ヒストリー

【ラビットvsシルバーピジョン 国産スクーター戦後開発史2】困難をはねのけ進化・発展(1947〜1950年)

※本記事は別冊Motorcyclist2011年7月号に掲載されていたものを再編集しています。

〜1950 国情、道路事情に合わせ次第に進化
スクーターは国民に受け入れられていく

様々な辛苦のうえ生産にこぎ着けた、ラビットS-1とシルバーピジョンC-10。
当初は珍奇な乗り物として見られたが、その利便性が浸透するにつれ生産数は順調に伸びていった。
だが、占領下ゆえのガソリンやゴムに対する厳しい統制は続き、これすなわちスクーター生産に直結する問題となって両社を悩ませていた。
また、軍需工場であった両社には製品の販売網も販売戦略も皆無に等しく、それらの構築も急務の課題であった。

本格生産初年の’47年7月、東京〜箱根間で行われたラビット・シルバーピジョン交えての性能テストの成果もあり、両車の世間における評判は日に日に高まっていくが、評判が高まることで、皮肉にもGHQに目を付けられる結果を招くこともあった。
「プレジャーカーであり、贅沢品だ」との理由で、同年から翌年にかけて3回にわたり生産停止などの指令が出され、これに対しメーカーおよび日本小型自動車工業界は、都度交渉に当たって生産継続の許可を得ていったという。

そうした困難な状況にありながらも、両社は自社製品の改良に努めていく。
当初リジッドであった足まわりは、フロントに始まりリヤもサスペンション装備となって乗り心地を改善。
そのほかエンジン性能の向上、ヘッドライト光量アップ、キックスターターの追加など、新型が発売される度に快適性と実用性、安全性が高められていった。
これはラビット、シルバーピジョンに共通する傾向で、ユーザーがそれを欲していたからでもあるし、またメーカー相互がすでに相手方をライバルとして見据えていたからでもあった。

’50年になると、終戦直後に出された財閥解体方針による分社化が実施される。
富士産業は当初の15社分割構想は破棄され、実情を踏まえた12社分割とされた(休業状態の工場を省き、関係工場を統合したため)。
ラビットの製造は太田工場と三鷹工場が合併して発足した「富士工業」が引き継いで行うことになった。
一方の三菱重工業側は、軍需的なイメージを持たれやすい“三菱”名を使わない3社に予定どおり分割され、シルバーピジョンの製造は名古屋機器製作所改め「中日本重工業」が担っていくことになった。

この年の3月。
従来の5インチ径に対し、大径となる前後8インチ径ホイール装備のシルバーピジョンC-21が発売。
それに追従するかのように、同年9月に同じ8インチ径ホイールのラビットS-41が発売されることになる。
乗り心地や走破性、安定性の向上という進化が与えられたこれらは、より大型のスクーターを求めていたユーザーに好評を持って迎えられた。
これを境とし、国産スクーターの5インチホイール時代は、ともに翌年発売となるラビットS-25/シルバーピジョンC-22を最後に終わりを告げた。

 

ラビット

1948 S-2(D-12)

初代S-1の改良版S-12を経て、’48年5月から生産が開始されたのがS-2(D-12)だ。
ボディカバーのデザインが変更され、サイドのルーバーがスリットから丸窓+金網となるなどした(現車のカバーはS-1のものか)。
搭載されるエンジンはS-1後期以来のF-14が当初は採用され、途中で灯火用コイル強化型のF-16に変更された(排気量・スペックは変わらず)。
S-2/D-12の総生産台数は3480台とS-1時代に比べ飛躍的に増加している。
このモデルではサイドカー付きも販売され、そのために押しがけができなくなる対策として、ラビットとして初めてキックを装着している(サイドカー付きのみ)。
なお、撮影車は三鷹工場製のD-12である。

↑S-12以来のシンプルなボトムリンク式フロントサスを装備。ダンパーはなく単なる“バネ”で、その乗り味はかなりエキセントリックだったと想像できる。
撮影車はリバウンドスプリングを持たないが(伸びきりでハンドルに強いショックが来ると記録にある)、一部にリバウンドスプリング付きも存在する。

↑灯火用コイルが強化されたF-16エンジンを積む車両は、安全のためヘッドライトもより明るいものに変更された。
が、それでも電圧にして3.5Vが6〜8Vになった程度で、明るさ(光度)は10Cp(電力で言えば10W前後か)。
つまり、最近の原付車のウインカー程度の明るさということだ。

1949 S-31(D-21)Jack Rabbit

富士産業ではラビットS-1時代から、PX(進駐軍特約店)向けに輸出車扱いのSPシリーズを展開してきたが、より大型のスクーターを求める米兵向け需要をにらみ、米クッシュマン製大型スクーターを参考に2気筒270㏄エンジンを積むS-31/D-21を開発。これを「ヂャックラビット」と名付けた。
2速ミッション装備で、エンジンは2気筒と表記されるが、実際はサイドバルブ135㏄のF-14もしくはF-16型エンジンを並列に並べたもの。
出力は4.5psとされた。しかしコストや重量増、4.00-8サイズタイヤの入手難などが重なり、少数のみ生産され終了。
生産数はミッションを省いたS-32/D-22も含め52台で、幻のラビットと言ってよい。

