まとめ●中村友彦
※本記事は別冊Motorcyclist2009年12月号に掲載されていたものを再編集しています。
従来型の延長線上
Z1000Jがデビューした’81年前後と言えば、現代より1機種の開発にかける時間がずっと長かった時代である。
事実、Zシリーズの初代モデルである’73年型Z1や、カワサキ水冷4バルブの基本を造った’84年GPZ900Rは、企画の立ち上げから量産型が登場するまでに5年近い歳月を要している。
となれば、第二世代のZとして完全新設計となったZ1000Jも、開発にかなりの時間を費やしたのかと思いきや……、エンジン設計に携わった岡崎さん(Z1の量産直前となる’72年にカワサキに入社した岡崎孝勝さんは、当初はロータリー車X99の開発に関与していたが、’76年からZシリーズの開発メンバーとなった。以後、ボイジャー1200 、初代ZXR750 、バルカンシリーズなどの設計に携わり、現在は汎用機カンパニー技術本部の上級専門職を務める)から出てきたのは、何とも意外な言葉だった。
「Jの開発が始まったのは、確か’78か79年。スズキさんからGS1000が発売されて、これが軽くてよく出来たバイクだったもんだから、ウチのZも何とかせないかんなと。それで軽量化と出力アップを目標に各部の見直しを始めたんですが……、我々のスタンスとしてはね、Jは完全新設計ではないんですよ。使っている部品はほとんど変わってますけど、基本構成は従来型を踏襲していますから。私自身としても、Jはゼロから造ったのではなく、従来型の延長線として作ったという印象が強いです」
目標とされた軽量化とパワーアップは(’80年型MkⅡの245㎏/93psに対して、’81年型Jは230㎏/102ps)、いかにして実現されたのだろうか。
「軽量化についてはクランクシャフトの変更とキックスターターの廃止が大きかったです。クランクシャフトは、Z1ではウェブが釣鐘型だったんですけど、’70年後半からは騒音規制に対応するため、フラマスをいろいろと変更して重くなっていた(’77年型Z1000ではすべてのウェブが円形となり、’79年型MkⅡでは釣鐘型と円形をミックスした形状となった)。それがJでは、カムチェーンを含めた各部の見直しでZ1と同様の形状に戻せたんです。あとは材質が亜鉛からアルミになったキャブレターも大きいかな。もちろんキャブレターの変更には、過渡特性をよくしたいっていう目標があったんですが、軽さにも貢献しましたね。パワーアップについては、圧縮比を上げたことに加えて、バルブサイズの拡大(IN:36 / EX:30.1 ㎜ 径→IN:37 / EX:32㎜径)、バルブタイミングの変更っていうのが利いていると思いますが、このあたりは既存のZシリーズのデータがありましたから、そんなに難しいことではなかった。実際、バルブサイズの拡大については、すでに’80年のZ1000Hでやってましたから」
ところで、カムチェーンに関しては、静粛性を求めてJ以降が採用したサイレントチェーンより、それ以前のZが用いたローラーチェーンのほうが、伝達効率に優れるのではないか?……という説がZマニアの間では根強く残っている。
「いや、それはないですね。まずローラーっていう呼び方なんですけど、’70年代のZのカムチェーンは、正しく言うとブッシュドチェーンなんです。ピンがくるくる回るローラーにはなっていない。だからスプロケットに噛み込むときに、常に1ヵ所がガツンと当たって、それが騒音の元になるし、長い目で見れば耐久性も十二分とは言えない。一方のサイレントチェーンはスプロケットと面に近い状態で噛み込んでいきますから、衝突音も静かで耐久性も高い。あえてブッシュドチェーンの美点を挙げるとすれば、重量が軽いことかな。ただし、軽便なスライダーでカムチェーンの動きを制御できるサイレント式と違って、ブッシュドチェーンは重いギヤ式のアイドラーが必要になりますから、トータルで考えると美点とは言えない。実際、’80年代以降のオートバイはみんなサイレントチェーンを使っているでしょう」
