っぱなから湿っぽい話になってしまったが、そういうモデルが世間で何と呼ばれるかと言うと……、一般的には“失敗作”だ。
実際、’83年のパリショーで公開されて翌年春から発売が始まったRZV500R、そしてそれを追うように’85年に発売されたRG400/500ΓとNS400Rは(初公開は両車とも’84年ケルンショー)、いずれも専用設計パーツのオンパレードと言える構成だったから、1台あたりの製造コストを考えれば、メーカー自身が失敗作と考えてもまったく不思議ではない。
だがしかし、世間でこの3機種にそんな失礼な言葉を投げかける人は、僕のリサーチによるとほとんど皆無である。
それどころか、「RZVは究極のGPレプリカだからね。懐に余裕があれば、1台持っていたい」、「やっぱり戦闘力ならΓでしょう。あれは選手権レベルのレースでも使えたんだから」、「排気量は少なかったけれど、NSのバランスのよさは群を抜いていた」などと、出てくるのは褒め言葉ばかり。
もっとも、こういった発言をするのは現在50歳以上、’80年代中盤をリアルタイムで体験したライダーなのだが、微妙にその年代から外れる年齢の僕も、高校時代によく見かけたRZVの姿を今でも鮮明に覚えている。
何かこう、普通の量産車とは一線を画する特別な存在感。
当時の国内最大排気量だったナナハンはもとより、オーバー1リッターの逆輸入車や高額な外車をも上まわる特別なオーラを、この時代の2サイクルマルチはまとっていたのである。
RC213V-Sが100万円台で買えるくらいの衝撃
その特別なオーラの根源にあったのは、“世界グランプリ500㏄クラスを走るレーサーのレプリカ”という、単純かつとてつもなく強力なコンセプトだろう。
もちろん、公道を走る量産車である以上、同年代のファクトリー車のフルコピーとはいかなかったものの、各車が選択した独特のエンジン形式と(RZV:V型4気筒、RG-Γ:スクエア型4気筒、NS:V型3気筒)、アルミフレーム、フルカウル、フロント16インチ、アンチダイブ機構付きフロントフォークといったレーサー然とした装備には、GP500マシンとの関連性、いや、類似性と言っていいほどの要素が多分に感じられた。
’49年にスタートした世界グランプリ/モトGPは2019年で70周年を迎えるけれど、改めて歴史を振り返ると、最高峰クラスを走るレーサーの公道仕様が、その気になればだれにでも買えそうな値段で販売されたのは、後にも先にもこのときだけである。
この事実をどうとらえるかは人それぞれだが、例えば2019年の今、RC213VやYZF-R1M、GSX-RRといったモトGPレーサーのレプリカが、100万円台中盤くらいで発売されたら……、それはもうビックリ以外の何モノでもない(ホンダRC213Vの公道仕様RC213V-Sは2190万円)。
そのビックリが現実となったのが、’80年代中盤のバイクシーンだったのだ。

●RC213V-S。そのお値段は驚きの2190万円!

●RC213V

●YZR-M1
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