1950 S-23A/B(D-16)

これまでリジッドだったリヤに初めてサスペンションが付いたモデル。
この改良でホイールベースが伸ばされ、従来モデルより24㎜長い1150㎜となった。
エンジンは車体No.6150までF-16型で、以降はF-17もしくはF-17A。いずれも135㏄で、出力もS-1以来の2ps/3000rpm。
車両型式のAとBの違いはスロットルの操作方法を表し、Aはハンドル上のレバー方式、Bはグリップをひねる方式だ(写真はA型だろう)。
同車をベースにエンジンのボアを6.5㎜拡大し、169㏄としたS-24も製作された。

1950 S-41

大型スクーター時代の幕開けを伝える1台。
エンジンは169㏄の新型G31(途中からG32)を搭載し3ps/3200rpmを発揮。
ラビット初のキック式始動装置を採用したが、押しがけ方式も併設していた。
変速機はまだ装備されていないが、ホイールは8インチ系と大径化され、乗り心地と安定性、実用性を向上させている。
大型エンジンカバーを持つデザインのイメージは、異端モデルS-31ヂャックラビットであり、大きいものを求める市場の声を反映させた結果でもある。S-41は目論見どおり市場に好評を持って迎えられ、総生産台数は6256台を記録した。

↑シルバーピジョンに先んじてスピードメーターを標準装備。
100㎞/hスケールと堂々たるものだが、公称の最高速度は60㎞/hに留まる。
戦後復興が進むのと同調するように、年々装備の充実化が図られていくのが、この時期の明らかな傾向であった。

1952 S-48

ラビットS-48は、シルバーピジョンC-25の登場により脅かされた市場奪還のため、さらにユーザーの声を反映させ、大型化を図るとともに実用性を向上させたモデルだ。
199㏄の新型エンジン搭載やバッテリーの標準装備により、実用性能はかつてとは比べものにならないくらい高まった。
S-48シリーズは’52年のI型から’55年のⅣ型まで発展し、累計の生産台数が3万9600台にも達した。
世情とニーズにマッチし、シルバーピジョンに一矢報いるほど大成功したモデルと言っていいだろう。撮影車は’53年2月登場のⅡ型で、I型からボディサイドのベンチレーションホールの形状が変更されている。

↑エンジンはより大パワーを求め設計された新型FE-11。
199㏄から4.5psを発揮し、変速機のない構成にもかかわらず、十分な走行性能(あくまで当時の要求の範囲)を確保することに成功。
サイドバルブのままだが背が高くなり、それによりキャブレターのインテークマニホールド形状はかなり強引な設計だ。

↑「オシャレは足元から」と言わんばかりに、フロントフォークのボトムチューブまでクロームメッキを施す。
こうした豪華さを演出する一方、指摘されつつも見送られていたのがフロントブレーキの採用だ。
当時はまだ未舗装路が多く、制動はリヤブレーキ重視だったためだが、車重の増加ですでに能力不足になっていた。

↑メーターはS-41の100㎞/hスケールから分相応(?)な80㎞/h スケールに変更。
5ps程度の出力では、最高速度は65㎞/h がいいところだった。
しかし当時スクーターに求められたのは、スポーティさではなく「豪華で荷物が運べる」こと。
このあたりがイタリアなどと大きく違い、日本独自のスクーターを生み出す原動力になったのだろう。

S-48主要諸元

●エンジン:強制空冷4サイクル単気筒SV2バルブ ボア・ストローク61.5×67.0㎜ 総排気量199㏄ 圧縮比5.6 キャブレターアマル392 点火方式フライホイールマグネトー 始動方式キック
●性能:最高出力5.0ps/3600rpm 最大トルク0.95kgm/2500rpm 最高速度60㎞/h
●変速機:なし 終減速比—
●寸法・重量:全長1920 全幅680 全高940 軸距1320 最低地上高120(各㎜) タイヤサイズF4.00-8 R4.00-8 車両重量130kg
●容量:燃料タンク7.2ℓ オイル—
●発売当時価格:15万5000円(’52年)

 

シルバーピジョン

1949 C-13

シルバーピジョン最後の押しがけ式始動モデル。
エンジンはC-10以来のNE10型を搭載。ヘッドライトやホーンが大型化され、安全性の向上に配慮する。
また、フロントサスペンションはダンパーのない単純なものながら、ラビットに先んじてテレスコピック式を採用した。
C-11、C-12と続いた初代C-10の直系として、最後に当たる1台と言える。

1950 C-21

シルバーピジョンとして初めてキック式始動装置を採用、ユーザーはコツの要る押しがけ始動から解放された。
エンジンは148㏄に拡大された新型NE20を搭載し、また、従来の5インチ系に換え8インチ系のホイールを採用した。
同年登場のラビットS-41と並ぶ大型スクーターの始祖であり、ひとつのターニングポイントとなったモデルである。

