ヒストリー

【ラビットvsシルバーピジョン 国産スクーター戦後開発史6】急速に縮小するスクーター市場(1960〜1963年)

※本記事は別冊Motorcyclist2011年9月号に掲載されていたものを再編集しています。

1960〜1963  ’60年代を迎え市場が急速に縮小
スクーターは主役の座を降りていく

’60年代を迎えるころになると、一時は乱立していたMCメーカーの多くが淘汰され、現存する4メーカーに加えトーハツ、メグロ、ヤマグチなど数社が目立つくらいになっていた。
力あるメーカーは日本のみならず世界各国で受け入れられていき、追随できないメーカーは振り落とされ消えていく。
それが市場の掟だとしても、’50年代末から’60年代半ばのこうした動きは性急だったと言えるのかもしれない。
だが、それを止めることもまた適わぬことなのだ。

この原理は無論、スクーターメーカーにとっても同じことである。
’58年のスバル360とスーパーカブC100の出現は、国内のモータリゼーション躍進の布石となった出来事ではあったが、同時に国産スクーターを過去のものとするのに十分な内容をも備えていた。
スーパーカブの利便性やコストパフォーマンスと比べてしまうと、手軽な移動の足とするにはスクーターは大き過ぎ、そして高価過ぎた。
商品の配達用途や家族を乗せて走る道具としては、価格が倍以上だとしても軽自動車のほうがよほど便利で快適だった。
そして、その選択をユーザーが行えるほど、この時期の日本は経済的な成長が進んでいた。
つまり時代はもはや、必ずしもスクーターを必要とはしなくなっていたのである。

以降、国産スクーターの生産台数は急激な下降線をたどっていくことになる。
ちなみに、ラビットに関しては’61年、総生産台数で6万5000台以上の記録上のピークを迎えるが、この数字の中には、スーパーカブC100に始まる50㏄モペットブームに乗ったスカーレットの2万台以上が含まれている。
つまり本質的にはスクーター需要ではなく、あくまでブームによる特需であった。

’61年から翌’62年にかけて、ラビット・シルバーピジョンはついに大きく生産台数を落とすことになる。
’62年の生産台数を前年比という形で見ると、ラビットは30%以上の減少、シルバーピジョンに至っては50%を大きく超える減少となってしまう。
危機感を持った富士重工業および新三菱重工業は、より近代化を推し進め、高性能化を図ったモデルを開発し攻勢に出はしたが、減少する需要に歯止めをかけることはできなかった。

こうしてスクーターの需要が下降線をたどりつつあった一方、すでにスバル360で成功を収めていた富士重工業、それに’60年に小型車の三菱500を発売した新三菱重工業の両社とも、乗用車市場というより成長が見込める分野に目を向けていたことも忘れてはならない。
商品が売れず最悪は赤字となるような部門よりも、将来的にでも多くの利益を生み出せるであろう部門に資本や人員を割くことは、両社が営利企業である以上当然の動きであったのである。

 

ラビット

1960 Scarlet S-102A

’58年発売のスーパーカブC100に始まる空前の50㏄モペットブームの中、富士重工業の回答はやはりスクーターであった。
2サイクル49㏄のES11A型エンジンは当然専用で、クランクウェブ式のロータリーバルブ吸気方式を採用し、しかも3段ミッションまで備えていた。
また、ボディにはポリエチレンを多用し軽量化を図っていた。
S-102は’61年に2万台以上の生産を記録するが、前年の法改正(原付が免許制に移行)でモペットブームが急速に縮小していた時期でもあり、S-102は1度のモデルチェンジもなされることなく’62年早々に生産中止。

1961 Junior S-301A

今なお多くのファンを持ち、現存台数も多く、現代の路上でも十分な実用性を持つ国産スクーターの名機が、’61年の発売時からラビット終焉まで主役を務めたジュニアS-301シリーズである。
125㏄クラスのS-82の後継機種として登場したS-301だが、その内容はまったくの別物かつ近代的に仕上がっており、このモデルにかける富士重工業の意気込みが見て取れる。
開発は’60年3月から始まり、数々の問題の克服と新技術の投入を経て完成。デザインはスバル360も手がけた佐々木達三氏が担当している。
A型は左ハンドルグリップチェンジ式の3速ミッション車として登場したが、その後はトルコン装備や4速ミッション化など度々改良が加えられ、多バリエーション化を果たしていった。