こうした刷新に加えて、Jで行われた変更で興味深いのがパワーユニットのラバーマウント化。
後部をリジッド、前2点のマウントにラバーブッシュを介するという方式は、後のカワサキ車にも数多く採用されている。
「そのあたりは私の専門外なのではっきりとは言えないんですが……。ラバーマウントに関しては稲村さん(初代Z1のエンジン設計者で、J系には開発初期段階のみ関与)の意向が強く反映されていると思います。あの方はとにかく振動が嫌いで、GPZ900Rに当時のオートバイとしては珍しいバランサーを付けたのも稲村さんですから。もちろん、Jではバランサーが入り込む余地はなかったんですけど、少しでも振動を緩和するために取った策が、ラバーマウント化だったんでしょうね」
手直しを受けたクランクとカムチェーン
歴代Zシリーズのクランクシャフトは、一貫してボール/ローラーベアリング支持の組み立て式(’70年代にはプレーンメタル支持の一体鍛造より耐久性が高いと言われたものの、製作にはかなりの手間がかかった)。
ただしウェブ形状は、釣鐘型(’73〜76年型)→円形(’77年型Z)→釣鐘型+円形(’79〜80年型)→釣鐘型(’81年型〜)と、複雑な変遷をたどった。
MkⅡからJへのモデルチェンジでは、クランク単体で約2kgの軽量化が達成されたと言う。
シリーズの前期と後期で、最も大きな違いと言えるのがカムチェーンまわり。
既存のブッシュドチェーンに替えて新たに採用されたサイレントチェーンは、Zのエンジンに従来以上の耐久性と静粛性を与えた。
カムスプロケット以外に、スライダーやテンショナー類を用いてチェーンの動きを制御するのは両車に共通だが、サイレント式のほうがチェーンとスライダー類の接触面積が圧倒的に広く、これは振動低減に大いに貢献したようだ。
最高のオートバイを目指して
デビュー当初からZ1000Jは、プロダクションレースへの参戦を前提としたモデルと言われていた。
その一方で、同時期にデビューしたZ1100GPはストリートを主眼に開発されたと言われているが、当時のカワサキにそういうすみ分けの意識はあったのだろうか。
「明確なすみ分けというのは……、造っている側としてはあんまりなかったと思います。開発はまずJが先行して、当初は従来のZと同じ70㎜ボアでやっていたんですが、それだと今後のレースレギュレーションに合致しないということで、途中で排気量を1000㏄未満に抑えるために、中途半端な69.4㎜という数値に変更したんです。でもそれ以外に、レースに出るからこうしようって、何か特別なことをやった覚えはないですね。そうそう、Jの丸いタンクは北米市場からの要求でした。あのころのウチはみんな四角いデザインになってたんですけど、どうしても丸がいいと。GPに関しては、Jの開発がある程度進んでから着手したはずです。だから兄弟車と言ってもまったくの同時開発ではなく、まずJありき。ただし、こちらはレースレギュレーションに縛られない、上級仕様という位置づけでした」
そのZ1100GPとシリーズ最後のZとなったGPz1100は、ボア×ストロークが同じ72.5×66㎜であるため、門外漢からは同じエンジンと思われることもあるが、内部パーツは完全な別物である。Z1100GPの108psから12psアップの120psを獲得するため、主要パーツのほとんどに手が加えられていたのだ。
「実際の開発時は最後になるとは思ってなかったんですけど、GPz1100を造っているときは、とにかく空冷で最高のエンジンを造ってやろうと躍起になってました。バルブサイズを大きくするために(IN:38/EX:32.5㎜径)挟み角を1度立てて、タペットをこの系列では初めてのインナーシム式にして、燃焼室形状を変えて、ピストンピン径を上げて(17→18㎜径)、確かクランクやクランクのベアリングキャップも変更したんじゃなかったかな。とにかくありとあらゆるチューニングを試しました。だから当時のテストでは……、よく壊れましたよ。バルブが曲がったりピストンがバラバラになったり。でもそのかいあって、完成したエンジンはシリーズ最高の仕上がりになったと思います。GPzに関しては車体もよかったですね。それまではパワーを上げるとどうしてもウォブリングが出ていたんですが、モノショックを採用したあの車体は最高速域までピターッと真っ直ぐ走らせることができた」
