ヒストリー

【ラビットvsシルバーピジョン 国産スクーター戦後開発史7】歴史の荒波に消えたスクーターたち(1964〜1968年)

〜1968 国産スクーターの終焉

急激に縮小していくスクーター市場で生き残ることは適わず、ラビットに突き放されたシルバーピジョンがまず脱落。
その後わずか3年で、ラビットも市場から完全撤退した。
一時は栄華を誇った国産スクーターの両雄は、歴史の荒波の中に消えていった。

※本記事は別冊Motorcyclist2011年9月号に掲載されていたものを再編集しています。

 

スクーターのたどった道

’65年3月。
誕生から累計で46万台以上が生み出された、シルバーピジョンの生産の一切が終了。
この前年、例の財閥解体で分割がなされていた3社が再統合され、新たに「三菱重工業」が誕生しており、その余波で不採算部門の整理という判断がなされたのだろうか。
いずれにせよ、本企画の趣旨である「ラビットVSシルバーピジョン」という図式ではラビットの勝利に終わった。

しかし2〜4輪業界全体で見れば、あくまで局地戦での勝利という意味合いしかなく、名作S-301系の多バリエーション化による売れ行きの堅調さはあったものの、ラビットも全体では年々販売台数を減少させてゆく。
ちなみに、この背景には富士重工業自身が生み出したスバル360の大ヒットの裏で、販売網の整備にあたり既存のラビット販売店を充てることができず、販売店からの不信と離反を招いたことも一因と言われている。

シルバーピジョンが市場から撤退した翌’66年、富士重工業は最後のモデルとなるラビットS211Aハイスーパーを発売。
新設計のロータリーディスクバルブ式90㏄エンジンは、3速ミッションと相まって高い動力性能を持っていた。
このころ飛躍的な高性能化を果たしていた90㏄クラスのMCを明らかに意識しており、「遅い乗り物」といったスクーターのイメージを払拭しようと試みたようだが、それももはや遅きに失していた。

そして’68年6月の生産完結式をもって、約22年の歴史を刻んだラビットも生産を終了することになる。総生産台数63万7895台。
この瞬間、国産スクーター第一世代の命脈は完全に絶たれた。
それから後、新たな役割を持って国産スクーターが再登場するまで、10年あまりの時間を必要とした。
ただ、かつて市場を分かち合った両雄が、再び世に現れることはただの1台もなかったが。

●’68年6月に行われたラビットの生産完結式の様子。「終了」ではなく「完結」としたところに、ラビットが果たしてきた役割についての自負が現れている……というのは考えすぎであろうか

ここに、シルバーピジョンの開発者のひとりが後年に残した自省の言葉がある。
「ユーザーを惹き付けるために豪華とし、重量増加とコストアップを来たし、飛行機の技術を忘れ、本来の軽快さを失った。経営哲学の欠如であり、モデルチェンジの失敗である」。

国産スクーターの発展の方向性が世相に翻弄され(あらゆる製品がそうなのかもしれないが)、ある面では本質を見失っていたという事実を物語っており非常に印象深い。
歴史に“もし”はないが、もしこうした発展を拒み、より技術者の理想を追求する方向で進化していったとしたら、国産スクーターたちは’60年代を乗り越えることができたのだろうか?
それはだれにも分からない。

後年を生きる我々からは、国産スクーターがたどった結末に至るまでの過程を、歴史の1ページとして見ることが容易にできる(こうした目線を司馬遼太郎は“神に近い”目と表現した)。
だが、そこへ向かう一歩一歩は、当事者からすれば常に“今”であった。
自社製品の改良に努め、よりよいスクーターを生み出そうと日々努力し、ユーザーの声を反映させていった結果が時代との乖離(かいり)だったとしても、今さら開発者らを責めることはだれにもできないだろう。

終戦直後から高度経済成長期にかけて、人々の貴重な移動手段や、商品の運搬手段などで大きな役割を果たした国産スクーターたち。
世の中が豊かになり、より世相やユーザーのニーズにマッチした乗り物が現れると、静かに表舞台から退いていったのである。前出の「もはや戦後ではない」という言葉を改めて思うと、国産スクーターのたどった道は、’56年の経済白書で示された懸念どおりの結末を迎えたと言えよう。これもまた、神に近い目で見た結果論ではあるが……。

しかし、国産スクーター第一期生が市場から消え40年以上が経った今なお、多くの愛好家たちが各モデルを元気に走らせているのもまた事実だ。それは平和的な“走る椅子”がかつて大衆に愛され、今もって人々の郷愁を誘う存在である証なのかもしれない。

 

ラビット

1966 S-211A HiSuper

“最後のラビット”が’66年発売のS-211Aハイスーパーである。
開発が開始されたのは’63年3月のことで、旧来のマイナー系のリファイン版ではなく、まったくの新設計モデルとする方針が決まった。
「90㏄純スクーターの決定版」として入念に開発が進められ、過去に例を見ないほど多くの試作が繰り返された。
フレームは前半部がパイプ、後半部がプレス鋼板モノコックとされ(S-301系も同様)、シート下となるモノコック部には長大なトランクも組み入れられた。
同車の完成度は高く走りは軽快そのもので、ラビット愛好家からは「現代で実用に供するならS-211A」という声も多い。
総生産台数は2万1564台であった。