↑上級車S-601系に続き、近代的なユニットスイング方式となったS-301AのES36A型エンジン。
特筆すべきは独特の駆動系レイアウトだ。
クランク左軸端の多板クラッチの後は、一時減速のチェーンを介し3速ミッションにつながり、ミッションの後はアクスルまで再びチェーンでつないでいる。
それらがすべてスイングアームを兼ねた左カバー内に納まり、かつ密閉オイルバス方式となっているのである。
このA型のみピストンバルブ吸気方式で、ホリゾンタルタイプのキャブレターはシリンダーに直接マウントされる形となる。
’64年のB型以降はクランクウェブ式ロータリーバルブ吸気に変更される。

↑ハンドルまわりも後期型とは異なる特徴を有している。
最たるものは速度計の取り付け位置で、’64年のBⅡ型以降がハンドルマウントなのに対しボディ側にマウントされている。
速度計自体は120㎞/hスケールと堂々たるものだが、実際の最高速は90㎞/hとされている。速度計左のノブはチョーク。

↑前後ともオイルダンパーサスペンションを採用。リーディングアーム式のフロントは、コストなどの理由から左側のみにサスペンションユニットが取り付けられる。
構造上、制動時にフロントが浮き上がる挙動が出るが、それは発売時の雑誌試乗記でも指摘されている。
タイヤサイズは前後とも3.50-10。

S-301A主要諸元

●エンジン 強制空冷2サイクル単気筒ピストンバルブ ボア・ストローク52.0 ×58.0 ㎜ 総排気量123 ㏄ 圧縮比6.5 キャブレター— 点火方式バッテリー 始動方式セル/キック
●性能 最高出力7.1ps/5800rpm 最大トルク1.05kgm/4200rpm 最高速度90㎞/h
●変速機 手動変速3段 変速比① 2.57 ② 1.57 ③ 1.00
●寸法・重量 全長1840 全幅660 全高990 軸距1275(各㎜) タイヤサイズF3.50-10 R3.50-10 乾燥重量117kg
●容量 燃料タンク10ℓ オイル—
●発売当時価格13万円(’61年)

1964 Touring S-402BTⅡ

’62年のS-402Aから始まるS-402系は、S-301系をベースに排気量アップした軽二輪モデル(148㏄)。
“ツーリング”はハンドチェンジ4速ミッション車で、125㏄も存在。
このS-402BTの最高速は100㎞/hに達した。

1967 Junior S-301B Ⅳ

スタンダードな3速グリップチェンジ車の最終モデル。
いくつもの派生型を出したS-301系も、初期型以来の3速車は最後までラインアップされていた。
ほか、’65年発売のトルコン付き車S-301BHなどもあった。

 

シルバーピジョン

1960 Peter C-111

ピーターC-111は前年登場のC-110のボアアップ版で、シリンダー径を62㎜から68㎜に拡大し210㏄の排気量を得ている。
先代の175㏄では車重に対して非力だったための措置だが、OHV単気筒エンジンにVベルト&プーリー式自動変速機、シャフトドライブの構成は変わらない。
先代から受け継ぐ前後オレオショックアブソーバーは自慢の装備のひとつで、カタログでは「乗心地のよさは夢のように快適です」とまでうたう。
しかし世間の目は大型スクーターから軽4輪に向かいつつあり、わずか1年で後継のC-230にバトンタッチ。生産台数は1万3400台強だった。