岡崎さんの話を聞いていると、カワサキのZシリーズにかける情熱が伝わってくるものの、同社がGPz1100を開発していた’80年代初頭と言えば、水冷4バルブのGPZ900R、当時の流行だった過給器を装着した750ターボも同時進行で手がけていた時代である。
そんな中、モデル末期にさしかかったZによくぞここまで力を入れたものだと思うし、逆にGPZ900Rや750ターボほどの新機軸を持たないGPz1100に対して、言い方は悪いが“つなぎ役”みたいな印象はなかったのだろうか。
「それはなかったですね。というのも……、これはあくまでも私個人の印象ですけど、当時の現場を見ていると、GPZ900Rや750ターボが本当に上手くいくっていう確証はなかった。特にGPZ900Rのほうは、見るたびに設計がドラスティックに変わってましたから。そんな中、Zシリーズっていうのはウチの柱であり財産だったわけですからね。JにしてもGPにしてもGPz1100にしても、つなぎ役なんていう意識は全然なくて、その都度、最高のオートバイを目指していたんです。結果的にこのシリーズは’85年で終わってしまいましたけど、最後になったGPz1100でいろいろと苦労した私としては、やれることはやり尽くした感があったし、空冷2バルブの量産モデルとしては、あのあたりが限界だったかなと思いますね」
各部が見直され、剛性が高められた“J”
’77年型Z1000でステアリングヘッドパイプ下部のガセットが強化され、’78年型MkⅡでダウンチューブが二重管になったものの、前期型のフレームは基本的にはZ1の基本構成を踏襲していた。
一方、’81年型Z1000Jではダブルクレードルという形状こそ引き継いだものの、エンジンマウントの前側2点をリジッド→ラバー式に変更すると同時に、ヘッドパイプ周辺に補強プレートを追加したり左右ダウンチューブ間に連結パイプを用いたり、さらにはスイングアームピボットプレートを大型化するといった手法で大幅に剛性が高められた。
激動の時代を生きた名車の変遷を振り返る
1973〜1975 Z1
それまではメグロから引き継いだOHVバーチカルツインのW1を旗艦としていたカワサキが、初めてゼロから手がけた4サイクルビッグバイクにして、一般的な量産車では世界初のDOHC並列4気筒車。
82hpという最高出力は、ホンダCB750フォアを含めた同時代のライバル勢を圧倒するものだった。
中古車市場での人気は国産旧車ナンバー1と言えるほどで、近年では200万円以上という価格が珍しくない。
写真はZ1A(’74)。
なお’76年から1年間外装やメーターが新作のZ900が発売。
1977〜1978 Z1000
Z1/Z900の後継車として登場したZ1000は、ボアを66→70㎜に拡大することで1015㏄の排気量を獲得。
ただし、当時のアメリカで問題になりつつあった騒音/排出ガス規制を考慮したためか、出力アップはわずか2psにとどまっていた(82→84ps 。ただし最大トルクは7.3→8.1㎏- mに向上)。
外観上の主な変更点は、4→2本出しになったマフラーやディスク化されたリヤブレーキなど。
乾燥重量は初代Z1+10㎏の240㎏となった。
1979〜1980 Z1000MkⅡ
すでに’78年型Z1-Rで披露されていたものの、後にカワサキらしさの代名詞となるスクエアスタイルは、MkⅡで確立されたものと言っていいだろう。
トランジスタ点火を採用すると同時に内部パーツを見直したエンジンは93psを発揮。
ただし乾燥重量は、新たに追加されたフレーム補強やキャストホイールの採用によって、245㎏にまで増加していた。