↑完全新設計とされたES32A型エンジン。
S-301系同様に後輪片持ちのスイングユニット方式が採用され(ただし駆動系は逆側)、手動変速3速ミッションを装備。開発時には4速やトルコンも検討されたという。
吸気はロータリーディスクバルブ方式とし、従来の同クラスのスクーターとは比較にならない動力性能を発揮した。
キャブレターはダウンドラフトタイプ。3速ミッションがユニット後端に付くのは伊・ランブレッタ的な構成と言える。
強制空冷のシュラウドの形状も非常に洗練されている。

↑シンプルにまとめられたハンドルまわり。
スクーター本来の使われ方(手軽な足)として考えると、必要にして十分と言えるだろう。
速度計は100㎞/h スケールで、最高速はカタログ値をオーバーする実力だった。
左のウインカースイッチは、押すことでホーンスイッチの役割も果たす。

↑フロントのトレーリングアーム式サスペンションは、一般的なコイルスプリング+オイルダンパーではなく圧縮ゴム式。
ダンピング不足がこの方式の欠点だったが、ブチルゴム素材の採用とゴム形状の工夫で克服した。
90㏄クラスはコストや重量面で、上位機種より非常に制約が厳しいのである。

S-211A主要諸元

●エンジン 強制空冷2サイクル単気筒ロータリーディスクバルブ ボア・ストローク48.0×48.0㎜ 総排気量87㏄ 圧縮比7.0 キャブレターMD-16SC 点火方式バッテリー 始動方式セル/キック
●性能 最高出力5.5ps/6000rpm 最大トルク0.78kgm/4000rpm 最高速度85㎞/h
●変速機 手動変速3段 変速比① 3.214 ② 1.950 ③ 1.269 一次減速比3.238 二次減速比1.666
●寸法・重量 全長1790 全幅630 全高1000 軸距1250(各㎜) タイヤサイズF3.50-10 R3.50-10 車両重量96㎏
●容量 燃料タンク6ℓ オイル—
●発売当時価格9万5000円(’66年)

 

シルバーピジョン

1963 C-240

’63年ごろには、新三菱重工業のスクーター部門は営業的に厳しい状況に立たされていた。
その状況下で登場したC-240は、驚くことに2サイクル2気筒エンジンを搭載。
しかも伝統のVベルト&プーリー式自動変速機と決別し、手動3速ミッションを備えていた。
こうしたモデルの開発に至った理由は、国内の道路網整備が進み、各地で高速道路がどんどん伸長してゆく中、来るべき高速時代に対応する車種が不可欠であるとの判断からである。
その発想の原点は’58年よりの対米輸出にあり、かの地で高速走行に耐え切れず故障が続出した苦い経験を持つがゆえであった。
だが、C-240は市場で歓迎されることなく、シルバーピジョンの最後を飾る1台となった。

↑最後になってようやくスイングユニット方式を採用したNE55Aエンジン。
2気筒とはいえキャブはひとつであり、マフラーも集合式だった。
効率や出力の面では不利であるが、そのあたりはコストなどとの兼ね合いだったのだろう。
乗り味は独特で、「ウォ〜ン」というくぐもった音とともに無振動で走る。

↑C-240には不必要とも思える機構がいくつも採用されている。
一例でヘッドライトには切り替えスイッチが何段もあり、そのうちのひとつはアイドリングでポジション点灯、発進でスロットルを開けるとヘッドライト点灯に切り替わる、というもの。
技術者の悪ノリと言ってはなんだが、その着想が面白い。

シルバーピジョンとして、初めてのグリップチェンジ式3速ミッションを搭載したC-240。
何と速度計内にシフトポジションインジケーターまで仕込まれている。
入っているギヤの数字が点灯するというものだが、必要だったのだろうか?
わずか3速で、かつ左グリップ部でも判断できるだろうに……。

C-240主要諸元

●エンジン 強制空冷2サイクル2気筒ピストンバルブ ボア・ストローク45.0×45.0㎜ 総排気量143㏄ 圧縮比7.0 キャブレター— 点火方式バッテリー 始動方式セル
●性能 最高出力9.2ps/7500rpm 最大トルク1.10kgm/4500rpm 最高速度100㎞/h
●変速機 手動変速3段 変速比① 2.83 ② 1.64 ③ 1.00
●寸法・重量 全長1980 全幅660 全高1025 軸距1340(各㎜) タイヤサイズF3.50-10 R3.50-10 車両重量143㎏
●容量 燃料タンク8ℓ オイル—
●発売当時価格16万円(’63年)

1963 C-140

C-240の125㏄版兄弟車がC-140。
排気量以外、車体や機能はC-240とほぼ共通。8ps/7500rpmで最高族度95㎞/h。
なおC-140/C-240のボディデザインは、後年に三菱製高級車デボネアを手がけたH. ブレッツナーが担当している。

 

参考文献
富士重工30年史
三菱重工株式会社史
ラビットの技術史 影山 夙著(山海堂)
創造の喜び 一エンジニヤの自叙伝 片山 徳夫著(非売品)
私のラビット物語 小川 清著(日刊自動車新聞社)
カタログでふりかえる日本のスクーター 小関和夫著(三樹書房)

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