1960 Gale CL-10

ラビットのS-201系に対し、新三菱重工業が90㏄クラスに投入したのがゲールCL-10だ。
特異なデザインが目を引くボディは、樹脂外装が多用され87㎏と軽量に仕上げられた。
47.5×49.5㎜からなる2サイクルエンジンNE29A型(87㏄)は、5ps/6200rpmを発揮。軽い車体も相まってそこそこの動力性能を得ている。
タイヤは前後3.00-12と、国産スクーターとしては非常に珍しいサイズを採用していた(おそらく当時は市販唯一である)。
シルバーピジョンが消滅する直前の’64年末まで生産が続けられ、2万6000台あまりが世に送り出された。

1962 GalePet CM-10

“ライラック”ブランドを展開していた丸正自動車が、’60年の全日本自動車ショウに展示したのがスクータースタイルの50㏄モデルだった。
ライラックモペットと名付けられたそれは、前後片持ちサスなど独自の設計で会場の注目を浴びた。
しかし丸正自体が経営不振に陥っており、新三菱重工業はこれに目を付けラインアップ拡充を図る。
フロント両持ちサスなど設計変更のうえ、丸正の生産設備を使用し量産体制に入り、ゲールペットCM-10として販売開始。
言わば丸正製のピジョンブランド車ということになるが、5000台ほどを生産したのみで短命に終わった。

1963 C-135

’50年代後半より、豪華版と廉価版の2本立てで、まずまずの売れ行きを示していたシルバーピジョンの125㏄モデルだが、ラビットS-301系の登場により完全に後塵を拝してしまう。
その対抗馬として’62年に登場したのがC-130で、水平シリンダーの完全新設計エンジンを搭載していた。
ボディデザインも刷新され、“エアー・ストリームライン”と称した流線型ボディをまとっていた。
C-135はC-130の駆動系などを変更した改良版で、基本デザインは変わらない。C-130系は寸法、性能、価格すべてが明らかにS-301Aを意識した設定となっており、新三菱重工業はこのフルモデルチェンジで起死回生を図るも、多バリエーション化を進めるS-301系に抗うことはできなかった。

↑C-135のNE43B型エンジンは、C-130のNE43Aの改良版だが性能的な変化はない。
ピストンバルブ吸気方式でボア・ストロークは52×58㎜、8.0ps/6600rpmを発揮した。
ようやく2サイクルエンジンに主軸を置き始めたシルバーピジョンだったが、ラビットに追いすがることはついにできなかった。

↑初代C-10以来のVベルト&プーリー式自動変速機を装備。
基本構造も変わっていない(現代のスクーターもだ)。
同車の雑誌広告には「交通事故のない車 完全自動変速!」とあったが、どういう意図だったのか。
シルバーピジョンのお家芸と言えた同機構、このC-135が最後になってしまった。

↑荷箱のロックとハンドルロックがイグニッションキーと統一され、「キー1本で万事OK」がC-135の売りのひとつだった。
当時はハンドルロックが南京錠というモデルもざらだったのだ。
メインキーは、ON状態でシリンダー中心部を押すとセルが回る独自機構。下の丸い部品は夜間にキー位置を示す照明だ。

↑先代C-130のフルカバード式から、密閉オイルバス式に変更された最終駆動のチェーンケース。
このケースは片持ちのスイングアームも兼ねている。ケース側面のアームはリヤブレーキ用で、上部に見える茶筒状の部品はエアクリーナーだ。
かなりレイダウンされたリヤサスの取り付け方法も独特。

C-135主要諸元

●エンジン 空冷2サイクル単気筒ピストンバルブ ボア・ストローク52.0×58.0㎜ 総排気量123㏄ 圧縮比8.2 キャブレター— 点火方式バッテリー 始動方式セル/キック
●性能 最高出力8.0ps/6600rpm 最大トルク1.00kgm/3800rpm 最高速度92㎞/h
●変速機 Vベルト& プーリー式自動変速 変速比
●寸法・重量 全長1840 全幅660 全高1045 軸距1270(各㎜) タイヤサイズF3.50-10 R3.50-10 車両重量124㎏
●容量 燃料タンク6.5ℓ オイル—
●発売当時価格13万円(’63年)

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モーサイ編集部

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