このモデルと’79〜80年型Z1-RⅡ、’80年型Z1000Hまでが、初代Z1と基本設計を共有する直系の子孫。
1981 Z1000(J1)/1981 Z1100GP(B1)/1982 Z1000(J3)1982 Z1100GP(B2)
現在の日本市場では黙殺されている感があるし、今回の特集でもほとんど触れられなかったが、’81年当時、欧米のメディアで話題を呼んだのはZ1000Jではなく、より大きな排気量と高い出力を備えたZ1100GPのほうだった(今となっては少々こじつけ感があるものの、GPのネーミングの由来は、当時の世界グランプリでKR250/350が大活躍していたことにある)。
基本構成をJと共有しつつも、専用設計のカムシャフトやピストン、当時としては画期的だった燃料噴射(インジェクションノズルはB1ではシリンダーヘッドに装着されていたが、B2ではスロットルボディに移設)、Jと比較すれば穏やかなディメンション(キャスター29°/トレール120㎜/ホイールベース1540㎜)が与えられたGPには、カワサキが誇るフラッグシップとしてのDNAが受け継がれていたのだ。
最高出力/乾燥重量はJの102ps/230㎏(J3のみ233㎏)に対して、B1が108ps/237.5㎏、B2が109ps/236㎏。
いずれの機種も前期モデルより中古車価格が低く、ある意味ではお買い得と言えるのだけれど……、入手後にある程度以上の整備が必要になるのは前期モデルと同様だし、リプロパーツの少なさを考えると、維持していくのはそんなに楽ではないかもしれない。
とはいえ、ポリス仕様が’05年まで生産されていたため、たいていのエンジンパーツが今でも新品で入手できるのは、J系ならではの美点だ。
1982 Z1000R1/1983 Z1000R2
エディ・ローソン+Z1000によるAMAスーパーバイク制覇を記念して開発されたレプリカモデル。
ただし、’83年型はローソン自身が同年にヤマハに移籍してしまったため、ローソンレプリカではなく、スーパーバイクレプリカと呼ばれる。ベースになったZ1000J2/3との相違点は、カラーリング、ビキニカウル、段付きシート、リザーバータンク付きリヤショック、オイルクーラー、Jより10㎜大径となる280㎜径のフロントディスク、カワサキのロゴ入りブレーキキャリパー、カーカー製4-1式マフラー(R2の欧州仕様は2本出しを採用)、キャブレターセッティングなど。
言ってみれば、レーサーレプリカと言ってもそんなに極端な変更は行われていないわけだが……、初代R1の人気は’80年代後半から突如として急騰し、現在でも100万円代中盤以上を維持。
その一方で、日本ではZ1000JをベースにR1仕様を造るカスタムが流行し、現在ではこれがJ系をいじる際の王道となってきている。
1983〜1985 GPz1100
Zシリーズの究極にして最後のモデル……なのだが、ルックスやマシンの方向性がガラリと変わったためか、マニアの間では“GPzはZとは別物”と考える人もいるらしい。
確かにハーフカウルやモノショック、アルミスイングアームを装備した車体は、従来のZシリーズとは別物に見えるけれど、120psを発揮するエンジンは従来型がベースであり、その内部構成はメーカーチューニングのお手本と言えるものだった。乾燥重量は244㎏。
1984〜1985 Z1100R
“トラディショナルなツインショック車が欲しい”という欧州市場からの要求に応えるべく、’84年にデビューしたのがZ1100R。
車体の基本構成はZ1000R2に準ずるものの、エンジンはGPz1100からの転用で(気化器はキャブレターに換装)、最高出力は114psをマーク。
このZ1100Rもある意味では究極のZと言えるモデルだが、このころになると世間の注目はGPZ900Rや750ターボに集まっていたようで、’85年を最後に、Z1に端を発するZシリーズは、長い歴史に幕を下ろすこととなった。