1950 C-25

「大型かつ豪華な」国産の本格量産スクーターの最初がこれ。
エンジンはC-21より採用されたNE20型148㏄のままだが、メッキの多用されたボディデザインは従来モデルとは一線を画している。
長大なエンジンカバーを装備し、全長は1985㎜にまで達した。
カバーの後部には大型トランクスペースを備えている。C-25は簡単手軽な移動用途としてではなく、大きく、豪華で、荷物もたくさん運べるスクーターとして大ヒットを記録。
’53年までに累計で約2万台ほど生産し、市場におけるシルバーピジョンの地位を大ならしめた功労者だ。

↑茶筒のようなガソリンタンクを抱くNE20型エンジン。ボア・ストロークは57×58㎜で、かなりスクエア寄りとなっている。
C-10以来のピジョンの売りである、Vベルト式自動変速装置は写真の逆側に配されている。
スペックは3ps/3800rpmで最高速60㎞/h。
大きく豪華なスクーターにしては非力であり、大ヒットモデルながらも、市場からさらなるパワーアップが求められたのは必至であった。

↑ちょっとだけアメリカンクルーザー的なイメージを抱かせるハンドルまわり。
スッキリした中にも、左右対称にメインキーと灯火類用スイッチを配するところなどに、これまでの質実剛健な造りからデザイン面で一歩脱却したことを伺わせる。
ハンドルバーのクロームメッキ処理も、豪華さを演出する手段のひとつだったのだろう。長方形のスピードメーターはオプション品だったようだ。

1953 C-35

先代C-25は非常によく売れたモデルだったが、「非力である」との声は常にユーザー側から上がってきていた。
そこで新三菱重工ではC-25をベースに、新型エンジンを搭載するなど改良したC-35を’53年3月に発売。
新型エンジンはC-25比で0.5psアップの3.5psを発揮したが、前年登場のラビットS-48と比較するとスペック上はまだ劣勢の感が否めない。
だがC-35も好評のうちに売り上げを伸ばし、月産1500台オーバーを記録するまでに至った(累計生産台数は約2万台)。
なお、同車は新三菱重工業発足後に初めて発売されたモデルで、“三菱”の復活を記念した1台でもある。

↑C-25の後期型になると、初期型と比べより豪華な見た目となっていることが分かる。
大ヒットモデルC-25は’53年中ごろまで2年近く販売されたが、さらなる改良を加えたC-35にバトンを渡すことになる。

↑新型NE-30となったエンジン。排気量は173㏄となり、3.5psと従来より出力アップが図られた。
とはいえ大きさ、豪華さを求めた車体は142㎏にも達しており、数値だけ見ると非力であることに変わりはなかったが、排気量増大によるトルクアップ効果で、運搬用途などには非常に好評だったという。

↑C-35の8インチホイールは、16〜19インチ径が普通だったモーターサイクルと比べると小径であるが、カタログでは「ストロークの良いスプリングが入って居りますのと(中略)ホイールベースが長くなって居りますので(中略)、乗り心地は快適で他車の追随を許しません」とある。

↑ドレスを着た女性を後席に乗せるのは、作業服を着たメガネの男性。新三菱重工業の社員なのだろうか? ややミスマッチにも見える。
C-35(Ⅱ型)のフロントフォークに掲げられた三角形の旗には、シルバーピジョンの文字とロゴ、そして復活なった「スリーダイヤ」マークが入る。
何かのキャンペーンの際に撮られた写真かと思われる。

C-35主要諸元

●エンジン:強制空冷4サイクル単気筒SV2バルブ ボア・ストローク62.0×58.0㎜ 総排気量173㏄ 圧縮比5.0 キャブレター日本気化器19BM5 点火方式フライホイールマグネトー 始動方式押しがけ/キック
●性能:最高出力3.5ps/3800rpm 最大トルク0.68kgm/3000rpm 最高速度60㎞/h
●変速機:Vベルト式自動変速機 変速比1:1〜1:4
●寸法・重量:全長1985 全幅700 全高980 軸距1375 最低地上高120(各㎜) タイヤサイズF4.00-8 R4.00-8 車両重量142kg
●容量:燃料タンク5.5ℓ オイル—
●発売当時価格:16万円(’53年)

 

もうひとつの立役者

スクーターと同様に、三菱重工業/富士産業の戦後復興の立役者となったひとつが、農機具などに使用される汎用エンジンである。
三菱の名古屋機器製作所では、「メイキ」と名付けられた汎用エンジンを生産し、民需転換を軌道に乗せた。このエンジンはシルバーピジョンC-10に搭載されたNE10型エンジンを基に設計されたと言われ、メイキの名は名古屋機器製作所の「名」と「機」から付けられたという。
一方の富士産業では、1949(昭和24)年に三鷹工場で初の汎用エンジン「ロビン」が生産開始。
これもラビットのエンジンを基に設計されたもので、その後もラビットエンジンを基に汎用版が造られ続けた。
言わばスクーターと汎用エンジンは親子のようなものなのだ。
そして、こうした汎用エンジンは昭和30年代以降、農業をはじめとした国内の第一次産業の効率化に多大なる貢献をしたのである。
写真は年代が不明であるが、メイキエンジンを搭載した農機具。

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