30余年前とは比べものにならないほど、あらゆる情報が満ちあふれている現代。だが、それゆえにわれわれの判断力は低下してないだろうか……?
廣瀬達也
●「帰り道はスマホを見るだけで分かるんだから、電源を切って迷うのも絶対に楽しいよね」と言いつつ、ちょくちょくスマホを家に忘れるモーターサイクル遊び人(写真は1988年仕様)
※本記事はMotorcyclist2018年1月号に掲載されていたものを再編集しています。
旅は漂流である。目的地が明確だったとしてもスムーズに行ける確証はないからだ。
「ナニガアルカワカラナイ」という意味では昔も今も同じである、とはいえ、今はずいぶんと手間が省けるようになったし"無事到達する"確率は高くなり、効率もよくなった。
かつては道路地図から道を選んでつないでいくしかなかった。
「おもしろい道がありますよ」なんて教えてくれるマップなどなかったからだ。
ましてや80年代にブームと言えるほどにぎわったダートを含む"山道"まで楽しもうと思えば、国土地理院発行の五万分の一など、目的に応じた縮尺の地図を入手するところからツーリングは始まった。
穴の開くほどそれを眺め、行けそうな道を探すのだ。
ところが現代ではガイド本を眺めながら気に入った注釈付きの道を選べば、簡単にルートを決めることができる。
山の中のダートだって丁寧に教えてくれるのだから何とも驚かされるばかり。
さらに道の様子をスマホで見ることさえも可能だ。
行ったことのない道だって、その雰囲気どころか、かなり詳細な部分までチェックすることができる。
しかしそれでも、旅は現実でありナマモノである。
どんなに詳しい情報の載ったガイドブックや情報伝達システムでも、通行直前に起きたガケ崩れなどの障害までは教えてくれない。
突然の豪雨や凍結なども同じだ。そのまま進むべきなのか? それとも引き返すべきなのか? それは天気や時間、同行者や道の様子、ガソリンの残量など、いろいろな要素を総合的に考慮して判断するべきもの。
一概に答えを出せるものではない。
その状況判断がまた旅の面白さでもあったし、いい意味での"アクシデント"や"インシデント"が、食事や風景以上の楽しい記憶になったりする。
予期せぬ事態に遭遇したら克服しつつ無事に帰ってくること、そんなちょっぴり冒険チックな要素もいっぱいに含んでいたのが、80年代の旅の面白さだったのかもしれない。
とはいえそれは、ガイドにない道をあえて選んだり、本当に困るまで電子デバイスのスイッチを切っておくなど、やり方次第で今でも味わえるはずである。