ヒストリー

【ラビットvsシルバーピジョン 国産スクーター戦後開発史1】二大航空機企業が選択したスクーター開発(〜1946年)

軍需産業から解体を経て平和産業へ 2大航空機メーカーに強いられた試練

太平洋戦争の敗戦直後、物資の乏しい中から生み出され、人々の足として注目されたものが「スクーター」だ。
そこから’60年代まで各社から様々なスクーターが発売され、そして泡沫(うたかた)のごとく消えていった。
今回は、国産スクーター第一世代の中でも両雄と呼べるラビットとシルバーピジョンの誕生から、過熱していく競合の時代までを追ってみよう。

文●神山雅道

※本記事は別冊Motorcyclist2011年7月号に掲載されていたものを再編集しています。

中島飛行機と三菱重工業

太平洋戦争終結に至るまで、我が国の2大軍用航空機メーカーとして名を馳せた中島飛行機と三菱重工業。
後年誕生する“ラビット”と“シルバーピジョン”という国産スクーターの両雄は、2社に在籍していた技術陣により開発された、戦後の平和的工業製品の第一期生であったことは有名である。

両社の成り立ちは三菱のほうが古く、さかのぼれば1884(明治17)年、岩崎弥太郎により長崎で始められた造船事業に端を発する三菱財閥が基。
「三菱重工業」が誕生したのは1934(昭和9)年、それまで分割されていた三菱系数社を統合して生まれた。
一方の中島飛行機は全盛期の規模からすると意外なほど新しく、1917(大正6)年末、元海軍軍人の中島知久平により群馬県太田市に設立された「飛行機研究所」がその源流だ。

●中島飛行機の前身である「飛行機研究所」の正門を収めた珍しい写真

三菱財閥のグループ企業として早くから船舶、鉄道、重機、航空機など幅広く手がけていた三菱重工業に対し、会社設立当初より航空機(とそのエンジン)の製造を中心に発展していった中島飛行機。
両社にこうした違いはあるにせよ、国が軍国的政策を推し進めていくに伴い、軍需産業の中心企業として膨張していった点では同じである。

1937(昭和12)年に始まる日中戦争から、その4年後の太平洋戦争突入のころまでに、戦時下という特殊な状況で両社は深い関わりを持っていくことになる。
よく知られた例を挙げると、海軍の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)は三菱の設計であるが、搭載された空冷星型複列14気筒の“榮”エンジンは中島の設計によるもの。

●離艦のため空母「翔鶴」上を滑走する零式艦上戦闘機二一型

●機体、エンジンともに中島の設計による陸軍の一式戦闘機「隼」

また、中島では軍部の指示で零戦のライセンス生産をしており、その総生産機数は三菱自身のそれを上回るとされる。

ともあれ1940年代半ばまで、2大軍用航空機メーカーとして関係を持ちつつライバル同士にあった両社であるが、歴史というのは奇妙なものである。
戦後に民需転換を図った後には、スクーターという分野でお互い競合していく道をたどるのであるから……。

軍需から民需へ

1945年夏。
8月14日のポツダム宣言の受諾決定から、翌15日正午に蝉時雨の中始まる玉音放送をもって、日本という国は一変したと言っていい。
国民は、いつ来るとも知れない無差別爆撃の恐怖からは解放されたことになるが……残されたものはすでに灰燼(かいじん)に帰した多くの都市と、戦場へ送られた兵の帰りを待つ数多(あまた)の家族、それに敗戦という事実がもたらす大きな喪失感であった。
なお、国から「第一軍需工廠(こうしょう)」指定を受けた中島飛行機は、この年の春に事実上の国営化がなされており、それが終戦とともに返還され、同時に「富士産業」に社名変更している。

終戦の年の秋ごろから、戦線へ多くの軍用機を送り出した富士産業および三菱重工業の両社は、連合国最高司令官総司令部(GHQ)の占領政策により両社とも解体の対象として挙げられる。
三菱、三井、住友、安田の4大財閥をはじめとする企業グループを対象とした、いわゆる“財閥解体”の一端である。

ただ、富士産業の場合は中でも異例の措置で、各財閥の解体が執行機関を通しての間接的であったのに対し、同社のみはGHQの直接指揮による解体とされたのだ。
新興かつ巨大な軍需産業企業ゆえ警戒されての措置であったが、結局、富士産業は民需生産の許可を得た15工場を別会社とする構想とし(当初より各工場は独立採算制としたが、実際に分社化されるのは’50年のこと)、一方の三菱重工業は3社分割方針を掲げ(富士産業同様実際の分社化は’50年)、それぞれが民需転換を図ってゆく形となった。

工作機械などに厳しい使用制限がかけられる中で、各社は残された設備や人員を使って製品の生産を再開。
当初はそれこそ「鍋・釜」など、造れるものは何でも造って再起に努めてゆく。
あらゆる物資が不足していた折だから、それらは飛ぶように売れていくが、反面、材料の不足や極度の悪性インフレ、さらには深刻な食糧難から現場の苦労は並大抵ではなかった。
時に工場内の余剰地でイモやトウモロコシ、カボチャなどを栽培して従業員の食料に充てたりもしたという。

その後本格的な工業製品は、GHQとの交渉を経て生産許可を得ていくわけだが、当然ながら交渉に先だって必要となるのが「何を造るか」である。
1945年10月以降、各工場が独自に生産品目を挙げゆく中、富士産業系では群馬の太田(呑龍)工場と東京の三鷹工場がスクーターを品目に挙げ、三菱重工業系は愛知の岩塚工場(名古屋市)が同じくスクーターを挙げた。
ここで初めて、後に国産スクーターの両雄となる2ブランドの萌芽(ほうが)を見ることができるのである。

そして、終戦から1年ほど経った1946年夏のこと。
日本の空と国土を暗く覆った戦禍から力強く立ち上がるかのように、平和的でかわいらしい名称の「ラビット」と「シルバーピジョン」が相次いで誕生。
ほどなくして両車は、半ばマヒした公共交通機関に代わる手軽な移動手段として、荒廃した街へと次々飛び出していくことになる。

→次ページ:写真で見るラビットとシルバーピジョン

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